2015年12月28日月曜日

落ち込んで、そして、励まされた週(12/21~12/27)

12/18(金)までは、とにかく夜中遅くまで仕事し、朝に帰宅する等、とにかく
疲労が重なる日々・・・。

実は、会社における年末行事の一幹事となっていた。その準備で12月入ってからは
毎晩のように遅い時間まで仕事の毎日。幹事の仕事が終わってから、残った業務に
取りかかる日々。

それでも何とか素振りは続けていたが・・・。


そして、明けた次の週の話。



12/21(月)

夜中まで仕事。たぶん、2時だったか、とくにかく朝までだったか仕事して、
帰宅して、すぐ体休めた。

素振りはできず。



12/22(火)

次の日(12/23)は祝日ということもあり、早く帰宅し体を休めたかった。
23時過ぎには、いったん、一区切り。もう体を休めよう・・・。

そう思って、幹事団打ち合わせ解散・・・と思いきや、職場の上司から
「慰労」という趣旨での「食事」(飲み会)へと招待される。

誤解無いように言うと、その上司はとても優しく部下への気遣いも
される方。だからこそ、断れなかった。その上司自身も、幹事団の
打ち合わせ終了を待っていらしたという経緯。

だから、その上司のことをどうこういうつもりは全くない。
むしろ、その上司は素敵な上司だと思います。

分からないのは「慰労」という文化。

過去にあったのは、ほとんど徹夜の毎日を過ごし、疲れ切った、
入社間もない私に「慰労する」と称して、結局、夜中(午前?時)まで
飲みながら説教を続ける文化を、今でも私は理解できない。
次の日も、始業時間に遅れず出社し、夜遅くまで仕事する。

その頃の記憶が消えることはない。


さて、疲れがたまった体に、お酒は毒だった。別の幹事は重たい瞼で、
途中眠りながら、懸命に目を開け、上司との話を続けた。

上記のような過去よくあった説教の場面は無く、その上司には気を遣って
頂いて、楽しい話題をご提供頂いた。

が、その幹事が、とうとう眠り続ける時間が長くもなった頃、会はお開きとなった。
午前2時。

お酒が重く体に残った。解散した時点では意識もはっきりしてたが、
それほど大量に飲んだわけでもないのに、帰りのタクシーでは
行き先を運転手に対し伝えられないほど、眠気と気持ち悪さで
いっぱいになった。

帰宅し、玄関ですぐぐったりして午前5時、玄関で家族に起こされた。

寝た。お酒はまだ体に残っており気分は悪く、残念だけど、素振りなんて
できる状態じゃなかった。その後、布団に入り昼まで体を休める。

せっかくの休みの半分は、布団で過ごすことになった。
残念な休日となった。



12/23(水)

昼過ぎ起きた後、近くのカフェで仕事。
夜、帰宅後食事。食事で体調すぐれず、体を休めるつもりで布団に入ったが最後。
寝てしまった。

そう、素振りを始めた(再開した)ここ何年間かで、3日間以上素振りを
しなかったのは、初めてだ。

12/24朝を迎え、そのことが頭をよぎり、気分が落ち込む。
「今日こそ帰宅したら素振りする。」

その思いは簡単に裏切られた。



12/24(木)

結論から言うと、徹夜。それも、1分も、1秒も寝なかった。フワフワした状態で
12/25(金)の始業時間を迎える。


そして、


12/25(金)

会社を出たのは、12/26(土)の午前1時くらいだったか。

もう歩くのが怖かった。
ネフローゼ症候群にかかった2001年。新聞配達と大学生活を繰り返す中、
いつしか、ほぼ眠らず過ごして、結局入院する羽目になった。

だから、体を休められないこと自体に、恐れを感じていた。加えて、
知らず知らずのうちに、ネフローゼ症候群再発を迎えるのではと恐れた。
だから、12/26(土)は、帰宅後、体を休めた。

