とうとう、道場の稽古へ参加しました。
そこの道場は、火、木、土の夜19時から稽古してます。
平日だと仕事が終わって帰宅して防具持って…では間に合わないので、
仕事の無い土曜日に防具を持ち込み稽古に参加しました
(しかも、防具は道場の保管スペースに置かせて頂いた。無理言って…)。
雰囲気が良いと、前回見学時は感じましたし、
実際稽古に参加しての印象も変わりませんでした。
M先生からは、左脇の締めが甘いとご指摘あり。
私の分析だと、左手の握りが甘いか、左手の位置が高いか、
もしくは、その両方だと考えてます。いずれにせよ、正さねば。
I先生からは、攻めが無いとのこと。
はい、言われました…。
が、ここで悩みを記載します。
先生方はどんどん前に来て、私が打ち(面)に出ねば、
逆に失礼かなと思い面に行く。打った後振り返ると、
先生方はずんずん前に来て私はすぐさま面に行く。
「打ってきなさい。」と言う意味と思って。
でも、打つだけ打たせて頂いて、稽古後、攻めが足りないと言われると、
何て言うか、「じゃ、あれは『打ってきなさい。』という意味ではないのですか?」と
問いたくなってしまう。
別に、ここの道場だけでなく、他の道場でも同じ思いをしてる。
はたから見ると、初心者、またはそのような部類に入ると
判断された(?)方々には、先生方はどんどん打たせる稽古をされる。
そして、今回の私も、そのような部類の一人ということだったのだろうと思う。
その部類の人と受け取られているならば、攻め(のつもり)の為に構え合い、
時間をかけて「練る」と、「未熟者のくせに生意気な。」って思われるのではないかと
恐怖を覚える。だから、そのような部類の人と受け取られたなと解釈した際は、
どんどん打っていくことにしている。でも、それが本来あるべき攻めでもなければ、
好ましい形とは思ってない。しかしまた、「これは稽古の一環であり、かかり稽古なんだ。」と
捉えれば、その光景も自然なんだと思う。
そんな中、他の(「こいつはできる。」と認識された)方に対してはじっくり構え合っている
先生方を見ると、結局自分に対する評価は低いんだろうなと思う。
長く書いたが、つまりは、未熟な攻め方しかできてないということを、
もっと素直に受け止めるべきだ。
ちなみに、稽古が終わり帰り際、I先生から攻めが不十分であることを指摘頂いた上で、
攻めとは「打たれて覚えていくもの。」と言われ、何だか前向きな気持ちになった。
道場の稽古に参加する意義がそこにあると思うからだ。
一気に書いてしまいましたので、日本語が分かりにくい部分等あるかと思いますが、
むしろ、深く考えず思ったことを書いたという意味では、今の自分の理解レベルが
表現されていると思えるし、振り返った時、より鮮明にその時の光景を思い出せる
のだろうと思っている。
今後は、土曜日夜の稽古への参加は滅多にないかと思うが、
火、木の稽古には、時間を作ってでも、どんどん参加できるようにしたい。
がんばろう。
けなも
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