前回から1ヶ月弱の投稿。
実は、7/26(土)に引っ越ししました。今までの住居から500m離れた中古マンション。
それに関する話は後述するとして、本日(8/17)やっと新居でインターネット接続完了して
投稿することができました・・・。長かった。
この期間に素振りが出来なかった日をまず記録したい。
7/22(火)、上司の上司の上司という言い方をすると分かり易いか不明だが、
その方と、俺含めた4名で夜に食事会。日本酒を結構飲みまして・・・。
帰宅時の22時頃には銀座で解散したが、フラフラになって帰途に就いた。
自宅近くのコンビニに到着した23時頃、水、お茶、ヘパリーゼをそれなりに
飲んだが、まったく効かず。で、コンビニに設置してある休憩スペース(という
名称は正しくないだろうが)で、いつの間にか1時間寝てしまっていた。
「お客様。」という店員の声で目が覚めたという始末。それでも不快で、意識も
ハッキリしない状態は続き、家に着いたのは午前1時近くだったか。
お酒で、というか、自己管理が出来ずという原因で、その日は思い切って断念した。
8/5(火)、転居後の部屋から花火が見えるということで、早めに帰宅することを努め
シャワーを浴び、食事をすることにした。20時近い帰宅。ビール片手に夜空を
眺めてたが、既に花火大会は終了した模様・・・。
多少の期待を抱いて待っていたが・・・(泣)。
で、その後、久しぶりに早い時間での帰宅だったので、その日までは夜遅い帰宅が
続いていたので、のんびりするつもりで横になった。
ら、起きたのは午前2時過ぎ・・・。だ、断念した(泣)
それら以外は、1,000本素振りを継続した。
さて、次に記述すべきは、冒頭「後述する」とした引っ越しに関する話。
とにかく心配だったのは、素振りを実施する場所があるか否かと言う点。
社宅に住んでいた頃、とにかく社宅の居住者に見つからないよう素振りしてた。
たいがい、夜に素振りをするが、怪しい人と思われないだろうかと心配したり、
会社の関係者に素振りをしていることが知れ渡ったりしないことなど、様々な思いがあってだ。
が、社宅に住む全ての方々に、程度の差はあれ知られていたわけだが(笑)。
いずれにせよ、素振りが出来る場所があるか心配だった。
が、結論としては、みんなが目に付く場所、駐車場の片隅(もちろん、空いている場所)で、
堂々と素振りすることにした。
隠れて素振りできる場所なんてなかった。
それに、むしろ、みんなに知ってもらった方が、俺としても気持ちが楽だと考えた。
ただし、みんなが怖がったり、迷惑がったりするのは避けたい。
怖がらないために、なるべく明るい所で実施することにした。それは駐輪場の前でもある。
駐輪場は夜電気の明かりが点いている。
また、お会いした方には挨拶を積極的に行うことにした。
迷惑がらないようにするために。まず、迷惑がる場面があるとすると、それは、
早素振りの場面。帰宅時すぐに素振りをするが、スーツの上着が無い状態で、
ワイシャツに、スーツズボンを履いたまま素振りを実施する。、使う靴は、もう
使わなくなった革靴だが、アスファルトではどんなにがんばっても音がする。
(ちなみに、普段、私用で履くゴム製の靴ですら、アスファルト上では大なり
小なり音がした。)
社宅の素振りでは、なるべく音が聞こえない、敷地内の離れた場所か、もしくは、
草むらで早素振りしてきた。実施場所、実施タイミング(車が通る機会を見計らって。
音がごまかせるかと思い)を見つることには本当に苦労した。
転居後、そんな敷地はない。そこで、使っていなかったヨガマットを用意し、靴を
脱いで早素振りを実施している。そうすると、音は出ない。
ヨガマットの厚さは3mm程のためか、その下にある、でも気づいていない小さな砂利を
早素振り中に踏みつけると、痛い!なので、ヨガマットを敷く際は、その下の部分から
砂利を除くようにしている。アスファルトの上にある小さな砂利だ。それでも除ききれない
のだが。
そんな感じで素振りを開始して、3週間が過ぎた。今の所、大丈夫と思われる。
苦情が来たら、止めるしかないと考えている。
ちなみに、ヨガマットを使うようにしてから、早素振りはメニューの最後に実施することに
している。
全体を通して実施すると、やはり1時間かかる。所要時間自体に変化はない。
さて、道場での稽古の話。
8/9(土)
会社の後輩、道場でお世話になっている先輩との稽古。各々との一本勝負で負けた。
特に会社後輩から負けた精神的なショックは大きい。9月にある全日本実業団の
出場メンバーの中で、後輩は補欠となっている。一方の俺は正選手として登録されている。
いつも勝てる自信が無い。相面で、後輩の方がスピードが上だ。それを乗り越えて
面をとれるだけの実力がまだ無い。
基本通りに、正確に間合いを捉え、真っ直ぐに面に行けば勝てるだろうか。
後輩は俺よりも背が高く体も大きく、何と言うか、俺が出る所を狙って刺し面に出る。
手を前に出す感じで一瞬を捉えようとする。
乗り越えねばいけない。
