2012年4月30日月曜日

ネフローゼ症候群、再発か?

そうそう

最近の稽古不足を嘆き、今日、15kmほどウォーキングしたんです。
上り坂、下り坂ありの道。やはり、足が疲れました。

で、「まさか、再発ってことはないよね…。」と思いつつ、帰宅後、尿検査薬で検査。

…ん?尿タンパク…、え?異常あり?え?マジで?

みたいな。

少し時間おいて、再検査予定です。

たのむよ、俺の体。

けなも
4/30

投稿が久しぶりとなってしまいました…。
この1ヶ月以上、何があったか。

とにかく、仕事が夜遅くまでかかったということ。
但し、私の仕事の仕方が効率悪すぎるということが原因。
仕事の仕方を変えなければ、これからもこの状態が続く。
修正せねばと思いつつ、GWに突入。一息つきたい気持ちで、
今連休を過ごしてる。知識習得に努めようかと思ったが、
とにかく、体も心も休みたい。張りつめた毎日がつらすぎた。
体にも、心にも大きな負荷がかかっていた。明日(5/1)まで休み、
5/2は出勤し、5/3は剣道の試合に出場予定、
5/4~5/6は、どのように時間を使おうか考え中。仕事の「勉強」しなきゃ、
GW明けがつらいと思ってる。休みの時は、100%休みたいのに、
「できない」仕事人は、休みの時こそ、スキルアップしなければと思うが、
どうだろう。

さて、最近の剣道ですが、やはりこの1ヶ月強の過ごし方が影響している。
つまり、十分な稽古ができてないので、思い通りの動きにはなっていない。
何やってんだろ。結局、このまま変わらず、今後の試合に臨むのか。
結局、去年までと変わってない。変わってないなら、結果も変わらないだろう。
こんなんで、いいのか。良くない。では、どうすれば良いのか、どうありたいのか。

仕事も剣道もうまくいってないなんて、寂しいし、情けない。

と嘆いていても、憂鬱な現状は変わらず。
なので、剣道も仕事も、このGWの過ごし方で、少しでも上向くように、
動いてみたいと思ってる。

例えば、剣道で言えば、(まだ決まってないが)6月には実業団の試合に出場する
かもしれない(しないかもしれない。社内選考で負けた…)。仮に出場するなら、
その日に向けて、改めて今すべきことを、それこそ必ず実行する、継続する。
とは言いながら、現実的にできることと言えば、素振り用木刀で素振りすることか。
午前1時~2時に帰宅後、ランニングは厳しいわ。次の日お客様の前で居眠りしちゃう、
それ以上遅く寝るとなると。

仕事で言えば、まず、今目の前で起きている現象を正確につかむこと。
当たり前だけど、まだ、適切に把握・理解できていない。
適切に把握・理解するには、まずお客様を知る。お客様に関わる社内事情を知る。
などなど…、本来ならGWで到底できるはずのない分量があるけれど、
せめて、これまで起きていたこと、これから起きることを今一度正確に理解し、
特に言葉の意味や、ある事象の背景を覚えた上でGW後の仕事に臨みたい。

けなも

2012年3月20日火曜日

2011年3月11日

前回の続きを書きます。

2011年3月11日(金)、小田原にある病院の会計フロアにあったテレビで、
水浸しの街を見た。その時は、それがどういう意味があるのか、明確に分かってなかった。
つまり、一部の街の、一部の被害状況なのかという程度かと思った。

本当はテレビに食い入るように見たい気持ちはあったが、
手持無沙汰とは言え、形式上は勤務時間であったので、
一度、待機場所に戻る…が、相変わらず、無線PCは使えず
地震の被害状況などいまいちつかめない。
いつからか、小田原の街に大津波警報が発令されたアナウンスが流れていたが、
結局いつまで流れていたのだろう。

夕方17時は過ぎたころだろうか、仕方なく出張先から戻ろうと駅へ行けば、
案の定電車は動いていなかった、ことは確認したか、今となってはハッキリ覚えてないが、
上司とは、食事して時間が経ったら事態も収まるだろうからと、食事に行くことにした。
食事の間、覚えているのは、携帯電話がつながりにくいことだった。
そこで、一度、俺だけお店を出て、近くの公衆電話へ向かったが、行列。
たまたま、会社の出張所が近くにあり、固定電話を使って会社へ電話することができた。
会社では、帰宅できずにいる社員が電話にでて、お互いの安否を確認した。
電話の前後、出張所にいた社員たちが見ていたテレビで、被害が徐々に
明確になってきたことを確認したと記憶している。

