2013年6月9日日曜日

6月上旬の剣道

月報だっちゅうーの。

すみません。あれこれやってると、あっという間に次の月を迎えます。

ランダムに記載します。

6月1日親戚の結婚式があり、札幌まで行きました。
本当は防具を持って行き稽古もどこかでできないか
考えていたんですが、諦めました。

ただ、木刀は持って行きました。

日課ですから。

実際、移動開始は前日の5月31日。
初の札幌。せっかくですから、札幌に行ったのなら、
そこでしかできないことを!

とすると、やはり、札幌ラーメン!!!


宿泊先のホテルの方に聞いたら、「一幻」が有名とか。
早速行きました!

すすきの駅から歩いて、歩いて・・・、おいおい、結構歩いたよ。20分くらい?
30分くらい?途中迷って道聞いたから?
それにしても、「すすきの」って有名な飲食街とは聞いてたけど、
昼間行ったわけだけど、なんか、そんな雰囲気が昼間から出てたように
感じました。

で、「一幻」に行ってきました。上の写真がそこのラーメン。
ごちそうさまでした。

それを食べて、結局、歩いて札幌駅方面へ。15時頃?
せっかく札幌に来たんだから・・・、と何と一人カラオケへ行きました。
1時間程。どうも、腹筋が弱ってたことを痛感して残念な気分でカラオケを
終えました・・・。

で、改めて札幌駅へ。




時計台にも行ってきましたよ。

途中でふと思い、札幌にある武道具店を検索。
そして、武道具店へ。これまた歩きました。30~40分くらい?
武道具店によっては、商品があちこちへ置かれてたりしますが、
きれいに置かれてました。

で、お店の方に「近くに道場があるか」お聞きした所、そのお店の目の前にある
中央体育館で土日朝6時から一般の方向けに稽古会をやっているとのこと。
あー、防具持ってくるべきだったー、と時間が経つ毎に、その思いが強くなりました。

中央体育館にも寄って、未練を残しながら、改めて札幌駅へ向かいました。
もう18時をまわってました。

ホテルへ戻り、ちょっと一眠り・・・

しまった!

目が覚めたら深夜2時30分。

俺は札幌に何しに来た!(結婚式に参加だっちゅうーの。)
滅多に来ない札幌。

何と思い切って、その時間帯に開いているラーメン屋を探し、
タクシーでぶっ放し、ラーメン!



五丈原。大盛りを注文。

しかし、後悔してます。
起きて30分以内に、味噌ラーメン大盛りとは。しかも、夜中。
体に悪いっつーの。それに、タクシー使いやがって!お金無いのに!

結局、そんな思いで、改めて札幌駅方面へ歩いて。トボトボ。

途中で、すすきのの繁華街を通る。いやー、タクシーが沢山、大通りにならんでる。
こんな光景初めて見た、と言っても過言ではない。人も沢山。
みんな何やってんの?寝てないの?

会社の同僚からは噂で聞いてたけど、そういう街なんですね。

ちなみに、私は、いわゆる、そういう夜の街で遊んだことは無いんです。
一度も。興味はあるんですけど、何て言うか。
お酒はそんなに好きじゃないし、夜は寝たい人だし、
女性に関しては一途、一筋なんです。

そういう生き方のデメリットは、やはり限られた社会しか知らないと言う事。
でも、メリットは、相応にあると感じてます。

さて、3時にラーメン屋で食べて、15分後くらいに出て、すすきのの街を抜けて、
いわゆる「大通り」へ。時間は4時近く。空は薄暗くなり始めてました。

はい!ここで、剣道です!
(やはり、そうこなくっちゃ)

ここで、いつもの素振りしました。
(そうそう、木刀持ってラーメン屋行き、すすきの歩いてました。)


