10/8(月)
今、Sing Like Talkingの“Empowerment”を聴きながらブログを作成している。
5年前、そのアルバムを聴いて、(再?再々?)開眼した時のように
浸ろうとしている(笑)。
こんな状態で、本日の稽古で得た感想を忠実に記載できるだろうか(笑)。
あ、来た、「飾りのないX'mas Tree」。好きな曲の一つ!
まだ10月だよ(笑)。
まじめな話をすると、この“Empowerment”で、Sing Like Talkingが
さらにSing Like Talkingになった気がする。
どういうことかと言うと、
多分、どのミュージシャンも、もっと真似できないミュージシャンの領域に
入ったと思うんだ。
もちろん、真似をしようとする意思を持つミュージシャンがどれだけいるかは
別にして…という冗談は置いておいて。
“Empowerment”を再購入した。2013年25周年ライブ会場で購入したんだけど、
その後、部屋で車で旅行先へ持っていったりして、どこに保管したか不明に
なった~(泣)。
俺の心を、また震わせたこのアルバムを、先日の30周年ライブ会場で再購入
したんだ。
やっぱり好きだな。しかも、“Empowerment”を聴くと、今度は2013年の風景を
思い出す。具体的には、以下のブログに書いた内容とか(笑)。
http://kenamo.blogspot.com/2013/05/blog-post.html
http://kenamo.blogspot.com/2013/05/empowerment.html
http://kenamo.blogspot.com/2013/05/53.html
まぁ、つまり、あれだ
ありがとう、Sing Like Talking
あぁ、剣道のタイトルなのに、ここまでSing Like Talkingのことを書いてしまった。
さて、“Empowerment”を聴きながら、本日の稽古の振り返りをしよう。
がんばって、振り返ろう。本日は本日で大きなモノを得たから。
本日はある企業20団体位が集まった試合だった。タレントの渡辺正行さんも
ご出場された。渡辺さんの剣道はすごかった。試合でも実業団選手相手に
一本を取ったり、試合後の稽古も一心に先生方に向かっていらっしゃった。
今度稽古をお願いさせて頂きたい。
さて、私はというと、係員に専念。選手としては辞退させて頂いた。
だって、ここ半年間のブログに記載の通り、全然稽古ができてないから!
それでも昨日(10/7)出場した試合では、あっさり二本負けした訳だが。
昨日の試合は毎年出ようと考えていたから出場したが、やはり稽古不足は
試合に出て何になる!とすら思ってしまう。よく、「日ごろの成果を発揮し」
なんて選手宣誓があるけれど、俺の「日ごろの成果」ってなんだよ!って
思っちゃう。
それでも、「稽古不足」だからこそ、本日の試合後の合同稽古には参加した。
そして、何と、45分以内に、3人の教士八段に稽古をお願いできた。ん~、贅沢。
で、お一人目はA教士八段。
私の前に4人ほど稽古をお願いしていた。一人目は強豪チームの中でも一番
強い選手。「普通」に稽古されていて、二人目~三人目も同様だった。
で、私が稽古をお願いさせて頂く番。
決めていた。昨日試合には負けた。でも、いつもK範士八段に臨むように
臨もうと。
帯刀から三歩目、竹刀を抜きながら蹲踞。相手の先生の後に従う動きで。
そして、構えて、まっすぐ先生を見据え、左右に動かず、そして、気合を
入れる。
面。
相面。あっさり取られる。
出遅れた。というか、相手が来るのに合わせると、「合わせる分、遅れる」。
この表現、なんとも表現が難しいのだが。
で、次も。
その次も。
・・・と、何度か、そんな打ちをしていると、ふと、先生が話しかけて来られた。
これは嬉しかった。なぜかと言うと、前の4人には無かった光景。
もっと言うと、それまでの稽古で、なんだかしっかり稽古をお願いさせて
頂いているという「感触」があった。
A教士八段曰く、こうだ。
「ここで打ってくる(「ここ」とは、一定の間合い)。」
相手に見えてるというニュアンス。そして、
「我慢が必要。」