お店に戻り、上司と再び食事に戻った。そうそう、お店は、俺と同様、
電車再開を待つような方々が多かったようだ。

結局、20時前だったか、電車での帰宅は諦め、近くに宿をとることにした。
上司と共にお店を出て、小田原駅周辺にある宿に向かった。向かったが、全て満室だった。
そりゃそうだ、帰宅できない多くの人が、俺と上司より早く宿をとったんだ。
満室を確認しては次の宿、次の宿へ向かった。携帯電話が使えないから、足でホテルを巡った。
そうしていたのは、俺たちだけじゃなかった。

何十件回ったか覚えてないが、結局、隣の街へ歩こうとなった。夜21時は過ぎてただろうか。
行く方向を間違えると、一日中歩く可能性もある。行く先は箱根と決めた。
箱根方面への道路はすいていた。タクシーに乗りたかったが通らなかったと記憶している。
逆に東京方面の自動車が渋滞していた。あれはメガネスーパー本社前の道だった。

箱根の方向は分かってても、確信持てず、しかも疲れていたので、
とぼとぼ1時間ほど歩いただろうか。途中で箱根方面へ向かうバスがやってきた。
それに乗り、一気に箱根湯本駅まで向かい、降りた。

観光客のキャンセルがあったのか、最初に訪れたホテルに空きがあり宿泊できた。
上司と2人1部屋となった。
ホテルの部屋でテレビをつけて、地震の被害状況を改めて思い知らされた。
文字にするのも憚れるニュースが流れていた。上司は淡々と仕事のことで、
多少はつながる携帯電話で関係者と話をしていたが、私は仕事よりも
被害の状況を理解しようと、まずは胸騒ぎを抑えようと努めていた。

ホテル(だけではなかったらしいが)の公衆電話は無料で使えたので、
東北の実家に電話した。実家では停電となってしまっており、寒い3月、
暗くテレビもつかない部屋で、ラジオだけをつけ、布団にくるまっているという
家族と話をした。ホテルのテレビを見た分、改めて家族が無事であることに安堵した。

夜中眠っている最中、設定していない携帯電話の目覚まし時計が鳴った、
いや、マナーモードが解除されて、聞きなれない着信音がけたたましく鳴った、
いや、それが地震を知らせる警報音と知ったのは、夜が明けた日以降だ。
寝ている上司を起こしてはまずいと、寝ぼけた状態で懸命に、うるさい携帯電話を
探し音を止めようとした。が、鳴っていたのは、俺の携帯電話だけじゃなかったことが
冷静に時間が経てば経つほど、思い起こされる。

次の日の朝、土曜日、9時頃、小田原のお客様の安全を改めて確認した後、
相模大野にある別のお客様の安否を確認しに向かった。
向かう途中、通常なら1時間程度で済む移動も、4時間ほどかかった。
電車が慎重な移動を重ねた為、待ち時間も長ければ、実際の移動時間も長かった。

その移動中、ワンセグを使ってニュースを逐一確認した。
すると今度は原発の話が大部分を占めていた。今度は一体何が起こったんだと、
これまた状況をしっかり理解できずにニュースに食い入った。

相模大野のお客様の安否が確認できて、やっと帰宅の途に就いた。
夕方16時くらいだったろうか、自宅の近くまで来てドラッグストアで買い物をし終わった矢先、
今度は、携帯電話が鳴った。小田原のお客様からだった。テレビを見てるかとのこと。
結局、ワンセグは場所によってつながり悪く、相模大野からの帰りはそれほどワンセグを
見る機会が無かった。そんな中、お客様から言われたことは、計画停電に向けて
協力して欲しいという話だった。何だか休む暇もない。また何時間かかけて
小田原に戻るのかと思った。が、よくよく詳細を確認すると月曜から対応が必要かも
ということで、一旦、家に戻った。

と、ここまで記載したのは、あの日の出来事を忘れたくないという気持ちがあり、
文字にしたかったこと。それに、ちょうど2011年2月、剣道再開後初めて昇段審査に挑み、
四段合格した時期でもあり、剣道に、気持ち新たに取り組もうと思った頃だった。
そこで、それまでよりも素振りに取り組む頻度は上がった。ちょうど、その頃の地震で、
しかも、原発の問題が生じた。すると、外に安易に出るのを控えることになり、
結局、外での素振りは当分控えたという状況につながった時でもあった。
私の剣道へ取り組もうとする気持ちや行動に大きな影響を与えた出来事でもあった。

