10/21(金)
夜、私が大学時1年の時、1年未満所属してた剣道部
(世間で言う同好会みたいな所)の同期や先輩後輩に会った。
私が大学1年って、1999年4月~2000年3月だから、
中には12年ぶりに会う先輩や同期がいた
(一部の先輩、同期は剣道以外の場面で会ったりしたし)。
厳密には、その剣道部を「卒業」してないので、私自身"OB"という立場でない。
それに後輩と言っても、私がその剣道部を辞めた時は、
まだ大学入学してない子もいたので、初対面の方ばかりでした。
そんな私ですが、お誘い頂き楽しく話せましたので、
受け入れて頂いた皆様には、本当に感謝してます。ありがとうございました。
で、剣道に取り組む気持ちを新たにしたのでした。
「がんばろう。」って。
10/22(土)
で、「がんばろう。」って思って、土曜朝の街の剣道場が開放される
午前9時にいち早く行き稽古と思ってたのが、
前日の酒や、遅い時間の帰宅が体に負担になったか、目覚めた時は午前9時過ぎ。
「やっちった~。」と思いながら、気持ちの高ぶりは既に消えて、
マイペースで朝食食べて剣道場に向かった時は午前10時30分をあと数分で迎える頃だった。
道場へ向かう自家用車では、押切もえのラジオ番組"Moe's up"を聞きながらだった。
つい半年くらい前までは、稽古に向かう時間はいつもそんな感じで、
"Moe's up"の常連リスナーになってた。
でも、その後は心を入れ替え午前9時過ぎには道場に稽古に行ってた。
ので、久しぶりの"Moe's up"だった。
で、稽古は午前11時30分までだから、道場に着いて着替えて…なんてやってたら、
実質1時間はない状態。短時間でもやることに意味があると思い稽古に参加。
その道場での稽古は午前9時~午前10時までは各自素振りや形の練習。
午前10時~午前11時30分は地稽古となる。
通常、10名弱の七段の先生方がいらっしゃって、稽古をつけて頂ける。
ちなみに、日曜日は八段の先生もいらっしゃることもある。
さて、稽古。
準備運動もたいしてせず、七段の先生の列に並ぶ。
…ふと、別の場所から移動してきた他の七段の先生が私を呼び、
心の準備も十分でない状態で、稽古に臨むことに。
で、学んだこと。それは「攻め方」。
文字で表現するのは難しいのですが…
・剣先を相手の突き(顎)の位置から相手の目の高さに、
真っ直ぐ、ゆっくり上下させ、すっすっすと「前に進む」(攻め)。
「前に進む」というのは、身体的な動きだけで完結しない。
・その中で、相手が出ようとした瞬間を察知し、「面」。
これまでと違い何が斬新だったかと言うと、
私はこれまで剣先を相手の突き(顎)の位置から、
下(相手の小手の位置、もしくは、膝くらいまで)に下げる方法で攻めていた。
むしろ、小学生の頃、そう教わってきた
(厳密には、上から相手の気や剣を抑えるという意味で)。
そして、その方法で小学、中学、高校はそれなりに相手から面を取れた。
具体的に、目に見える(身体的な)「攻め」は下からだったので、
上へ動かすのは、私にとって新鮮だった。
・打ち急がない。「打つ」ことと「攻める」ことは同じじゃない。
今の私は打つことが前面に出てしまう。
剣道を再開してから、多くの方から同様の指摘を受ける。
そんな私もある程度は自覚してる。
その意味で、高校の頃の方がまだ「攻め」を実践できてた。
なんというか、「こうして、相手がこうしたら『面』が取れる」っていうことが
体に染みついてた。だから、取りたい時取れてた。どう攻めるべきか理解できてた。
それが、8年もブランクがあると、高校の時できてた、
高校の時「読めてた」一本までの過程(つまり「攻め」)なんて、全く無くなってた。
「どうやって、一本取ってたっけ?」みたいな。
「とりあえず、打つ。そしたら一本取れるかな。」みたいな。
そして、「これが攻めだったかな。」と思ってやったことは「攻めてない」と指摘を受ける。
ブランクって、本当に大切な何かを無くしてくれる。
あの感覚は、私の小学~高校までの大切な一つの財産だった。
「高校の時の攻めが攻めで無かったのでは?」との指摘があるかもしれない。
その可能性は、確かにある。そもそも、高校の時が強かったかと言えば、
全国大会行く前に、予選で負けたし。
ただ、今と比べ、確実に一本までの過程が、
高校生の頃の方が、まだマシに理解し、実践できていたことは確実に言える。
あの頃は「一本取るには、この相手は、こういう癖があるから、
こう動けば一本取れる。」と見えてた。
でも、今は何も見えない。
だから、一からやり直す意味も込め、基本に立ち返り剣道をやり直している。
上記のように感じ、思っていたのは、別に今に始まったことではない。
剣道を再開して間もない頃からその思いだった。
あの頃の感覚を取り戻したいと思い稽古を続けているが、
稽古の絶対量が違う今、諦めずとにかく一歩一歩前進することを地道に
継続するしかないと思っている。
長く書いちゃいましたが、私の、剣道を再開してからの悩みは、そんな所で。
簡単なことじゃない。
地道にがんばろう。「攻め」。
高校の時の感覚を取り戻すというよりは、
改めて、良い意味で違う感覚ができればと思ってる。
けなも
2011年10月23日日曜日
2011年10月12日水曜日
広島‐宮島剣道大会
9/11(日)
初めて宮島剣道大会に参加しました。本当にいっぱいの剣士が集まるんですね!
