2013年4月28日日曜日

2013年4月の剣道

さて、2013年4月の剣道を記録したい。

4月に入っても200本素振りは、もちろん続けた。
何気ない日々が続くはずだった。

ところが、4月4日(木)から、急遽家族の一人が入院した。
原因不明の高熱と首の痛み。近くの病院に入院。
当初は、何とか菌(忘れた)の影響による症状で、抗生物質を
投与すれば治るはずということで、症状改善を待った。

が、一向に良くならず、むしろ一層悪い状態になっていく。
熱は39℃~40℃という状況。全く熟睡できずうなされている。
そのうち、突然叫びだす。意味不明に叫びだす。脳がやられたのか。
しかし、医師は脳への影響は否定する。

4日、5日(金)、6日(土)、7日(日)と、私も会社を早退、または、休む等して、
面会が許される時間まで(22時は過ぎてたな)家族に付き添ってた。
一日一回は意味不明の叫びが始まる。時間は数分から5分。
それを傍らで、何もできず、落ち着くまで抱きしめていることしかできなかった。

その間は、一応、帰宅後、素振りは実施している。
(4日だけ未実施だったかな…。)
少なくとも、土日行ってる道場には、その時は行かなかった。
朝から夜まで傍らにいた。ほぼ一日中。

そして、8日(月)、土日明けで医師も通常体制(という表現が正しいのか)で
午前中に検査が始まった。すると、新たに病名が判明すると共に、合併症
として「心不全」との結果が出た。心不全!はあ?

すると、その病院(560床規模の診療科がそこそこ揃ってるはずなのに)では
それらに対応できる医師・体制が無いとのことで、すぐに別の病院へ転院する
ことになった。

私は午前中会社に行ってたが、その結果を知りすぐにその病院へ向かった。
転院先の病院としてA病院を勧められたが、地理的に遠い。何か起きた時に、
すぐに駆けつけるには時間がかかるし、未知の土地だ。

そんな中、私の仕事の関係で通う場所の近くにあるB大学病院を、
私から提案した。既にA病院前提で動いていた医師達には悪いことをしたが、
そこもまた、家族の状態を診られる医師・体制のあるとのことでB大学病院へ
転院することにした。

そして、さっそく8日(月)午後から家族はB大学病院へ向かった。
私は着替えも持たず、8日夜から付き添った。家族の状態が悪い一方、
看護師も細かいこと(家族の細々としたリクエスト。例:水飲みたい)には
いちいち対応することはない(家族自身が看護師を適宜呼び出せないことも理由)ので、
付添い用ベッドを借り、泊まった。ちなみに、重症患者用の個室だった。

8日は素振りはしなかった。

9日(火)、会社は休む。夕方一度だけ家に戻り、着替え、髭剃り道具等、そして、
室内用素振り木刀を持って、B大学病院へ戻った。

入院している家族が、何とか寝静まった頃、病室を出て待合ロビーにて、
素振りをした。とは言っても、病院内ということで、本来ならそんな行為は非常識
なんだと思う。が、細々と、人の気配が無い深夜に実施させて頂いた。
(誠に申し訳ございません。)

素振り後は、もちろん、すぐに病室に戻り、家族の様子を見た後、
付添い人用シャワーを利用し、汗を流した。

10日(水)、朝は会社に向かった。日中は、私の母が東北の実家から仕事を
休んでB大学病院まで駆けつけてくれた。その為、私は一旦夕方まで仕事をして、
その後病院へ戻り、母と交代の上、病室に泊まった。

入院している家族は所々起きては具合悪そうにするが、4日から入院していた際の
状態と比べると、比較的改善していたように思えた。

11日(木)、同じように朝は病院から勤務先へ向かった。12日(金)も同様。
13日(土)、14日(日)は、仕事は休みの為、もちろん一日中付き添った。
一週間、病院で寝泊まりしたことになる。

自らが、ネフローゼ症候群(2001年6月14日(木)~8月5日(日)。覚えてるんだな。)、
網膜剥離(2007年6月11日(月)か前日から、一週間。こっちは明確じゃないんだな。)で
入院した時以来、病院で過ごした。

さて、4月15日(月)には、家族の症状が改善したとのことで、個室から共用部屋へ
移った。それに伴い、付添いは20時までというルールの為、その日から家に戻る
生活へとなった。やっぱり家はいい。

4月19日(金)、無事家族が退院。家族にとっても、私にとっても負担の大きい2週間だった。
ちなみに、19日だったか、20日(土)は素振りをしなかった。疲労が溜まったと、自分に
言い訳を作ってしまった…。悔やんでる。

21日(日)からは通常通り素振りを続けている。

そして、4/27(土)午前、久しぶりに街の道場に行った。体はついていけるか非常に
不安だった。たしかに、3月時点の動きと比べて鈍いし、すぐに疲労を感じるし、
丁寧さが欠けていた。

しかし、かろうじて、と言うか、素振りのおかげで復帰を諦める程、体がなまっている
訳ではない。周りの機敏な動きをしている同年代のみんなを見ていると焦るけど、
またやり直すしかない。繰り返すけど、やり直すしかない。それしかない。
(8年のブランクに比べたら1ヶ月なんて!)