また、改めて、関連する話をします。今日は長く書きすぎた。

けなも

2012年3月11日日曜日

3/11

1年前の今日、つまり、2011年3月11日(金)、私は小田原で仕事をしていた。
小田原のお客様との打ち合わせを控えていた。そして、午後2時46分頃を迎えた。

最初、地震と言うよりは、小田原の地で何かが起きたと思った。
お客様先の建物の中で待機していたが、揺れの中、外へ出た。
周りにあった木が揺れていた。駐車中の車が揺れていた。
周りの人々もその揺れに「何が起きているのか。」という疑問に対する答えを探ったと思う。
つまり、すぐにそれが地震とは確信できなかったと思う。
あとで分かったが、震度4弱。それ程の揺れを体感したのは初めてだった。
しかし、今度は、それがどの範囲なのか、想像はつかなかった。
2回大きな揺れが来た。異常だと思った。

その後、無線LANで使っていたPCが使えなくなった。
当然、お客様も仕事どころではなく、すぐにお客様内で地震時の緊急体制がとられた。
そして、当然、私もその日の仕事は全てキャンセルとなり、一気に手持ち無沙汰となった。

間もなくして、近くの病院にむかった。会計で人が集まるフロアにテレビがあった。
そして、その画面には水浸しのどこかの街が放映された。何が起きたんだろうと思った。

一旦、ここまで。間もなく、黙祷の時間だ。

けなも

2012年2月19日日曜日

やっと稽古

2/16(木)

この日は、ある程度区切りがつきそうな仕事状況だったので、
思い切って夜の稽古(19時開始)へ向かいました。

「完璧」な仕事の終わりではなかったと認識していたので、
自分の中では葛藤がありました。

「『仕事が先、趣味は後』であるべき。」という考えと、
「仕事が『完璧』に終わらないことが負い目となった精神状態で
 思い切って区切りをつけて、切り上げてみることも重要な仕事のやり方じゃないか。」
ここで言っている意味は、今日やらねばいけない仕事ではないのに、または、
明日やってもよい仕事なのに、仕事に追われていると夜遅くまで仕事に向かわないと
落ち着かない精神状態に対するコメントと思って下さい。
実際、仕事は山積みですが、その日にすべきものという意味では、その時点では無かった。

(というのは、本当に正確な分析だったか、今でも自信が持てない部分がありますが)
とにかく思い切って、道場へ向かいました。

久々の道場への稽古。前回が1/28(土)の夜でしたので、不参加続きに何かしら非難の
お言葉があるかと心配する部分はありましたが…。

結論としては、普通に稽古ができました。

何名かの先生に稽古を頂きましたが、M先生(範士八段)から頂いたお言葉が斬新でした。
「なかなかいい稽古をされますね。」とのこと。

今まで「いい面だったね。」とか、技に対するコメントを頂いたことがありましたが、
「いい稽古」というのは、今まで無かった。
どのように解釈すべきか、色々な見方はあるかと思いますが、
その先生に向かった感じで、今後も他の先生方に向かおうかと思いました。

で、どのように稽古したかと言えば、単純に(私なりに)攻めて、面。それだけ。
一つ一つの面は、もちろん、気合を入れて、捨てて打つ。それだけ。

仮に、それが「いい稽古」ならば、今後は、その精度を高めていきたいと思う。

さて、今週はその道場で稽古できる日があるかな。

けなも

2012年2月16日木曜日

道場へ行けない日々

1/28(土)道場で稽古して以降、道場で稽古できず。

最近の仕事。深夜帰宅ばっかり。
今日は、本当にめずらしく22時30分頃帰宅し、風呂入り、そして今ブログしている。

例えば昨日(厳密には今日)、
定期区間どころか、定期区間外、且つ、それで家まで近い駅で降りる。
もう少し厳密に言うと、定期区間外、且つ、家の最寄駅の一つ手前の駅が
終着駅となる電車が最終電車であり、それに乗った。そして、その駅を降りて、
家までおよそ6km?ひたすら歩いた。1時間30分程、帰宅した時は午前3時近くか。

入社して間もない頃、深夜まで仕事をした時があった。直属の上司から、
電車で帰られる所まで電車で移動し、その後タクシー使って(後日会社精算して)いいよと
言われ、そのようにした。が、後日、その上司の上司(精算承認者)から、
そんな仕事すんな!と結構きつく怒られ、それ以来自腹。
試算すると年間20万円は超えてる計算。タクシーやホテル代などなど。
でも、最近はそもそも自由に使えるお金も無く、なるべくタクシーも利用しないと決めていた。