4時20分~30分くらいまで素振りして、改めて札幌駅へ。
そして、ホテルへ。風呂入って寝ました。

無事朝予定通り起きて、親戚結婚式へ。

長く書きすぎました。また改めて書きます。

けなも

2013年5月8日水曜日

5/3試合を振り返り。なぜ一本にできなかったのか。

勝って喜んだり、入賞して嬉しかったり…。
それで終わらせてはいけない。

5/3の反省点はもちろんだが、負けた試合を
きちんと振り返らないと。

なぜ負けたか。

なぜ一本取られたのか。
なぜ一本にできなかったのか。

なぜ一本取られたのかに関しては、
まだきちんと分析できてない。
簡単に言うと、相手の面を受けようと手元を上げた。
その際、相手は面を打たず、一瞬間を開け、
両者「間」があった瞬間(私が手元を上げている所)を、
巧みに引き面を取られた。

ただ、きちんと分析したい点だが、
相手の「面が来る。」と分かった瞬間だった。
敢えて体を動かして防がなかった。なぜだろう。
直感というか、その時の率直な思いとしては、
「取られるとしたらここだ。」ということ。

勝つことに諦めてた?分からない。
ただ、少なくとも先日の反省点にも書いたが、
体が重かった。勝ちに執念を抱いていたら、きっと防げた。
しかし、そこまでの気持ちが起きなかった。

なぜだ。

なぜだ。

なぜだ。

2回先生方に勝ったことに満足した?
これ以上良いパフォーマンスを発揮できない(程体力がもたない)と
いう自覚があった?

実は、週1~2回通っている道場の地稽古でも似たような瞬間が
いくつもある。

それは…

やはり体力が追い付かず諦めている、に近いな。

つまり、
つまり、

楽をしているということか。

苦しくても最後まで諦めない気持ちで相手に向かっているか。
そこが足りないのか。

つまり、そういうことなんじゃないかと、書いてて思う。

仮にそうだとすると、歓迎すべきことじゃない。
いや、むしろ、剣道修行において、いや人生において
辛い時に、苦しい時に「楽になりたい」と思っても、
楽しちゃいけない。

自分が辛い時は相手も辛い時。
そこで踏ん張れるか、踏ん張れないか。

そういうことではないだろうか。

「なぜ一本取られたのかに関しては、
 まだきちんと分析できてない。
 簡単に言うと」と書いておきながら、ツラツラ書いてしまった。

ブログでは一旦ここまでにするが、考えねば。
何となくそんな気がする。

「なぜ一本取られたのか。
 なぜ一本にできなかったのか。」

後者。

以下は、3回戦。お相手の先生との試合。ある瞬間。

本当に一瞬です。

私が左。お相手の先生が右。


話逸れますが、このブログ始まって以来、
初めて剣道の画像を貼り付けるという…。
今まで文字だけで(画像と言えば、広島の
宮島剣道大会参加記念の野球・カープ写真と言う(笑)2011.10.12ブログ)

さて、私が相手の面を打っていて、お相手の先生は小手を狙って
外れているという瞬間です。

一本になりませんでした。
非常にもったいない場面です。お相手の先生は非常にお強いと聞いておりました。
もし勝ち・負けに拘る立場に立つ方なら、こんな機会は滅多に無い。
こんな機会を私は逃したのです!

いや、試合の勝ち・負け以上に、
真剣勝負なら、なおさら。生きるか否かがかかるその瞬間です。
私はモノにできなかったのです。


検証「なぜ一本にできなかったのか。」

下手な検証をするより、ここでこそ、『剣道試合審判規則』から、
「1編 試合」「第2章 試合」「第2節 有効打突」「第12条」より

「有効打突は、充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で
 打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする。」
(参考 全日本剣道連盟HP:http://old.kendo.or.jp/kendo/rules/rule1.html

まず

充実した気勢があったか。

厳しく言えば、この面に限らず、開始時から腹から充分な発生が
出来てなかったと思っている。この試合に限らずだが。また、試合を
重ねる度に気合が弱々しくなっていると、ビデオを見て振り返っている。

次に、

適正な姿勢だったか。

まぁ、一流剣士は、たとえ一瞬であろうがなかろうが、
画像のような姿勢にはならんだろうなぁ(笑)。
背中が丸まっている感じがする。

どうせ求めるなら、より美しい姿勢・打突でありたい。
反省点としては、腹から・腰から打突しているかということか。
攻め足の右足をより積極的に使い、打突しているか。

素振りから見直さねば。

さて、

竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突しているか。

まぁ、打突した時のことは覚えてないので(打ったと自覚した瞬間はあったが)
写真にて検証するしかなく、

まぁ、あまーーーーく見て、

んーーーーーーー

まぁ、「竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突」してないと
言う程のエビデンスを得られず…、