何人でしょうか。手元にプログラム無いので、ざっくり言うと、中学校の体育館いっぱいに
選手や関係者が集まる(本当にざっくり…)。老若男女関係なくチームを作るという。
100チームくらいでしょうか。何百人の方が集まっているのか。
こんな大会が私の田舎(東北)にあったら、さぞ盛り上がるのだが…。
そもそも、剣道人口少ないか…。
広島という所は剣道が盛んな街の一つなんだろうなと感じました。
で、私はチームの先鋒。一回戦、相手先鋒不在で不戦勝!
二回戦、今度は相手がいて、若手でなかなかの方で、引き分け…。
(勝てよ。)
で、チームはその二回戦負け。中堅と副将が負けちゃったんですが、
敢えて言うと、チームが負けたのは、中堅、副将が負けたからではなくて、
私が勝たなかったからです。私が勝ってたら流れが変わってたと思う。
と、終わってから言ってもしょうがなく。
得たこと。
今回新幹線で4時間かけて広島に行きました。
剣道をする環境が新鮮な中で、試合前日に急遽近くの道場で剣道をさせて頂きました。
(稽古不足の為、1回の地稽古でバテて稽古どころでなかったです。
受け入れて頂いた道場の皆様、本当に申し訳ございませんでした。)
その上で、「攻めて」「面」という流れは、やはり稽古し甲斐があるというか。
誤解を恐れずに言うと、よそ者であるからこそなおさら、その流れを見られるというか。
小手とか胴とか突きとか、応じ技とかは「お呼びでない」というか。
道場の先生方から(当たり前だけど)「一本」をとることが大切なのでなく、
下手でも下手なりに「攻めて」「面」に全力を注いでぶつかっていくこと。
それが大切なんだなって思った。
その意味は、もちろん、自分自身の剣道がどれほどか、
レベルを痛感できるバロメーターになるというか。
ただ、ここまで書いてなんですが、
小手も胴も突きもきちんと「一本」にできるよう、
普段から鍛錬を積まねばと思ってます。
うまく表現できないけど、私が上手になった時「面しか認めない」先生でありたくない。
攻めの結果出た「一本」の技は、飽くまで結果だと思うから。
その上で、「攻めて」「面」がどなたに対しても通用する剣道でありたい。
明日(10/12)も朝早いのに、ここまで書いたのは、
書きたかったことがあったこと(まだある)、
仕事から帰ってきた食事で残念な思いがあってたくさん食べたら
胃が重くて時間をおきたかったから。
広島記念の写真を掲載します
(著作権とかねーよな。あったら教えて下さい。即削除します)。
初めて宮島剣道大会に参加しました。本当にいっぱいの剣士が集まるんですね!
何人でしょうか。手元にプログラム無いので、ざっくり言うと、中学校の体育館いっぱいに
選手や関係者が集まる(本当にざっくり…)。老若男女関係なくチームを作るという。
100チームくらいでしょうか。何百人の方が集まっているのか。
こんな大会が私の田舎(東北)にあったら、さぞ盛り上がるのだが…。
そもそも、剣道人口少ないか…。
広島という所は剣道が盛んな街の一つなんだろうなと感じました。
で、私はチームの先鋒。一回戦、相手先鋒不在で不戦勝!