その後輩からのアドバイスとして、普段の地稽古中は、俺は手元を上げないが、
一本勝負となると、左手を上げやすくしてしまうとのこと。
アドバイスを頂いたことに感謝せねばいけない。
8/10(日)
Ku八段に稽古をお願いしたかったが、普段その道場には来られない「お客様」が複数
いらっしゃったということで、「お客様優先にして欲しい。」ということで、譲らせて頂いた。
そこで複数の七段の先生方に稽古をお願いした。飽くまで面にこだわって打ちに出たが、
結局、小手に何度も抑えられた。打ちに出る機会が良くないのかなー。
ちなみに、地稽古前の基本稽古において、一足一刀の間合いから一歩前に出て面を
打つ稽古の中で、竹刀を振りかぶった際、息を吸うのは誤りだと指摘が、全員に行われた。
そうでなく、中段に構えた時点で、腹に気は溜めてしまって、そのまま打ちに出るんだと。
言われてみれば、俺は、正しく実施できていると思っていた一歩出て面において、
振りかぶった際、息を吸っていた気がした。
以降、1,000本素振りにおけるメニューの一つである、一足一刀の面の素振りにおいては、
呼吸も意識している。
8/16(土)
Ku七段から。右足の踏込を速くやれとのこと。これまでも何回かご指摘を頂いてきたが、
右足の踏込を速くやるイメージがつかない。上にある右足を速く下に下ろせと言うことだろうが、
何と言うか、そのためには、激しく地団駄を踏むようなことが必要に思えてくる。
つまり、面打ちの為の自然な踏込でなく、速く踏込むことが目的の不自然な踏込しか
イメージできない。
が、ある時頂いたアドバイスをヒントにすると、遠くに飛ぶと思わず、より手前で踏み込めと
言うことかと認識している。
しかし、それをやろうとすると、足が前に出ないと、腰が残ってしまうので、
一歩の幅に迷うことがある。
話は逸れるが、最近、1,000本素振りの中で、足よりも、腰・腹を意識して前に出しながら
素振りをしてみた。すると、木刀の先の落ち着きが安定して、ブレにくいと実感している。
話を戻すと、足でなく、腰・腹で打つ工夫が足りないのかもしれない。足に意識がいって
しまうが、そして、それは決して誤りではないのだろうが、腰・腹を意識すると、翻って、
それが足の適切な幅につながるのではないだろうかと、最近考えるようになっている。
8/17(日)
前回、Ku八段への稽古は出来なかったこは既述した。
この日は「お客様」はいらっしゃらなかったので、稽古をお願いした。
いつも通り面打ちを主体に。
途中、ふと、呼吸の事を思い出した。そこで、息を吐きながら、そして、気を溜めることに
意識を置きながら、向かった。さすがに、八段の先生相手に、これまで意識して実施した
ことなどなかった溜めを意識して実施し、間合いを詰めていくのは、より大きな負荷が
かかった気がした。が、とにかく、前に行くだけだと自分に言い聞かせ、下がったり、
妥協したりすることはしなかった。
稽古後のアドバイスとしては、こうだ。
だいぶ右手の力が抜けてきた。大切なのは打つ機会だ。中心を攻めて、打つべき機会に
捨て身で打ちに行くことを続けなさい。その結果、打突部位に当たらなくても良い。
それを積み重ねていくと、打つべき機会に、自然と打つことが出来るようになる。
なるほどぉ~。だから、打たれまいとして、でも、一本取ろうと変な姿勢で、打つべき機会で
無い時に、打つことをやってはいけないのですね。
考えれば当然のことなのでしょうけど、「機会」を、そういう貴重な稽古の観点と、分かって
いたつもりで、でも今回のお話が新鮮に思えたということは、分かっていなかったんだと
実感した。
まだまだ、稽古が足りないですね・・・。という発言自体、稽古をある程度やっている方の
発言に感じられて、その発言をする資格すらないんだろうなと、その発言を記して、ふと
考える。
強くなりたい。試合でも勝ちたい。でも、面打ち主体の稽古が望ましい形だとしても、
理想の面打ちが出来ているわけでない(というか、あと何十年かかるのかも分からない)中で、
小手や胴も満足に出来てないことが、9月の全日本実業団大会に向けて、大きな不安と
なっている。
じゃ、小手、胴の稽古をすればいいじゃん、とのご指摘もあろうが、「呪縛」があって、
今は面打ちに徹すべきと、もう一人の自分が、言っている。
例えば、8/9の後輩との稽古でも、小手や胴を決められる自信がないという思いも、
たしかにあったが、面で勝負すべし言う気持ちで地稽古は、面9割8分で行った。
本日も同世代の方とも稽古したが、小手や胴は(何度も言うが自信が無いと言う思いも
確かにあるが)敢えて打たず、面で前に出たいという思いで稽古をした。
これは偏った思考と思う自分もいるが、結局、小手や胴は、今の俺にとって「逃げ」に
値するという思考も、俺のどこかにある。
「呪縛」だ。
放たれる新たな視点が必要だと考えている。
しかし、そう考えても、とことん面に徹するべしとする思考(「呪縛」)も、同時に、そして、
確実に存在しているし、少なくとも、当面の間、その思考は残り続けるだろう。
9月の試合で勝ちたい。
けなも