一旦、保留。

最後、残心あったか。

クセだけど、万歳するね。その後、相手見て中段に構えたけど(外見上)
内面として、相手にいつでも向かえる気持ちになってたか。
一本にならなかったことに多少なりとも気持ちを奪われてなかったか。

ということで、有効打突でなかったということだろうか。

長い。いつもすみません。

「なぜ一本にできなかったのか。」より以前に、
なぜ一本取れなったのか。

有効打突を打てる実力が無い、
それも、どんな時でも、どんな相手でも、
ということであり、つまり、稽古不足ということだ。

本日も200本済。

けなも

2013年5月4日土曜日

地元の試合に出場

4/29(月)深夜バスに揺られながら東北の実家へ…。

と一言でまとめてしまったのですが、さすがにG.W.期間中は、
直前のバス予約をしようとしても出来るはずもなく、つまり、
既に満席の為、実家への直通バスは利用できませんでした。

代わりに、まずは深夜バスで仙台まで行って、その後実家の最寄駅まで
電車で向かうという、遠回りな手段を使い移動しました。

新幹線使いたかったんだけど、そんなお金に余裕が無く(泣!)
「深夜バス+遠回り手段」の方がまだ新幹線より安いっていう。

どうせ新幹線代とくらべても数千円の差なのに、その数千円を
余らせるか、費やすかで家族の機嫌が変わるという何とも不条理な!(泣)

ということで、新幹線なら数時間で着く所を、深夜バス+遠回り手段によって
12時間かけて帰省しました(ハハハのハ…)。

思いついたこと、感じたこと、見たもの聞いたことを、ザーッと述べていきます!

深夜バスの隣の席が女性だった!過去隣が女性だった記憶は無い。
そんなこともあるんですね。バス会社にもよるのかな。意外で印象強かったので、
書きました。

仙台には4/30(火)5時頃着いたのですが静か・穏やかでした(早朝ですからー!)。

仙台駅近くにBiViっていうショッピングモールあるんですけど、朝5時でも営業
している「半田屋」で飯食いました。いつもは「飯の半田屋」と名前を覚えてたんだけど
「半田屋」が正しい名称なのかな。カレー、かけそば、納豆、白身フライを食べました。

実は、私が予備校時代にも「飯の半田屋」にはお世話になってて、懐かしくてつい
寄ってしまいました。ちなみに、私がお世話になってた「飯の半田屋」は、駅から歩いて
20分程の所に当時はあって、その隣には頻繁に利用する銭湯があって、見慣れた風景
ということもあり、「飯の半田屋」には親近感あるし、お世話になった所なんだな。

従業員の方も清潔感あって、24時間営業店は、そういう所が重要だと今回も思いました。
24時間、店を開きっぱなしだと、どこか室内が汚れてそうで食欲が落ちそうな先入観が
ありますが、半田屋は違うんだな。素敵なお姉さま達です。

さて、深夜バスはほぼ眠れず(『Empowerment』聴いてた訳ですが)仙台から実家へ
向かう電車で眠れるかなーと思いましたが、何とか少しだけ眠りました。

それにしても、実家へ近づくにつれ、寒い!
東京出る時は厚着していくべきか悩みましたが、厚着で正解だった。
ちなみに、先に言っておくと、G.W.期間中実家の地域は全日雨!
しかも全日10℃以下!サブッッッ!!!(北海道では連日雪だったみたいだね。)

さて、何とか実家には10時頃には着いて…熟睡。
(俺は何しに実家に行ったんだ!)