二回戦、今度は相手がいて、若手でなかなかの方で、引き分け…。
(勝てよ。)
で、チームはその二回戦負け。中堅と副将が負けちゃったんですが、
敢えて言うと、チームが負けたのは、中堅、副将が負けたからではなくて、
私が勝たなかったからです。私が勝ってたら流れが変わってたと思う。
と、終わってから言ってもしょうがなく。
得たこと。
今回新幹線で4時間かけて広島に行きました。
剣道をする環境が新鮮な中で、試合前日に急遽近くの道場で剣道をさせて頂きました。
(稽古不足の為、1回の地稽古でバテて稽古どころでなかったです。
受け入れて頂いた道場の皆様、本当に申し訳ございませんでした。)
その上で、「攻めて」「面」という流れは、やはり稽古し甲斐があるというか。
誤解を恐れずに言うと、よそ者であるからこそなおさら、その流れを見られるというか。
小手とか胴とか突きとか、応じ技とかは「お呼びでない」というか。
道場の先生方から(当たり前だけど)「一本」をとることが大切なのでなく、
下手でも下手なりに「攻めて」「面」に全力を注いでぶつかっていくこと。
それが大切なんだなって思った。
その意味は、もちろん、自分自身の剣道がどれほどか、
レベルを痛感できるバロメーターになるというか。
ただ、ここまで書いてなんですが、
小手も胴も突きもきちんと「一本」にできるよう、
普段から鍛錬を積まねばと思ってます。
うまく表現できないけど、私が上手になった時「面しか認めない」先生でありたくない。
攻めの結果出た「一本」の技は、飽くまで結果だと思うから。
その上で、「攻めて」「面」がどなたに対しても通用する剣道でありたい。
明日(10/12)も朝早いのに、ここまで書いたのは、
書きたかったことがあったこと(まだある)、
仕事から帰ってきた食事で残念な思いがあってたくさん食べたら
胃が重くて時間をおきたかったから。
広島記念の写真を掲載します
(著作権とかねーよな。あったら教えて下さい。即削除します)。
広島で温かく迎えて頂いた皆様、本当にありがとうございました。
けなも
最近の稽古で思ったこと、感じたこと
すみません、前回投稿から1ヶ月以上時間が経っていました。
すると、ログインする際の入力英数字を忘れてました…。
「ブログが削除されてるから?」なんて思ったのですが、存在してました。
良かった…。
それにしても、このブログの仕組みはよく分からないのですが、
「統計」にて閲覧された方の足跡みたいなものが分かるのでしょうか。
海外からの閲覧からもありまして…。Sorry! I am not good at making English sentences, and for the present I will use Japanese only. But if you want to read this blog in English, please ask me to use English. Then I will consider how to make this blog.
ちなみに、「統計」に関する認識が合っているなら、ドイツやエクアドルなどからも閲覧?
ドイツ語は大学の第二外国語でやったけど、全然だめだったね。エクアドル?エクアドル語?
