大げさなタイトルですよね。やっている人はやっているんだから、偉くも何にもないと
思います。
ただ、何日であれ、何年であれ、「続けた」ということ自体を記録として残したいし、
「続けた」ということ自体を祝うことで、自分のモチベーションにしたいと思い、
大げさなタイトルにしました。
くどいですが、やっている人はやっている。それこそ、私以上の稽古量を毎日こなす方
なんて、全世界にどれ程いらっしゃるか、想像もつきません。
見方を変えると、周りの方のことを考えても(想像しても)、キリが無いので、
それなら、まずは自分がやれたこと、やってきたことの中で、「続けた」ということを
評価したいと思うのです。
さて、2/2(月)は仕事を遅くまでやりました。まず、24時近くに帰宅。そのままいつもの
ファミレスで仕事・・・とも考えましたが、既に疲れている状況で、でも仕事をしなくちゃ
いけない、でも素振りも継続したいという思いの下、考えた結果、ファミレス行く前に
半分、帰宅後半分の素振りをやろうと考えました。そうすることで、もっと疲れている
帰宅後でも、負荷が比較的少なく素振りを実施するモチベーションになるかと思い。
実際は、700本実施して、午前1時頃、ファミレスへ向かい、仕事。結局、朝4時まで
仕事して、体を休ませたいと考え直し、帰宅後風呂入って朝5時頃床へ。その後、
朝7時30分頃起床、会社へ向かった。
いつも思うんだけど、腎臓病を抱えている者がやる生活としては、あり得ない。
で、残り300本は、2/3(火)、2/4(水)、2/5(木)に100本ずつ分散させた。
つまり、各々1,100本。
2/7(土)
およそ一か月ぶりに面を付けての稽古。素振りを続けてきたことによる自信が
付いたのか、久しぶりの防具(剣道具)を付けての動きだったが、それほど
「ブランク」を感じることは無かった。
午前中は街の道場で、上記の通り面を付けての稽古。
そして、午後3時30分からは、近所にお住いの、会社剣道部の先輩が住む
マンションの空きスペース(パーティールーム)で、形の稽古を実施した。
私が2/15(日)に五段審査を受けるので、それに向けた稽古となる。
正直言って、形の稽古は四段審査を受審した2011年2月からこれまで4年間、
全くやってない・・・。
それは修行人として恥ずべきことです。
剣道に関する本を読む中で、複数の本で、形は審査の為だけにあるのではない!と
記載されており、それを読むたび、「そうだそうだ!」と思う自分がいるのに、
実際は、形の稽古をしていない。
その分、私の剣道は未熟なんだと思ってます。
YouTubeで、警視庁の、今は八段になられている先生方が実施する形の動画を見て、
その無駄のない動きに感嘆し、自らの未熟な動きを恥ずかしく思うばかりです。
さて、話は戻って、会社先輩と形の稽古を実施し、何とか一通りの流れを覚えることが
できて、今後は、本番までイメージトレーニングを繰り返そうと思ってます。
そうそう、ちなみに、4年前の四段審査の形審査において。
私は、その本番まで、どなたとも稽古することなく、一人で一方の動きを繰り返す練習を
夜の素振りの際に実施していた。「一方の動き」というのは、例えば打太刀なら打太刀の
動きを実施する。目の前に仕太刀を務める人をイメージして、そのイメージに合わせ
打太刀の動きをとる、といった具合だ。おそらく、それはそれで十分に時間をかけて実施
した記憶がある。
ただ、実際の人を相手とした稽古をしてなかったので、本番はどうなるだろうかと不安だった。
結論からすると、四段審査の形審査において、私の相手が形で不合格となった。
と言うのも、相手は、形稽古を前日1日で行って当日を迎えたと言う。
たしかに、不安な気持ちで臨んだ本番において、仕太刀である相手から先に動き出す
ことに、とてつもなく困惑した。本来、形は打太刀が先に動き、その動きに合わせ、
仕太刀が動くものだからだ。
他の受審者よりも、我先にと、「〇本目!」の合図と同時に、勢いよく前に突進してくる
動きには、相手なしに稽古を続け不安だった私にとって、「難敵」だった。形で不合格に
なるのかと、形を実施しながら、でもその不安を押さえつけながら我慢して形を続けた。
そんな状況が続く中、小太刀の形に移った。仕太刀である相手が小太刀を持って構え、
3本目が始まる直前だった。
審査員から、左手の置き方に、その相手に指摘が入った。他のペアではない、俺のペアの
相手だ。俺も緊張が走った。何度か「違う、そうじゃない。」と審査員から指摘が入った。
かと思いきや、「もういい。」との言葉がかかった。この展開は危うい。
小太刀の形3本目は実施されたが、相手は動揺してか、我先にと向かってくるのは変わって
ないが、かみ合わず、形が乱れ、「もう一度。」と、再度、周りが見つめる中、俺のペアだけ、
小太刀の形3本目を実施した。おいおい。
再度の3本目でも、打太刀である俺の右胴への対応を忘れて、俺が小さい声で「〇〇して。」
と言うまでに乱れてた。
形審査が終わった直後、相手はともかく、俺は(も)不合格になったかなと不安でいっぱいに
なった。その時、見に来てくれていた母親は、涙目で私を迎えた。
そして、既述の通り、相手は不合格で、私は何とか合格した。
この時、普段から形の稽古を実施する重要性を実感した。仮に、相手が「難敵」であっても、
「どんな相手でも、自分は正しい形を、正しく実施できる」と自信を持つまでに、形稽古は
必要だと痛感した。
にも、かかわらず、結局、この4年間、形稽古はしてこなかった。
4年前と違うのは、相手との形稽古を実施して、今回審査に臨む準備だけはした、
ということだ。
形稽古をまったくやらないというのは、やっぱり、良くない。
そもそも、「剣道」とは形の動きを応用したものだ、とか何とかおっしゃった方が
いらっしゃったが、そうであれば、なおさら、形稽古が不足していること自体、
私の剣道は、より未熟なままだ。
形稽古を怠っていることは、恥ずかしいこと。
今回の会社先輩との形稽古で、改めて思った次第でした。
けなも
0 件のコメント:
コメントを投稿