いやいや、ここから剣道の話ですよ。

東京から実家へは重い防具と、素振り用木刀+竹刀3本携えて移動。
(だから重かったよ~(泣))

で、夕方地元の高校で稽古!部員少な!1年~3年合わせて十何人?
俺の代では、同期女性(一学年)だけで十何人いたよ!
武道必修化が奏功して、部員が増える日が来るのでしょうか。

さて、4/30、5/1、5/2の各々夕方稽古しました。
(みんな、ありがとう!)

で、5/3(金)地元の試合(個人戦)に出場。

結果から言うと、3位。

久しぶりの、久しぶりの、久しぶりのー!3位入賞!
入賞すんの、ほんと何年ぶり?高校の地区大会優勝以来?
としたら、15年ぶり?
ほ ・ ん ・ と ・ かー!!!

どんなに小さな試合でも入賞すると嬉しいもんです。
と、今の私は思う。

でも、絶対忘れてはいけない事。

私は今回よそ者として特別に試合に出場させて頂いた。
その試合の為に、審判、係員等担当されている先生方が数多くいらっしゃる。
私は、そのような運営側とは一線を画し、今回自分のペースで試合に参加した。
だから、余計な気づかれ等は無い状態だった。

そんな中での入賞の重み・位置づけをよくよく考えるべき。
入賞したことは嬉しい事。でも、その嬉しいと感じる「舞台」を用意して頂いている
ということを絶対忘れてはいけない。

また、私の一回戦の先生は、運営側の責任重い方のお一人。審判もこなし、
余裕もなく面をつけて私との試合に臨まれた。充分に気を落ち着かせることも
無かっただろうと推測される。

また、私の二回戦の先生も(その試合は小中高の試合も行われるのだが)、
生徒に指導をされながら試合観戦を朝より続け、夕方近い試合に臨まれた
ということを、私は決して忘れてはいけない。

その意味で、私はある意味勝って当たり前の環境に置かれただけであって、
先生方はとても不利な状況で試合に臨まれたということを、私は、忘れては
決していけない。

「たまたま勝たせて頂いた」本当にそれだけだ。

その上で、一回戦は面一本。二回戦は面二本を取って勝利した。
三回戦は、私の母校の、現在の顧問をされている先生との試合。
面を一本取られ負け。

反省点。
・発声が良くない。もっと腹から「通る」声、相手を威圧する気合が必要。
 まだ喉から声が出てるようで、格好悪いし、剣道らしくない。

・左足が、打突前、曲がってる。ダメダメ。やはりヒカガミを曲げず、また、
 目線も並行での剣道を目指さねば。

・三回戦の先生と試合してて感じたのは「肩が重くなって疲れた」。
 つまり、稽古不足。まだまだ基礎体力が足りない。

・面を取ったと言っても、録画した動画で見ると右半身になってる感じ。
 真っ直ぐ打突する姿勢に欠けている。ダメダメ。

・やはりバリエーション無いね。有効に出来たのは面くらい。もちろん、
 それは結果なのかもしれないけど、でも飛び込み面ばかり。
 物足りない。面返し胴も、まったく不十分だった。
 連続技も無し。もちろん、連続技も結果なのかもしれないけど。

どんなに小さな試合でも入賞できたことは嬉しい。
でも、その試合を支えて下さってる方々のことを決して忘れてはいけない。

また、勝ち・負けは置いといて、今回の試合で得た「反省点」を、必ず、
次の稽古に活かすこと!それが試合に出場させて頂いた意義であり、
そのような場を提供して頂いた皆様への恩返しと考えねばと思う。

長く書きすぎた。ごめんなさい。

けなも

『Empowerment』を聴いての感想

やはり、すみません、まずは剣道以外の話で。

SING LIKE TALKING(以下、S.L.T.と略します。)の話です。

4/27の25周年ライブ時に購入した『Empowerment』、
聴きました。

感想。

久しぶりS.L.T.らしい曲を聴いたというのが率直の感想です。
聴いてて嬉しくなりました。

私はデビュー時から1990年代のS.L.T.が好きだと以前ブログに書きました。
10thアルバム『METABOLISM』(2001年9月26日リリース)以降、どうしても、
そのリズム、音楽感に心から浸れなかった(それは自らの変化が原因なのかも
しれませんが)。