いずれにせよ、家族が回復してくれて良かった。最初、「心不全」と聞いた時は、
とにかく重篤な印象しかなく、どうなるかと不安でいっぱいだった。
これで何かあったら、医者になろうかと思った程だ。誰も助けられないなら、
俺が助けられる人になる!みたいな。その際、剣道は捨てなければいけないん
だろうかと考えさえした。極端な発想だけど、そんなことを思ったりもした。

剣道は強くなりたい。

ただ、家族と剣道を天秤にかけたら、迷わず家族をとる。
(家族の状況を見て、素振りはしたが。)

今回は、結果的にも、家族を第一としながら、かろうじて剣道ができたということであり、
家族が回復したことで、剣道もある意味再開できる状態になったと言えよう。

剣道をするには、剣道で強くなりたいなら稽古をすること。
でも、その為には、私、そして、家族が健康であることが大前提。

そして、その為には、普段から規則正しい生活を送らねば。

ということで、これ以上の夜更かしは止めねば!

けなも

2013年4月27日土曜日

ありがとう SING LIKE TALKING

久しぶりの投稿(月報…)で、いきなり剣道以外の話です。

本日(4/27)、SING LIKE TALKING25周年ライブ行って参りました!

結論から言うと、満足と言う気持ちと、3時間半(18時過ぎ~21時40分頃)では
時間が短すぎ、物足りないという気持ちの両方です。
行って良かったと思ってるんですよ。

17時30分頃有楽町に到着。少し周りをうろうろして、40分東京国際フォーラムに到着。
想定通り、CD売っていたので、過去レンタルでCD借りたことあるけど持っていなかった
初期のCDを探した。結果としては「3rdアルバム『III』(1990年4月25日リリース)」と
「12thアルバム『Empowerment』(2011年5月18日リリース)」を購入。後者は、25周年
特設サイトにて「純然たる3人のシングライク印(じるし)みたいなものが結構強く出た
アルバムじゃないですかね。」(藤田千章談)等、他のメンバーにとっても印象に残った
作品らしく、魅かれて購入。

本当は1stアルバムも買いたかったけど無かった…。

その後、行列に並んでキーホルダーも購入し、トイレ行ってたら、あと5分ほどで開始する
とのことで、急いで席へ。

比較的早期にチケット購入したと思ったけど、会場1階の、後ろから10列以内の所の席…。
後ろすぎー、と思いながら会場を埋め尽くしたファンの皆さんと待った。

それまでBGM(私は知らない誰かの歌…)が続き、18時過ぎても開演しない。いつ始まる
のかなー、って待っていたら…「INTERLUDE:You are love」がBGMとして流れた。
その途端、会場が拍手で包まれた。開演だ!

そして、少しづつメンバーが集まり、佐藤竹善も登場。会場が一気に盛り上がる。

一曲目は、特設サイト「思い出楽曲投票ランキング」で第一位だった
「Seasons Of Change」から始まる。さすが、ファンの期待に応えてる!

ちなみに、その曲は『Welcome to Another World』の一曲目でもある。
私にとっても思い出の曲ではあるし、好きな曲だ。ただ、SING LIKE TALKINGの
曲の中で、それが一位に選ばれる理由は、私には不明だ(悪いって言ってるんじゃない)。
もっと他にもいい曲、ライブで定番の曲はたくさんある。それが、なぜあまり露出度が
無い(はずの)その曲が一位だったのか、私には、やはり不明だ。どんな思いで投票された
のか、ファンの方の声を聞いてみたいが…。

さて、曲は続く。そして、トークも入る。トークで思ったのは、西村智彦(ギター)は
愛されキャラなんだなということ。もちろん、他のメンバーもそうでしょうけど、話題は
西村の酒好きや、「鳩」(ほろっほー)の話にまで及ぶ。

と、書いていくと、キリが無いので、強く印象に残ったことを書くと、
私が好きだと、本ブログで記載してた「Maybe」が歌われたんです!
投票では10位以内に入ってなかったし、「俺の好きな曲は、他のファンが好きな曲とは
違うんだなー。」とギャップを感じてたので、諦めてたのですが、なんとなんと!
歌われたのです!まさか、SING LIKE TALKINGの誰かが、私のこのブログを見て
くれてたのでしょうか!?(笑)
だから、「けなもさんいますかー?」(私の妄想竹善)って聞かれたら、会場後ろから
思いっきり大きな声で「いるよー!!!」って応える気持ちの準備してたよ(大笑)。
もちろん、そんな場面無かったけど。

このブログを見てて、「Maybe」歌ってくれたんだ、そう思い込めばいい。
それで自己満足してりゃいい(笑)。

でも、ありがとう。やっぱり良かったです。隣の男性はそのまた隣の友人に、
「『Maybe』来たわ―。」って漏らしてた。名曲だろ?え?って突っ込みたかったぜ。

他に思ったこと。「離れずに暖めて」がメドレーとして、一部歌われたんだけど、
あれほどのいい曲が、一部しか歌われない「贅沢さ」が印象に残った。

SING LIKE TALKINGのメンバーは酒好きなんだなということ。それにあやかり(?)、
このブログ書きながら、YEBIS飲んでます。

あーやって、3人で多くの人を幸せに出来る技術を私も身に付けたい。
私には何が出来るだろう。

デビュー当時から90年代の曲が半分以上のライブでしたが、そんなライブをファンの
多くは待っていたと推測します。比較的新しい曲には、私の隣(右)にいた40代くらい(?)の
カップルや、目の前、左の方々は、「乗り切れ」なかったように思えて、一方で、
90年代までの曲では、その方々みんなが「乗って」た、そんな印象があります。

なので、25周年と言わず、そんな90年代までの曲を中心に、なんとか再びライブを
やって欲しいです。

私が育ってきた傍らにあったSING LIKE TALKINGと共に充実した時間を過ごせました。
(DVD出たら買おう。)

私は社会に、どのように、何者として貢献できるか。剣道か、それ以外か。
それとも両方か。2つと言わず、3つとか?欲張らず。

けなも