2025年10月11日(土)
4月5日(土)稽古一発目で肉離れしてから7ヶ月。
思えば、2022年9月頃から仕事が超多忙となり、その後異動もあり、
実質まともに剣道ができたのは、3年ぶり。
これどう思います?みなさん。
私の中は、怒りと諦めと、それでもやってやるという気持ちが色々混ざっているんです。
何と言うか、どうしようもなかった、どうもできなかったこの3年というか。
そもそもの、いや、他人のせいにするつもりはないのだが、
2021年の国のちょっとした動きで(詳しく書けないけど)、
余計な役人が当時の我がプロジェクトにちょっかいを出してきたことが原因で(他人のせいにしないよ)、
参加予定だった調達内容も不正に書き換えられ
(本来調達に参加できないはずの会社が敢えて参加できるようにしたりとか、それを鶴の一声で書き換えられたりとか、
実現不可能な仕様に敢えて作り変えて意中の業者のみしか参画できないようにされて、
当該業者決定するよう最終決定機関のトップにカンペを読ませたりとか。全部知ってるんだから)、
結果、私のプロジェクトが参画できなくなった(ちなみに、その国のプロジェクトは数年後破綻して何十億という税金が無駄になった。本当にア〇かと。本当頭わ〇い、ほんと。
あ、毒はいてる、俺…)。
他人のせいにしないよ。
ちなみに、警察にそのことを相談したら、
裏でお金が動いてないと警察も動けないと言われた。
他人のせいにしないよ。
でも俺は、いつか税金を何十億も無駄にしたその方々を許せないし、
どこかの週刊誌にその実情を密告しようと思っている。
で、話は大きく逸れましたが、
それによって、私のキャリアも大きく変わった。
これまでそのプロジェクトが成功すればそのまま昇進予定だった(はず、多分)が、
その役人が邪魔してきたせいで(他人のせいにしないよ)、連日連夜、夜中も土日も対応は続き、
それがちょうど2022年9月前後からピークは続いたな。
昇進は無くなり、
そして、地方へ転勤となった(これどう思います?いわゆる「左遷」ですよね?)。
転勤先では当然右も左も分からないまま新たな土地で新たな顧客との業務が始まるが不慣れは続き、
半年くらいから上司のパワハラ(陰湿ないじわる。電話も出ない、ちょっとしたミスで怒鳴り散らかし、無視する、ほか沢山)が始まり、
深夜も土日も休まる訳ない。
入社して間もないころ、当時の上司から、俺の残業は残業じゃないと言われ、徹夜しても土日仕事しても、普通に残業しても、
残業時間をつけられずおよそ3年を過ごしたが、その頃よりはまだマシだったがある時、その地方勤務で試しに残業時間を計算してみたら
170時間は要していた。しかも2月だったから、普通の月だったら200は超えていたのかもしれないけど。
あれ、何のブログだっけ…。
と精神が病みそうな状態が続いた中でのこの3年程、剣道はできなかった。
厳密に言うと、素振りだけはした(但し、徹夜の時複数できない時はあった)
それと、この3年間で5回だけ、面を付けた稽古はしたが、
何と言うかいずれも1時間未満の、何て言うの、地方での飛び入り参加というか、
「稽古」と胸張って言える稽古だったのかというと疑問が残るから、
正直、「稽古やりました!」と言えるだけの確信が無い。
だから、
その機微を説明するのも面倒だし、他人にはどうだっていいことだろうから、
端的に言えば、この3年間は剣道してなかったというと、非常にシンプルで、
正直、同等だと思うから、とりあえずそう言うとこにしている。
で、
4月5日(土)異動解除後肉離れしてしまし、
(やっと剣道の話に戻る)
10月11日、久々の稽古。
Ku七段、Ma七段、Ta七段。皆様久々です。とにかく超省エネ剣道で申し訳かなったですが、
一方で、何と言うか、素振りのおかげか姿勢を大きく崩さず構えられたと実感している。
Ku七段には、蹲踞から立ってすぐにけが復帰後の為、ゆっくりやる旨をお伝えすると
それに合わせるように優しく対応頂いた。
4月の肉離れがKu七段での稽古で起きたことだったので、
まずは優しくてもKu七段との2~3分ほどの稽古をやり終えたことは大きかった。
Ma七段。この方は、ご高齢おそらく80代にも拘わらず、気の張り方がすごい。
何度かの相面で私の方が体勢を曲げたことが頭から離れられない。
そして、その体勢を曲げたことが、この3年間のつけでもあると感じている。
Ta七段。この方は、癖がある。何と言うか、意図して迎え突きを連続して行う。
だから突かれにいった。何度も何度も。突いてほしかった。これまでの悪い気を突いて皆無にさせたかった。邪気があるなら払いたかった。
途中、迎え突きでケガすると思って申し訳ないとのことだったが、
どんどん突いて欲しいとお願いした。自分でもドMだと思うが、この3年間で本来味わうべき苦しみを味わいたかった(ドM?)。
帰宅後、喉、右肩あたりにアザが複数あったが、多分、心の底では喜んでいた(ドMだよな)。
10月18日(土)
まだリハビリ程度の稽古にしたかったから、運動激しくよりは、気を激しくする稽古として
Ma七段の列に並んでいたが、たまたま空いて暇をされていた消防七段から声かけられ稽古することに
正直激しい運動系の稽古は避けたかった。肉離れが気になるので。
しかし仕方なかった。
ただ、何と言うか、打ち合いをせず打つべき時に打ちに行くように徹した。