だから寄りかかりたい「柱」が無いまま10年が過ぎた感じです。
いや、90年代までのS.L.T.がいつも私を励ましてくれたといった状況でした。

『Empowerment』では、「Together」以来、一曲目に「遊び」を感じました。
聴いててワクワクしました。
『METABOLISM』っぽいリズムもありながら、一層洗練されたS.L.T.を
味わうことができました。

・・・と書きましたが、『METABOLISM』の延長線上に『Empowerment』がある?
とした場合、『METABOLISM』あっての『Empowerment』なのかもしれません。
すると、もしかしたら、違う観点から『METABOLISM』を聴き直すと、違う発見が
あるのかもしれません。

『Empowerment』に関して、これまた率直な感想としては、前半の曲が特に
気に入ったということです。後半の曲ももちろん良いのですが、前半の曲が、
私にとってのS.L.T.らしさがあるという感想です。

4/27に購入し、その夜聴き感動し、その後ずーっと聴いてます。
4/29は日中CDラジカセで日中ずっと、4/30はスマホで暇さえあれば聴きまくって
ました。

私が好きなS.L.T.の曲。またS.L.T.に逢えて良かった。

もちろん、このブログ書きながら『Empowerment』聴いてます。

(今、このタイミングで、「Desert Rose (Adenium)」始まって、
 出だし部分、Richard Marxのあの曲のリズムと似てるように思えた。
 決して変な意味で言ってるんじゃなくて、飽くまで私見であり、でも、S.L.T.が
 Richard Marxと良い意味でダブって感じられて嬉しいんです。)

やっぱり、ここでも、S.L.T.ありがとう。
S.L.T.と共に時間を過ごしているのは楽しく、嬉しいです。

けなも

2013年4月28日日曜日

2013年4月の剣道

さて、2013年4月の剣道を記録したい。

4月に入っても200本素振りは、もちろん続けた。
何気ない日々が続くはずだった。

ところが、4月4日(木)から、急遽家族の一人が入院した。
原因不明の高熱と首の痛み。近くの病院に入院。
当初は、何とか菌(忘れた)の影響による症状で、抗生物質を
投与すれば治るはずということで、症状改善を待った。

が、一向に良くならず、むしろ一層悪い状態になっていく。
熱は39℃~40℃という状況。全く熟睡できずうなされている。
そのうち、突然叫びだす。意味不明に叫びだす。脳がやられたのか。
しかし、医師は脳への影響は否定する。

4日、5日(金)、6日(土)、7日(日)と、私も会社を早退、または、休む等して、
面会が許される時間まで(22時は過ぎてたな)家族に付き添ってた。
一日一回は意味不明の叫びが始まる。時間は数分から5分。
それを傍らで、何もできず、落ち着くまで抱きしめていることしかできなかった。

その間は、一応、帰宅後、素振りは実施している。
(4日だけ未実施だったかな…。)
少なくとも、土日行ってる道場には、その時は行かなかった。
朝から夜まで傍らにいた。ほぼ一日中。

そして、8日(月)、土日明けで医師も通常体制(という表現が正しいのか)で
午前中に検査が始まった。すると、新たに病名が判明すると共に、合併症
として「心不全」との結果が出た。心不全!はあ?

すると、その病院(560床規模の診療科がそこそこ揃ってるはずなのに)では
それらに対応できる医師・体制が無いとのことで、すぐに別の病院へ転院する
ことになった。

私は午前中会社に行ってたが、その結果を知りすぐにその病院へ向かった。
転院先の病院としてA病院を勧められたが、地理的に遠い。何か起きた時に、
すぐに駆けつけるには時間がかかるし、未知の土地だ。

そんな中、私の仕事の関係で通う場所の近くにあるB大学病院を、
私から提案した。既にA病院前提で動いていた医師達には悪いことをしたが、
そこもまた、家族の状態を診られる医師・体制のあるとのことでB大学病院へ
転院することにした。