すみません、全然分からないです。
で、最近の稽古で思ったこと書きます。
【9/4(日) 某大手ビール会社殿会場にて、他の会社殿も交え合同稽古・練習試合】
(言われてみれば、このブログ書く直前、一番搾り飲んでた。
おいしいと思うビールの一つです。)
この合同稽古・練習試合には2年前(つまり2009年から、
剣道再開した次の年からか)から参加してますが、毎年何かを得てます。
ありがたい稽古会です。
特に今回得たのは、
1.攻めの大切さ
2.やっぱり、私は「面」だ。
上記2が大きかった。なるべく短く表現しようとすると、つまり、こうだ。
相手に、自分の「面」が通じなかったら、それまでだということ。
「面」の為に、攻める。「面」技を出して「一本」ならよし、
でも、返されたり、おさえられたりしたら、つまり、攻めが不十分だということだ。
極端な話、ある個人戦の試合で面技で勝負して今年は一回戦で敗退、
来年は二回戦で敗退…でもよいから、行く行くは「攻めて」から「面」が
どなたに対しても「一本」となるような剣道を目指すのが私の剣道の姿だと思った。
極端に言えば。
極端すぎますか…。
少なくとも、その合同稽古でそう思った。
「面」にこだわる理由ははっきりしない。
よく、「面がうてれば、小手も胴もうてる」旨を聞いたことがある。
たぶん、それとなく、小さい頃から。
小学生の頃は、「小手なんかうつな、面で来い!」と
小学生時代にご指導を頂いた先生からは語気を強めて言われては、
先生に向かって行っていた。
なぜか、「面」が重視される。
で、「面」重視の稽古をしていて、本当に小手や胴がうてるようになるかというと、
滅多に一本にできない。
(「うつ」「一本」を、今はごっちゃに話してます。念の為。)
つまり、その状態は小手や胴が「一本」にできるほど、
「面」の完成度が劣るということなのでしょう。
まだまだ「面」の稽古が足りないということなんです。
で、話をちょっと戻すと、これまでは「攻め」が足りないと思ってるし、
攻め方もよく分かってなかった。今も分かってない。
ただ、「こういうことかな。」と「攻め」を意識して稽古できたのが、9/4の稽古。
そして、その上で、やっと「面」の稽古が始まるというか。
ん~、書きたいことはいっぱいあるので、とりあえず、ここで一旦切りますね。
けなも
すると、ログインする際の入力英数字を忘れてました…。
「ブログが削除されてるから?」なんて思ったのですが、存在してました。
良かった…。
それにしても、このブログの仕組みはよく分からないのですが、
「統計」にて閲覧された方の足跡みたいなものが分かるのでしょうか。
海外からの閲覧からもありまして…。Sorry! I am not good at making English sentences, and for the present I will use Japanese only. But if you want to read this blog in English, please ask me to use English. Then I will consider how to make this blog.
ちなみに、「統計」に関する認識が合っているなら、ドイツやエクアドルなどからも閲覧?
ドイツ語は大学の第二外国語でやったけど、全然だめだったね。エクアドル?エクアドル語?
すみません、全然分からないです。
で、最近の稽古で思ったこと書きます。
【9/4(日) 某大手ビール会社殿会場にて、他の会社殿も交え合同稽古・練習試合】
(言われてみれば、このブログ書く直前、一番搾り飲んでた。
おいしいと思うビールの一つです。)
この合同稽古・練習試合には2年前(つまり2009年から、
剣道再開した次の年からか)から参加してますが、毎年何かを得てます。
ありがたい稽古会です。
特に今回得たのは、
1.攻めの大切さ
2.やっぱり、私は「面」だ。
上記2が大きかった。なるべく短く表現しようとすると、つまり、こうだ。
相手に、自分の「面」が通じなかったら、それまでだということ。
「面」の為に、攻める。「面」技を出して「一本」ならよし、
でも、返されたり、おさえられたりしたら、つまり、攻めが不十分だということだ。
極端な話、ある個人戦の試合で面技で勝負して今年は一回戦で敗退、
来年は二回戦で敗退…でもよいから、行く行くは「攻めて」から「面」が
どなたに対しても「一本」となるような剣道を目指すのが私の剣道の姿だと思った。
極端に言えば。
極端すぎますか…。
少なくとも、その合同稽古でそう思った。
「面」にこだわる理由ははっきりしない。
よく、「面がうてれば、小手も胴もうてる」旨を聞いたことがある。
たぶん、それとなく、小さい頃から。
小学生の頃は、「小手なんかうつな、面で来い!」と
小学生時代にご指導を頂いた先生からは語気を強めて言われては、
先生に向かって行っていた。
なぜか、「面」が重視される。
で、「面」重視の稽古をしていて、本当に小手や胴がうてるようになるかというと、
滅多に一本にできない。
(「うつ」「一本」を、今はごっちゃに話してます。念の為。)
つまり、その状態は小手や胴が「一本」にできるほど、
「面」の完成度が劣るということなのでしょう。
まだまだ「面」の稽古が足りないということなんです。
で、話をちょっと戻すと、これまでは「攻め」が足りないと思ってるし、
攻め方もよく分かってなかった。今も分かってない。
ただ、「こういうことかな。」と「攻め」を意識して稽古できたのが、9/4の稽古。
そして、その上で、やっと「面」の稽古が始まるというか。
ん~、書きたいことはいっぱいあるので、とりあえず、ここで一旦切りますね。
けなも
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