ちなみに稽古後、「いや、やはり強いですね。」と言われたが、ちょっと待ってくれ、この3年剣道してませんけどと思った。
Ma七段。やはりこの方は運動系は激しくないが、気があって本当に稽古になる。
気を抜くと負ける。本当にありがたい稽古だと思う。
さて、新たにお会いしたYo七段。
どのような方か分からないが、結論強い方だとは分かった。
ただどうしても腑に落ちないことがあった。
私からすると特に動かされてないが、何と言うかピクリとも動いてない小手に小手を打ってこられて一本を取ったと思っているような動きや、
フェイントをかけて面を打ってくる、真っすぐ打つことは無く、私からするとそれ程攻めを感じてない所に複数回打ってこられたので、
何と言うか、あまり「攻め」を重視されない稽古をされる方だと思ったので、
私もあまり攻めを重視せず、打ちに重点を置いた。リハビリも兼ねて。
ところが、稽古が終わった後、「私は打ち込み台ではない。攻めて打たないといけない。」と言われ、読みが違ったらしい。
そのことが何だか腑に落ちない。
じゃぁ、次回は攻めに徹する剣道にしようと思う。「もっと打ってきなさい。稽古なんだから。」と言われないか心配だが。
10月19日(日)
久々の町の試合。
コロナを経て、記述の通り仕事のことなどあり、も踏まえると、
2019年のこの試合を最後としているから、試合という意味では6年ぶり?かな。
そもそも、9月下旬が申し込み締め切りのこの試合に対し、
9月時点で稽古も再開してない中、よく申し込んだなと自分でも思う。
上述した通り、稽古を10/11、10/18に実施して、10/19の試合に参加したという経緯。
驚きだよね。
一方で、来年の七段審査が気になっていた。
早めにリスタートしたいと思っていた。
だから、試合勘を取り戻すこと、緊張感をもって1対1のコートに上がること、
肉離れの後の足の状態を見極める意味も込めて臨んだ。
試合場に立っているだけで感謝の気持ちを持てた。
この場に立てて、まずは妻に感謝の気持ちを持った。
ありがたいと思った。新鮮な気持ちになった。
いつも通り1人で参加しているので、準備運動も一人で実施。
ちなみに、ここまでの記述を読めば十分ご理解頂けるはずだが、
3年剣道してない人が優勝する訳ないですよね。いや、勝つなんてそんな簡単に口にできないですよね。
3年剣道してなくて、それまで2回稽古をしているという状態ですからね。ほんと笑える。
で、
試合表を見て笑ったね。俺の相手は過去何度も対戦した正剣の剣士。
一回戦からかーという感じ。
ただその方もどうも足を怪我されていたらしい。
試合は、何と言うか変に緊張せず実行できた。
結果、負けた。
相手が怪我をしていることは明白なのに打たせたり、攻めさせたりして、
気負いした。で、気負いした分だけ打ちに行かねばと思考して、
攻め不十分のまま飛んで行った感じ。そこを胴で返されたというもの。
後から動画をみたんだけど、決して悪い状態になってない。
見た目はむしろいい剣道している、とは言わないけど、剣道ができなくなる前の頃から
それほど大きな変化は見られなかったんだよね。
だけど、やっている当事者としては、
俺が攻めてきっと相手が動き出さざるを得ず動いた所に、今度は俺が下がったり、反応して手元を上げたりして、
結局、自分の攻めが打突に繋がらず、という状態。その上で、(怪我した)相手に攻められ、当たらなかったにせよ打ちに何回か来られたのは、
つまり俺の攻めが甘いからという証拠。
さて、これからの稽古で何をすべき?
「攻め」を意識するのは、上述したYo七段でもそうしようと決意したが、
何と言うか、
あまり難しいこと言わず、結局、面を付けての稽古の量が足りないというか、
稽古の質を追求せざるを得ないのがこれまでだったけど、
ちょっと量にももう少しこだわりたいと言うか何と言うか。
自主練としての素振りは効果があるんだと思う。この3年間、面を付けてはまずやれてないにしても、
素振りはやり続けて、3年後まだ見た目はギリギリ、本当にギリギリ基本に近い姿勢を保てているけど、
何と言うか、
何と言うかなぁ
そう、今までの環境の中で精一杯やっては来たと思うんだ、
ただ、ちょっと、
仕事の状況も多少は厳しさはやわらいだ分、
素振りのペースは今まで通りで良いにしても、
対人としての稽古で「学び」を重ねるべきだと思う。
今日の、自分が攻めて、相手が動いた時に、それが必ずしも綺麗な面で来られないからどうして良いか分からなくて、
それで応じられる選択肢の幅が限られている、というか、
で、それはきっと対人稽古で学べることが多々あるはずで、
単に面をかぶっての稽古をすべきと言っているのではなく(それはそれで「量」という点で必要だと思うが)、
無数の状況にでも対応できる応用力が必要。
そう、基本の為の基本でなく、
応用力を養う場が必要。
素振りを続けることは確かに意味があるとは分かっている、実感している、自覚している。
それを実践の場で、その素振りで培った基本を、応用に繋げる力が必要。
そして、きっとそれは、端的に言うと道場での稽古なんだと思う。
すっきりまとめられず、久々ということもあり、
長々と書いてしまった。
もう寝ないと。
けなも
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