なので、昨日も歩いた。一昨日も歩いた。一昨日は定期区間外、且つ、最寄の駅まで
電車で移動し、その後50分ほど徒歩で。帰宅は、それでも2時過ぎてたな。

先週は、研修続きの毎日で、でも研修が終われば、結局業務に戻りで、
何だかんだで、深夜帰宅(なんなのそれ)。

先々週も、結局、昨日、一昨日みたいな毎日で。

で、せっかく道場に行きたいと思ってたんだけど、
当時の自分の期待を裏切る状況が続いてる。
しかも、昨日の徒歩で足の裏の皮がおかしくなってるし。

と、何だが誰かに聞いて(読んで知って)もらいたくて書いた。

入社から数年間の自腹の日々では、そんな状況に腹が立ってしょうがなかったが、
今は、どちらかと言うと、道場で稽古ができないフラストレーションが溜まってしょうがない。
これじゃ、道場に剣道具一式を置かせて頂いているだけと、道場の先生方に思われて
いるのではと思うこと自体が、余計なフラストレーション。

とまあ、そんな毎日でして、なんていうか、体も心配。ネフローゼが再発しないだろうかとか。

不安、不満、恐怖心で悶々の毎日です。

とまあ、そんな時でも剣道(素振りとか)やる人こそ強いんでしょうけど
(試合とかという意味と、気持ちとかという意味と)、
ネフローゼ再発も怖く、その意味でもとにかく睡眠不足も避けたいことから、
間もなく寝ようと思ってます。今日こそ4時間30分~5時間は寝てみたい。
甘い?
でもネフローゼ再発って、ほんと怖いんですよ。
以前書いたけど、体ってもろいんだなって、思うんですよ。
一回ネフローゼ再発した者からすると。

なんか逃げに思えてイヤ。でも、(一般の健常者以上に)体をしっかり休むべきとは
思っているので、その点も事実。つまり、十分な睡眠をとるべきと言う点。

で、だから、なおさらフラストレーションも溜まる。素振りも思うようにできず。

ちくしょう!っていう感じです。

けなも

2012年1月29日日曜日

1/28(土)

とうとう、道場の稽古へ参加しました。

そこの道場は、火、木、土の夜19時から稽古してます。

平日だと仕事が終わって帰宅して防具持って…では間に合わないので、
仕事の無い土曜日に防具を持ち込み稽古に参加しました
(しかも、防具は道場の保管スペースに置かせて頂いた。無理言って…)。

雰囲気が良いと、前回見学時は感じましたし、
実際稽古に参加しての印象も変わりませんでした。

M先生からは、左脇の締めが甘いとご指摘あり。
私の分析だと、左手の握りが甘いか、左手の位置が高いか、
もしくは、その両方だと考えてます。いずれにせよ、正さねば。

I先生からは、攻めが無いとのこと。
はい、言われました…。

が、ここで悩みを記載します。

先生方はどんどん前に来て、私が打ち(面)に出ねば、
逆に失礼かなと思い面に行く。打った後振り返ると、
先生方はずんずん前に来て私はすぐさま面に行く。
「打ってきなさい。」と言う意味と思って。
でも、打つだけ打たせて頂いて、稽古後、攻めが足りないと言われると、
何て言うか、「じゃ、あれは『打ってきなさい。』という意味ではないのですか?」と
問いたくなってしまう。

別に、ここの道場だけでなく、他の道場でも同じ思いをしてる。

はたから見ると、初心者、またはそのような部類に入ると
判断された(?)方々には、先生方はどんどん打たせる稽古をされる。
そして、今回の私も、そのような部類の一人ということだったのだろうと思う。
その部類の人と受け取られているならば、攻め(のつもり)の為に構え合い、
時間をかけて「練る」と、「未熟者のくせに生意気な。」って思われるのではないかと
恐怖を覚える。だから、そのような部類の人と受け取られたなと解釈した際は、
どんどん打っていくことにしている。でも、それが本来あるべき攻めでもなければ、
好ましい形とは思ってない。しかしまた、「これは稽古の一環であり、かかり稽古なんだ。」と
捉えれば、その光景も自然なんだと思う。
そんな中、他の(「こいつはできる。」と認識された)方に対してはじっくり構え合っている
先生方を見ると、結局自分に対する評価は低いんだろうなと思う。

長く書いたが、つまりは、未熟な攻め方しかできてないということを、
もっと素直に受け止めるべきだ。

ちなみに、稽古が終わり帰り際、I先生から攻めが不十分であることを指摘頂いた上で、
攻めとは「打たれて覚えていくもの。」と言われ、何だか前向きな気持ちになった。
道場の稽古に参加する意義がそこにあると思うからだ。

一気に書いてしまいましたので、日本語が分かりにくい部分等あるかと思いますが、
むしろ、深く考えず思ったことを書いたという意味では、今の自分の理解レベルが
表現されていると思えるし、振り返った時、より鮮明にその時の光景を思い出せる
のだろうと思っている。

今後は、土曜日夜の稽古への参加は滅多にないかと思うが、
火、木の稽古には、時間を作ってでも、どんどん参加できるようにしたい。
がんばろう。

けなも