やっぱり月誌・・・
5月も休まず1,000本素振り(面をつけた稽古日以外)。
ランダムに。書きたかったこと。
5/18(日)
Ku八段からのお言葉。色の無い面が打てるようになってきている。
6/1(日)
Ku八段からのお言葉。いい面が打てるようになってきている。
小手を打たれても、胴に返されても、それに対する必要はない。
基本通りの面を打ち続けること。それがいつでもできるようになると、
自然と、小手も胴も打てるようになる。
Ku八段に稽古をお願いすると、いつもなら途中から疲れてくる。
特に、肩と足と、それに伴って呼吸も。でも、1,000本素振りのお蔭か、
リズムをなるべく一定にして稽古をお願いできている。
5/25(日)
何か月ぶりかの会社の稽古。いつもならドンドン打って行っては、
結構な数が当たるはずの先輩お二人に、打ったものほとんどが返され、
何か呆然とした。こんな表現は不適切だが、先輩お二人がこの何か月の
間に強くなった。または、もしくは、同時に?、俺が弱くなったか。
とても、とても、悔しかった。素振りの仕方が誤っているのかと思われた。
普段、地元の稽古では指摘されない、素振りの形が、この会社の稽古において、
上記とは別の先輩方に、ご指摘を頂いた。
上手く表現できないが、「そんな素振り」してないのに、「そんな素振り」をしていると。
これは、つまり、今一度、素振りを見直さねばいけないということと思った。
足が途中でツッた。けど、そのまま稽古を続けた。稽古後数日は、筋肉痛で痛かった。
いずれにせよ、悔しさの残る稽古となった。
「悔しさ」・・・、それはそれで貴重な経験だ。
会社後輩二人に、突き技を試した。試合で一本になるかは不明だが、少なくとも、
俺も相手の後輩も一本と認められる打突ができた。そのことは印象に残った。
6/8(日)関東実業団剣道大会に、今年も補欠で出場。社内選考会に出場してないのに、
選ばれたことにあり難く思い、本番当日、いつでも出場大丈夫な状態で臨みたい。
一年前の今頃は、札幌で素振りしてたなあ。一年前のブログに記載したが。
この一年間、他の地域で素振りしたと言えば、米国・フロリダ、静岡県・伊豆、
宮城県・仙台、山形県・かみのやま温泉。
7月上旬、国体予選会に出場予定。
がんばろう。
けなも
2014年6月1日日曜日
2014年5月5日月曜日
4月末から5月5日
ゴールデンウィークは毎日1,000本素振り。
昨年(2013年)は、5月3日故郷の街の試合に参加しましたが、
今年は日程も余裕が無く、不参加としました。どんな試合が展開されたか。
さて、1,000本素振りを今年の1月29日から続けました。
途中、徹夜続きで、しなかった日もありましたが、
「『やらないこと』を続けない」という信念の下、ほぼ続けてきました。
およそ3か月経ちました。
その間、「1,000本」の意味を考えました。
分かりません。
では、効果はどうか。
前回のブログに書いた試合でのこと。思い出すとこんなことがあった。
試合当日は、初めて参加する試合であり、一人で参加する試合であった為、
時間配分も分からず、とりあえず一人で準備運動して試合に備えた。
充分に体がほぐれたとは言えない状況だった。
で、試合直前、充分に体がほぐれていないことが気になっていたので、
せめて気持ちを高ぶらせようと、面を付けた状態で早素振りを実施した。
いつもなら、面垂が引っかかってなのか、面を付けていない時と比べ
体の重さを感じる。
ところが、どういう訳か、面を付けていない時と同様に身軽に早素振りが出来た。
ま、10本だけなんだけど。
その身軽さが効果か。
また、試合中、いつもなら稽古不足の為、すぐに肩が疲れるが、
今回は、肩の疲れは気にせず、試合に専念できたかな。
2試合で勝てたことは、1,000本効果と言っていいのか不明だが、
大なり小なり効果があったと言うことなんだろう。
1,000本素振りで、検索してたら、こういうブログも見つけた。
http://idaltu.webspace.ne.jp/blog/index_idaltu_archive_ym_201210_4.html
(「剣道用語『素振り』」の箇所)
結局、やっている人はやっているということだ。
数が問題ではないと思っている。
こういうブログも見つけた。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kendo_shibuya/view/20130825/1377431533
「そして自分に合った回数を見付けることだ。」
ん~、なるほど。
「素振り」の意味を知りたくて、いろいろ調べた結果、『剣道日本』(2007年4月号)に
辿り着いた。
すると、(雑誌に記載あり、公開されている情報として記載します)日体大女子剣道部では、
1日1,000本の「早素振り」、4年間で100万本の「早素振り」をしているとのこと?