そして、さっそく8日(月)午後から家族はB大学病院へ向かった。
私は着替えも持たず、8日夜から付き添った。家族の状態が悪い一方、
看護師も細かいこと(家族の細々としたリクエスト。例:水飲みたい)には
いちいち対応することはない(家族自身が看護師を適宜呼び出せないことも理由)ので、
付添い用ベッドを借り、泊まった。ちなみに、重症患者用の個室だった。

8日は素振りはしなかった。

9日(火)、会社は休む。夕方一度だけ家に戻り、着替え、髭剃り道具等、そして、
室内用素振り木刀を持って、B大学病院へ戻った。

入院している家族が、何とか寝静まった頃、病室を出て待合ロビーにて、
素振りをした。とは言っても、病院内ということで、本来ならそんな行為は非常識
なんだと思う。が、細々と、人の気配が無い深夜に実施させて頂いた。
(誠に申し訳ございません。)

素振り後は、もちろん、すぐに病室に戻り、家族の様子を見た後、
付添い人用シャワーを利用し、汗を流した。

10日(水)、朝は会社に向かった。日中は、私の母が東北の実家から仕事を
休んでB大学病院まで駆けつけてくれた。その為、私は一旦夕方まで仕事をして、
その後病院へ戻り、母と交代の上、病室に泊まった。

入院している家族は所々起きては具合悪そうにするが、4日から入院していた際の
状態と比べると、比較的改善していたように思えた。

11日(木)、同じように朝は病院から勤務先へ向かった。12日(金)も同様。
13日(土)、14日(日)は、仕事は休みの為、もちろん一日中付き添った。
一週間、病院で寝泊まりしたことになる。

自らが、ネフローゼ症候群(2001年6月14日(木)~8月5日(日)。覚えてるんだな。)、
網膜剥離(2007年6月11日(月)か前日から、一週間。こっちは明確じゃないんだな。)で
入院した時以来、病院で過ごした。

さて、4月15日(月)には、家族の症状が改善したとのことで、個室から共用部屋へ
移った。それに伴い、付添いは20時までというルールの為、その日から家に戻る
生活へとなった。やっぱり家はいい。

4月19日(金)、無事家族が退院。家族にとっても、私にとっても負担の大きい2週間だった。
ちなみに、19日だったか、20日(土)は素振りをしなかった。疲労が溜まったと、自分に
言い訳を作ってしまった…。悔やんでる。

21日(日)からは通常通り素振りを続けている。

そして、4/27(土)午前、久しぶりに街の道場に行った。体はついていけるか非常に
不安だった。たしかに、3月時点の動きと比べて鈍いし、すぐに疲労を感じるし、
丁寧さが欠けていた。

しかし、かろうじて、と言うか、素振りのおかげで復帰を諦める程、体がなまっている
訳ではない。周りの機敏な動きをしている同年代のみんなを見ていると焦るけど、
またやり直すしかない。繰り返すけど、やり直すしかない。それしかない。
(8年のブランクに比べたら1ヶ月なんて!)

いずれにせよ、家族が回復してくれて良かった。最初、「心不全」と聞いた時は、
とにかく重篤な印象しかなく、どうなるかと不安でいっぱいだった。
これで何かあったら、医者になろうかと思った程だ。誰も助けられないなら、
俺が助けられる人になる!みたいな。その際、剣道は捨てなければいけないん
だろうかと考えさえした。極端な発想だけど、そんなことを思ったりもした。

剣道は強くなりたい。

ただ、家族と剣道を天秤にかけたら、迷わず家族をとる。
(家族の状況を見て、素振りはしたが。)

今回は、結果的にも、家族を第一としながら、かろうじて剣道ができたということであり、
家族が回復したことで、剣道もある意味再開できる状態になったと言えよう。

剣道をするには、剣道で強くなりたいなら稽古をすること。
でも、その為には、私、そして、家族が健康であることが大前提。

そして、その為には、普段から規則正しい生活を送らねば。

ということで、これ以上の夜更かしは止めねば!

けなも

2013年4月27日土曜日

ありがとう SING LIKE TALKING

久しぶりの投稿(月報…)で、いきなり剣道以外の話です。

本日(4/27)、SING LIKE TALKING25周年ライブ行って参りました!