一言一句覚えてないけど、相手が打ってこないなら打たない、
相手が動こうとした所を打っていけば良いと。
この部分の意味を、俺は勘違いすべきでないと思っている。
「相手に合わせろ」とおっしゃっているのではなく、きっと、
「相手を動かせ」とおっしゃっているはずだ。いずれにせよ、そのままの
お言葉を記載すると、相手が動いたところを打てばよいと。
そして、相手が動かなかったら、仕切り直せば良いと。
ここでも違和感あった。
「仕切り直す」というお話の際、間合いを切るような仕草をされた。
しかし、範士八段との稽古では、仕切り直しをしようとすると、
「そこから!」と言われる。
つまりだ、きっと、A教士八段と、Ku範士八段のおっしゃっていることは
矛盾していない!きっと同じことをおっしゃっていて、その違いを
俺が理解していないということだ。
さて、その後、A教士八段はこうおっしゃった。
構えがしっかりしている。八段審査を控えているかと思いますが…と。
来た!以前も、そんな話を、別の教士八段から言われた。
(
https://kenamo.blogspot.com/2016/01/117.html)
以前は本気で驚いていらっしゃったけど、今回は、「今、五段です。」と
お伝えすると、「では、六段審査の時は…」と淡々と話が進んだ。
と言うことで、お世辞だなと率直に思った。
おごり高ぶるな、俺。
さて、A教士八段との稽古はまだ続いた。それもまた嬉しかった。
いいんですか、こんな剣道でと思いながら、一本一本、そして、必ず面だけを
打っていかせて頂いた。
ありがたく、受け入れて頂いた。
再びアドバイスを受ける中で、こんな話をさせて頂いたのも印象的だった。
たしか、前向きな評価のお言葉を頂いた。しかし、昨日の負けがあって、
なんだか、負けているのに、前向きな評価を頂けることが、何と言うか、
モヤモヤする感じがあった。
以前も同じ感じはあったことは、過去のブログに記載した。
(
https://kenamo.blogspot.com/2013/09/blog-post_20.html)
そこで、思い切って聞いてみた(稽古中だよ)。
「でも、勝てないんですよ。試合で。」
すると、A教士八段は、
「まぁ、審査と試合は違うからね。」
一言一句同じではないと思うが、そのようなニュアンスをおっしゃった。
それもまた印象深く残った。
ここから考えるとだ、
つまりこうだ
と俺は、
一旦、
一旦ですよ、
一旦、
導いた。
試合に勝てないのは、悪い話ではない。
そんな中でも、実は今の剣道の方向性は健全な方向に向かっているのではないか
そう思った。
それを裏付けるかのように、その後のO教士八段での稽古のこと、
全部、攻められて、俺が面を打つ所を、相面、小手、返し胴。
結局、すべてやられた…。
…と思っている中で、これまた、それまでのかかり手にはされなかった、
お話を頂いた。
この時点で特別扱い気分だったが(苦笑)、
これからまだ先があるだろうから次のステップに向けて2点アドバイスをすると、と。
我慢が必要(これはA教士八段と同じご指摘)
自ら攻める
以上2点をご指摘頂いた。
いや、何と言うか、
いや、何と言うか(2回目)、
ほんと、O教士八段には、攻められ、もう俺から行かねばいけないでしょ
というか、
言葉で説明するには難しいんだけれど、
すべて不完全に相手に引き出されて打たれた
と言うと、まだ表現している。O教士八段のご指摘の背景を。
そして、H教士八段。
もう稽古終了だったが、最後に一本勝負と、親指を立てて合図された。
全身で向かおうと、いつもの通り蹲踞は三歩目で竹刀を抜きながら、
そして、立って、間を置いて気合を入れた。
すると、俺の前のかかり手では、ポンポン打っていらっしゃった感じの
H教士八段の目が、(こんな表現、誠に、誠に、僭越ですが)「本気になった」。
そして、「来る」と思った時に面を打ちに行ったが、先にやられた。
そう、やっぱり、我慢が足りない。
って言うか、過去にも書いたけど、八段ほどの先生が打ちに来るのに、
待っていては失礼だろうと思い、どうしても打ちに行かざると得ないと
思ってしまう。
打ちの機会でなければ、八段相手でも打ちに行かなくて良いの???