マジか!?「早素振り」だぞ。普段の稽古以外で、だぞ。
その記述は、岡田先生のお話だったけれど、岡田先生ご自身が1万本連続で「早素振り」
されたこともあるとか・・・。
「1万本連続」・・・
こ、これは・・・、
ついていけない・・・。
だから、俺はいつまでも剣道が上達しないのか。
諦めるべきでは・・・。
・・・みたいな思考が働いて(実際は「試合に勝てない」とかって言う思考等々も含め)、
自分の剣道に価値が見出せなくなり、剣道を辞めたのが2000年。
そうじゃない、って思い直して(2007年)、再開したのが2008年。
ということで、「素振り」に関して言えば、やっている方はやっている。
「1,000本」がすごいんじゃない。妥当かも分からない。
それでいいのか、わるいのか、たぶん、答えは人それぞれ。
答えは自分で見つける。その為にも、まずは続けてみる。
強くなりたい。
でも、普段(平日とか)は、面を付けての剣道する時間なんて無い。
「時間は作るものだ」というご指摘はあるだろうが、少なくとも、「俺の現実」は、
そんなに易しくない。だからやれることをやる。
その一つが「1,000本素振り」。
明日には「500本素振り」になるかもしれない。
何本が妥当か分からない。
ただ、強くなりたい。
だから、続けられる本数(今は「1,000本」)を、続けていきたい。
続けた先に、何らかの答えがあると信じて。
そうそう、本日の記録(たまには書いとかないと)。
・上下素振り 100本
・正面素振り 100本
・前進後退左右面 100本
・前進後退左右胴 100本
・股割り 60本
・一足一刀の面打ち 20本
・一歩攻めて面打ち 10本
・二歩以上攻めて面打ち 10本
・早素振り 200本(50本×2回、30本×2回、20本×2回)
・左右開きながら左右面 50本
・左右開きながら左右胴 50本
・小手打ち 50本
・正面素振り 150本
・切り返し 1回(2息で)
※900gぐらいの素振り用の木刀にて。
明日(5/6)は久しぶり、面を付けて、道場での稽古に参加予定。
なので、素振りはお休みの予定(俺なりのルール。2014年2月12日ブログに記載)。
けなも
昨年(2013年)は、5月3日故郷の街の試合に参加しましたが、
今年は日程も余裕が無く、不参加としました。どんな試合が展開されたか。
さて、1,000本素振りを今年の1月29日から続けました。
途中、徹夜続きで、しなかった日もありましたが、
「『やらないこと』を続けない」という信念の下、ほぼ続けてきました。
およそ3か月経ちました。
その間、「1,000本」の意味を考えました。
分かりません。
では、効果はどうか。
前回のブログに書いた試合でのこと。思い出すとこんなことがあった。
試合当日は、初めて参加する試合であり、一人で参加する試合であった為、
時間配分も分からず、とりあえず一人で準備運動して試合に備えた。
充分に体がほぐれたとは言えない状況だった。
で、試合直前、充分に体がほぐれていないことが気になっていたので、
せめて気持ちを高ぶらせようと、面を付けた状態で早素振りを実施した。
いつもなら、面垂が引っかかってなのか、面を付けていない時と比べ
体の重さを感じる。
ところが、どういう訳か、面を付けていない時と同様に身軽に早素振りが出来た。
ま、10本だけなんだけど。
その身軽さが効果か。
また、試合中、いつもなら稽古不足の為、すぐに肩が疲れるが、
今回は、肩の疲れは気にせず、試合に専念できたかな。
2試合で勝てたことは、1,000本効果と言っていいのか不明だが、
大なり小なり効果があったと言うことなんだろう。
1,000本素振りで、検索してたら、こういうブログも見つけた。
http://idaltu.webspace.ne.jp/blog/index_idaltu_archive_ym_201210_4.html
(「剣道用語『素振り』」の箇所)
結局、やっている人はやっているということだ。
数が問題ではないと思っている。
こういうブログも見つけた。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/kendo_shibuya/view/20130825/1377431533
「そして自分に合った回数を見付けることだ。」
ん~、なるほど。
「素振り」の意味を知りたくて、いろいろ調べた結果、『剣道日本』(2007年4月号)に
辿り着いた。
すると、(雑誌に記載あり、公開されている情報として記載します)日体大女子剣道部では、
1日1,000本の「早素振り」、4年間で100万本の「早素振り」をしているとのこと?