結論から言うと、満足と言う気持ちと、3時間半(18時過ぎ~21時40分頃)では
時間が短すぎ、物足りないという気持ちの両方です。
行って良かったと思ってるんですよ。

17時30分頃有楽町に到着。少し周りをうろうろして、40分東京国際フォーラムに到着。
想定通り、CD売っていたので、過去レンタルでCD借りたことあるけど持っていなかった
初期のCDを探した。結果としては「3rdアルバム『III』(1990年4月25日リリース)」と
「12thアルバム『Empowerment』(2011年5月18日リリース)」を購入。後者は、25周年
特設サイトにて「純然たる3人のシングライク印(じるし)みたいなものが結構強く出た
アルバムじゃないですかね。」(藤田千章談)等、他のメンバーにとっても印象に残った
作品らしく、魅かれて購入。

本当は1stアルバムも買いたかったけど無かった…。

その後、行列に並んでキーホルダーも購入し、トイレ行ってたら、あと5分ほどで開始する
とのことで、急いで席へ。

比較的早期にチケット購入したと思ったけど、会場1階の、後ろから10列以内の所の席…。
後ろすぎー、と思いながら会場を埋め尽くしたファンの皆さんと待った。

それまでBGM(私は知らない誰かの歌…)が続き、18時過ぎても開演しない。いつ始まる
のかなー、って待っていたら…「INTERLUDE:You are love」がBGMとして流れた。
その途端、会場が拍手で包まれた。開演だ!

そして、少しづつメンバーが集まり、佐藤竹善も登場。会場が一気に盛り上がる。

一曲目は、特設サイト「思い出楽曲投票ランキング」で第一位だった
「Seasons Of Change」から始まる。さすが、ファンの期待に応えてる!

ちなみに、その曲は『Welcome to Another World』の一曲目でもある。
私にとっても思い出の曲ではあるし、好きな曲だ。ただ、SING LIKE TALKINGの
曲の中で、それが一位に選ばれる理由は、私には不明だ(悪いって言ってるんじゃない)。
もっと他にもいい曲、ライブで定番の曲はたくさんある。それが、なぜあまり露出度が
無い(はずの)その曲が一位だったのか、私には、やはり不明だ。どんな思いで投票された
のか、ファンの方の声を聞いてみたいが…。

さて、曲は続く。そして、トークも入る。トークで思ったのは、西村智彦(ギター)は
愛されキャラなんだなということ。もちろん、他のメンバーもそうでしょうけど、話題は
西村の酒好きや、「鳩」(ほろっほー)の話にまで及ぶ。

と、書いていくと、キリが無いので、強く印象に残ったことを書くと、
私が好きだと、本ブログで記載してた「Maybe」が歌われたんです!
投票では10位以内に入ってなかったし、「俺の好きな曲は、他のファンが好きな曲とは
違うんだなー。」とギャップを感じてたので、諦めてたのですが、なんとなんと!
歌われたのです!まさか、SING LIKE TALKINGの誰かが、私のこのブログを見て
くれてたのでしょうか!?(笑)
だから、「けなもさんいますかー?」(私の妄想竹善)って聞かれたら、会場後ろから
思いっきり大きな声で「いるよー!!!」って応える気持ちの準備してたよ(大笑)。
もちろん、そんな場面無かったけど。

このブログを見てて、「Maybe」歌ってくれたんだ、そう思い込めばいい。
それで自己満足してりゃいい(笑)。

でも、ありがとう。やっぱり良かったです。隣の男性はそのまた隣の友人に、
「『Maybe』来たわ―。」って漏らしてた。名曲だろ?え?って突っ込みたかったぜ。

他に思ったこと。「離れずに暖めて」がメドレーとして、一部歌われたんだけど、
あれほどのいい曲が、一部しか歌われない「贅沢さ」が印象に残った。

SING LIKE TALKINGのメンバーは酒好きなんだなということ。それにあやかり(?)、
このブログ書きながら、YEBIS飲んでます。

あーやって、3人で多くの人を幸せに出来る技術を私も身に付けたい。
私には何が出来るだろう。

デビュー当時から90年代の曲が半分以上のライブでしたが、そんなライブをファンの
多くは待っていたと推測します。比較的新しい曲には、私の隣(右)にいた40代くらい(?)の
カップルや、目の前、左の方々は、「乗り切れ」なかったように思えて、一方で、
90年代までの曲では、その方々みんなが「乗って」た、そんな印象があります。