すげー疑問。それなら、単に面を受けるよ。それでいいの???
いいわけないよね。
って言うか、そんな不利だと分かっている状況でも打ちに行き、
打たれることが、実は贅沢だったりするんでなかろうかと思うんだな。
(え?Mですか?俺。)
いずれにせよ、3人の教士八段に共通して言えたことは、引き出されて
打ちに行って仕留められたこと。
そして、お一人目、お二人目が仰っていた通り、俺は、つまり我慢が
足りなかったということだ。
我慢。
我慢。
無理に打ちに行くな。
相手が動いたら打ちに行く(この点が解釈微妙なんだけど)。
で、いずれにせよ、
俺の剣道の方向性は、誤ってはいないと感触を得た。
試合には負けるけど、多分、今のままでいいのかもしれないと思った。
(「試合には負けるけど」それを素直に受け止めていいのかという疑問はあるが…苦笑)
そう思ったのは、もう一つ、稽古後、稽古をご覧になっていらっしゃった
I教士八段のお話の「大砲」にあった。
剣道は「機関銃」ではなく、「大砲」であるべきだと。
無駄打ちが多いのは戒めろと。一発で仕留める。つまり初打ちが大事だと。
その点、華やかにバンバン打ちに行く、若手と比べ、俺はとにかく
打ち数が少なくて、むしろ、コンプレックスになっていた程。
でも、「大砲」と聞いて、なんだか、それはアリだと思わせて頂いた。
その他、I教士八打のお話。
竹刀は上から握ること。横から握る人が多い。
左足から動く。右足ではない(と言うか、左足で右足を押し出せと言うことと思う)。
大砲のように(既述の通り)。
剣前体後(これは意味が理解できてない。上記左手の握りの流れで。剣捌きのお話だった)。
攻めも稽古も無限。
剣先が交わる前に、振れるか触れないか程度の所で気合を入れる
(これは、範士八段と同じお話。ちなみに高段者で剣先が交わった所で
気合入れろと言う方がいらっしゃるみたいだけど、やはりあれは間違い
ということだね。今回のI教士八段の話で確信した)。
稽古後、面を外した挨拶にて、多くのかかり手がいたにもかかわらず、
A教士八段は、私のことを覚えていらっしゃっていた。
「我慢」が大切と。
昨日試合で負けたのも、「我慢」という観点から見ると、たしかに、
我慢が足りなかったように思う。
ご指摘、誠にありがとうございます。
我慢
ねぇ。
今回の稽古で得たこととしては、今の方向性で誤っていないと
改めて認識できたこと。
そして、やはり、「まっすぐ攻めて面」で、その人の剣道のレベルが
分かるような気がしてきた。
その考えは、2011年にも持っていたから、結局、やはりそういうことかなと
改めて、思う。
(
https://kenamo.blogspot.com/search?q=%E5%BA%83%E5%B3%B6)
7年経っても、その観点が疑問に思える出来事は無いなぁ。
俺は、試合の勝ちを究極の目標とせず、八段にふさわしい剣道を究極の目標としようか。
それは、今の剣道レベルでは早すぎるか。
でもよ、八段の先生方のどなたも、勝てとはおっしゃらず、基本通りに剣道をやれとおっしゃる。その基本通りに剣道をしようとするとおのずと八段の先生方が実践されている剣道になる。これはどういうことか。つまり、八段の剣道を実践せよとおしゃっているとしか俺には思えない。八段の先生方がおっしゃる剣道に「勝てる剣道」というお話は出てこない。むしろ「正しい剣道」のお話だけ。「勝てる剣道」と「正しい剣道」の差は何か。バンバン打つとかでなく、例えば、攻め方は何が違うのか。まだまだ分かっていない。俺はどっちの剣道?違いは無い?ある?
久しぶり長く書き過ぎた。
また、明日からも素振りしよ。
けなも