マジか!?「早素振り」だぞ。普段の稽古以外で、だぞ。
その記述は、岡田先生のお話だったけれど、岡田先生ご自身が1万本連続で「早素振り」
されたこともあるとか・・・。
「1万本連続」・・・
こ、これは・・・、
ついていけない・・・。
だから、俺はいつまでも剣道が上達しないのか。
諦めるべきでは・・・。
・・・みたいな思考が働いて(実際は「試合に勝てない」とかって言う思考等々も含め)、
自分の剣道に価値が見出せなくなり、剣道を辞めたのが2000年。
そうじゃない、って思い直して(2007年)、再開したのが2008年。
ということで、「素振り」に関して言えば、やっている方はやっている。
「1,000本」がすごいんじゃない。妥当かも分からない。
それでいいのか、わるいのか、たぶん、答えは人それぞれ。
答えは自分で見つける。その為にも、まずは続けてみる。
強くなりたい。
でも、普段(平日とか)は、面を付けての剣道する時間なんて無い。
「時間は作るものだ」というご指摘はあるだろうが、少なくとも、「俺の現実」は、
そんなに易しくない。だからやれることをやる。
その一つが「1,000本素振り」。
明日には「500本素振り」になるかもしれない。
何本が妥当か分からない。
ただ、強くなりたい。
だから、続けられる本数(今は「1,000本」)を、続けていきたい。
続けた先に、何らかの答えがあると信じて。
そうそう、本日の記録(たまには書いとかないと)。
・上下素振り 100本
・正面素振り 100本
・前進後退左右面 100本
・前進後退左右胴 100本
・股割り 60本
・一足一刀の面打ち 20本
・一歩攻めて面打ち 10本
・二歩以上攻めて面打ち 10本
・早素振り 200本(50本×2回、30本×2回、20本×2回)
・左右開きながら左右面 50本
・左右開きながら左右胴 50本
・小手打ち 50本
・正面素振り 150本
・切り返し 1回(2息で)
※900gぐらいの素振り用の木刀にて。
明日(5/6)は久しぶり、面を付けて、道場での稽古に参加予定。
なので、素振りはお休みの予定(俺なりのルール。2014年2月12日ブログに記載)。
けなも
2014年4月28日月曜日
2014年4月の剣道
ということで、4月の剣道。
3月同様、多忙感は毎日のように続いた。
先に素振りできなかった日を書くと、4/25(金)。
会社での業務が4/26(土)の午前1時30分まで続いた…。
その後、午前2時まで営業しているサイゼリヤでパスタ、サラダ、ビールを飲食して、
トボトボ1時間20分くらいかけて東京駅まで歩いた。
午前3時20分くらいに、東京駅八重洲側にカラオケ店とか並んでいて、その中で、
朝5時まで営業しているバーみたいな所で、ウィスキーソーダ割りと、ミックスナッツで
凌いだ。
それにしても、その店に入る直前に、そこらへんウロウロしている女性が近づいてきて、
何かを話しかけてきた。以前夜にウロウロした時も話しかけられたが、今回は、イヤホンを
つけて音楽を聴いていたから、立ち止まらず店に入った。いったい、あの女性たちは何を
している?不明。好奇心で聞きたくなったが、止めた。
さて、午前5時を過ぎて、東京駅から帰宅の為、電車に乗った…。
ということで、素振りはしませんでした。その日の午前中は爆睡。
その日以外は、素振り、または、面を付けて稽古した。
さて、4月13日(日)、ある街の剣道大会に参加した。個人戦。
4段以上が40名ほど参加したトーナメントの一人。
感じたこと以下(---から---まで)メモ
(記憶の新しいうちにスマホでメモしてたことをコピペ)。
---
・全体的に下がった。
相手にとって有利な状況ばかり。
稽古どおりじゃない。
・足幅も広がった。
普段の稽古通りにできなかった。
稽古どおりじゃない。
・面のみの攻め。
だから?