なので、25周年と言わず、そんな90年代までの曲を中心に、なんとか再びライブを
やって欲しいです。

私が育ってきた傍らにあったSING LIKE TALKINGと共に充実した時間を過ごせました。
(DVD出たら買おう。)

私は社会に、どのように、何者として貢献できるか。剣道か、それ以外か。
それとも両方か。2つと言わず、3つとか?欲張らず。

けなも

2013年3月31日日曜日

本日も200本

やはり、「日誌」じゃないし…。「月報」ですよね。

さて、ここ1ヶ月の剣道を振り返りますと…、

200本素振りの成果でしょうか、
昨年の私よりは、体が動いてる気がします。
しかし、攻めがまだまだ。

教士八段のK先生からは、上半身に力が入っていて、
起こりが分かってしまうとのこと。
1度指導頂いた次の地稽古の際は、意識して肩の力も
抜いたつもりが、また同じ指導が入った。
難しい!こんなに力を抜いているのに!と思うのですが…。

で、素振りしながら、丹田に力を入れることに意識してみた。
すると、何となく上半身の力が抜けた気分。

という状態で、改めて教士八段に向かうが、
やはり、同じ指摘。んー、うまくいかない(泣)。

それにしても、最近丹田を意識してる。一昔前の私なら、
呼吸とか、まったく意識せず剣道してたけど、最近は
丹田に始まり、切り返し時の呼吸も意識している。

話は変わるが、先日、面が打てるようになれば、
何でも打てるようになると言われたという点に関して、
ブログに記した。

その後、稽古を繰り返す中で、その意味を私なりに
解釈した。つまり、面を打つという「動作」だけが
できても、やはり小手や胴など打てない。

重要なのは、面に至るまでの「攻め」が上手くいくか
否かにかかっている。つまり、面を打つという目標の中で、
攻めが行われ、結果、面を打てるようになったら一つ成長した
と言えると思う。

一番遠くて、相手に警戒されやすい面を一本にできる攻めが
できるようになれば、なるほど、たしかに、小手も胴も一本に
できるだろう。そう解釈した。

で、先日、教士七段のK先生への地稽古の中で、
面を中心に攻めを作ってみた。

一番印象に残っているのは、その攻め合いの中で、K先生が
面に来ると感じる場面があった。十中八九、面に来る。そしたら、
面を返して胴に行こうと思った。

で、案の定、面に来た。ちなみに、その時、「乗られて」いた。
こっちから出ては打たれていただろう、って感じ。
話を戻すと、面に来たので、面返し胴を打った。

と言うか、面に来たって思った次の瞬間目にしたのは、
K先生の胴に、私の竹刀が程よい角度で、きちんと部位を
打っていた「瞬間」だった。

何が印象に残っているかと言えば、
そもそも、胴を滅多に一本にしたことが無い私が、
相手が面に来ると分かったからと言って、それで本当に胴を打てた
ということが不思議であったということ。

「胴を打つ時は、手を返して、相手の胴に対し、斜め45度から…」なんて
ことを全く意識する間もなく、打てていたということ。「打つこと」より、
「面に来たら、胴に返す」という意識の下、前に出ていた。

もう一つ印象に残っていたのは、K先生の胴、有効打突部位に
当たった竹刀を、瞬間に目が捉えていたということ。

ちなみに、K先生は、面ばかりでなく小手も胴も打ってきなさいと
おっしゃってくれる先生の一人。面にこだわった稽古をしたいけど、
せっかくおっしゃってくれるので、遠慮せず小手も胴も試させて頂いた。

攻めて面。そんな稽古をし続けながら、胴や、小手、突きも一人前に
一本にできる剣士でありたい。

明日から、仕事上体制は変わった新年度を迎える。
心機一転、仕事も剣道もがんばりたい。

けなも