それと、クリスマスを家族と過ごせなかったのは、たぶん、人生初めてだった。

俺は、何のために生きているのだろうか。


12/21(月)~12/25(金)の5日間、素振りはできなかった。
5日間素振りしなかったのは、いつの頃だったろう・・・。

素振りを再開することを恐れた。再開した時点で「ブランク」を実感することになる
恐れがあった。「リハビリ」のつもりで、12/26(土)夜は、ゆっくり1,000本素振りした。

また一からやり直しか、今後も、多忙な日々は続くだろうに剣道は続けられるのか、
そんな思いがよぎる。

そして、迎えた日曜日は、1か月ぶりに、道場に向かった。
気分は重かった。


そして、意図せず、励まされた気分になる。



12/27(日)

今年最後の道場での稽古。いつもより参加者が多い。
Ku範士八段のご指導で稽古が始まった模様。「模様」というのは、
遅れて参加したため、稽古最初にある基本稽古には参加できなかった。

久しぶりの面をつけての稽古。やはり小手をつけての握りに違和感を感じる。
来年の課題となるだろう。


さて、稽古最後に、Ku範士八段に稽古をお願いできた。

面を中心に挑んだ。

やはり最近の素振り不足がたたったせいだろう、数本打ち込んで息が切れる。
体が重い。

が、気力を振り絞る。

実は、Ku範士八段が、そもそも道場にいらっしゃること自体も、最近では
ほとんど無かった。

5月に範士になられて以降、剣道の行事が忙しいとは、周りの先生方から
伺っていた。

だからこそ、せっかく稽古をつけて頂けるこの機会を無駄にしたくなかった。
だからこそ、気力を振り絞り、まっすぐ面に向かった。

でも、体が鈍っていて、当たらなくていいけど、とにかく自分が納得いく、
攻めと打ちができなかった。

悔しいと思う気持ちはあるけど、その気持ちを、とりあえず抑えて、稽古に
専念した。

が、やはり、鈍い体で、納得いく攻めなど実践できず、稽古は終わる。
(先生、稽古つけて頂いて、本当にありがとうございます。)

稽古をできなかったここ1週間を恨んだ。


さて、心揺れたのは、稽古後のこと。

いつものように、Ku範士八段に挨拶に向かったが、今日に限っては、
個人個人との挨拶はせず、稽古をつけてもらった者みんなを集めて、
集団での挨拶となった。

そして、Ku範士八段は、お話しされた。

実は、Ku範士八段のご家族の看病の関係で、70日間病院で寝泊まり
されたとのこと。

剣道は全くできなかったとのこと。

しかし、工夫すれば剣道は、できるとのこと。

竹刀の無い腕を振りかぶる仕草をして、これを100本、200本するだけでも
全然違うとおっしゃる。

自分が、まさに今一番関心あるテーマに関するお話を頂けたことが、
とても心に残った。範士八段でも面をつける・竹刀を握る稽古ができない日々がある。

しかし、工夫され、剣道を離れることはない。

実は、Ku範士八段は、過去『剣道日本』に登場され、素振りの重要性に
関してお話しされている。街の図書館で、その部分のコピーをとって、
今でも保管している。

そこで書かれていたことの一つに、家で、正座をしながら素振りすることが
記載されていた。

今日の稽古で、その正座しながら素振りするということも、普段忙しくても
できる工夫の一つとして、お話しされていた。

社会人の方で、忙しくて剣道が出来ないと思うが、工夫が必要だという話。
その流れで、ご自身が、70日間、家族の看病で剣道が出来なかったという
話に至った。


今日、道場に行って良かったと思っている。
この5日間まともに素振りできなかったことを悔やんでも仕方ない。

素振りできないならば、竹刀・木刀を持たない肩・腕の動きをする工夫する
発想が必要という事が分かった。その動きは意味ないと思っていたが、
違う、やれることをやるんだ、そう思った。


さて、12/28(月)を迎える。会社の年末行事の日。

最後までやり抜く。

最高の結果を残したい。最高の結果を残せるように頑張る。

素敵で明るく楽しい平成二十七年十二月二十九日(次の日)を迎えられるよう頑張る。


けなも

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