面が打てない間では、受けに回るしかなかった。
出小手、面返し胴。自信が無いから、やろうとしない。
やはり稽古必要。
・相手の出に下がった。恐がった。相打ちで勝てる自信が無かった。
相打ちの稽古必要。
・打ち切ればよかった所があったのに、非常にもったいないことした。
・試合前は、あくびが多くなる。
相面、出小手、面返し胴、下がらない、打ち切る、突きも。足幅広げすぎず。
集中的に稽古しよう。出るか、出てきたら抑える・返すスタイルを。
抑え、返すにも攻めあってこそ。逆説的だけど、だからこそ、抑え、返すに、自信持たないと。
よかったこと。
一人目(もちろん、二人目もだけど)、特に一人目、
諦めなかったこと。
その上で、一本になった面だけにフォーカスを当てると、
綺麗に面を決められた。でも、たしかに、意識して決められた訳ではなかった。
そこまで持ってくるのに、時間かかるなー。
二人目も近間から、ピシッと決められたと思う。
ま、二人とも、それまで、下がってばかりで決めきれなかったんだが。
一人目って、どっかの実業団かな。強かった。
---
以上、メモ。
一人目の方、調べたら、やはり某強豪実業団の選手だった。
一人目の方に決めた面は、正直、どのように決めたか覚えてない。
ただ、やけに自然体に決めた感覚だけが残っている。
体に無理せず、いつの間にか行くべき時に面を打っていた、と言うか。
ところで、三人目で起きたある現象。
その方も、実業団選手。ドンドン打ってきて、積極的な剣道。
ある瞬間、面を打ってきた。俺は竹刀を上げて止めた。
柄に当たったのか、竹刀の鍔上に当たったのか覚えてないが、
少なくとも、俺の目の前で、バチッ!って音がしたのは覚えている。
その直後、双方、構え直した。
・・・と思いきや、相手の後ろにいた副審二人が相手の旗を上げている。
「え?」と思ったが、どうやら旗は上がったまま。
が、相手は構えたまま、俺に相対している。が、そのうち、何らかの間(ま)を
感じたのか、相手が主審を見る。その時は、コントにあるような二度見みたいな仕草をする。
相手も「え?」みたいな反応。
面あり、とのこと。
二本目の合図とともに、試合再開。が、間もなく時間切れ。
試合直後、相手とあいさつ。
俺が「ありがとうございました。」と言うと、相手は「すみませんでした!」
不思議な挨拶だった(笑)。
さて、今回の事象を振り返った際、「審判の誤審。運が無かったな。」と思った。
ら、終わりだ。剣道もそこまでだ。
違う。確実な負けだ。審判が悪いんじゃない。それを一本と思わせたのも俺の実力。
3分という時間で、俺が一本を取れなかったことも実力。相手の攻めを乗り越えて一本を
取れなかったんだ。その事実を直視しないといけない。
さて(今日も長いブログだ)、過去の苦い思い出。
高校1年になりたての頃。学区が違うある中学校の剣道部が、俺の地元の稽古会に参加した。
俺の所属する高校剣道部と、その中学剣道部が試合をするということになった。
高校側は3年、2年、1年という順序で試合に出場、相手の中学生は1年、2年、3年
という順序で試合に出場。今となっては、なんでそんな順番となったのか不明だが(笑)。
で、俺は1年で、試合の最後を務めた。相手はその中学校の大将。
俺は、自分の中学がある学区で、その前年優勝していた。ちなみに、相手の中学生は
その学区で個人優勝していたのは知っていた。そういう肩書同士の試合という目で
見ていた人も中にはいたかもしれない。いや、少なくとも、俺はそう見ていた。
学年が一つ上ということもあり、負けたくない試合だった。
で、試合。一本目。覚えてないが、とにかく取られた。それも今となっては、
当時納得いくものだったか覚えてないが。
とりあえず、すぐに一本取り返した。
問題は、その後だ。相手の中学生の竹刀が、俺の右の二の腕に当たった。
その瞬間、「小手あり」だった。
刹那、信じられないその現象に、俺は思わず、その二の腕を抑えた。
「当たったのはここだ!」とアピールしたかったんだ。しかし、もちろん、判定は覆らず。
そして、その瞬間、俺は竹刀を、ほおり投げたい、というか、ぶっ放したい気持ちになった。
が、しなかった。しなかったが、あの時のことを振り返った時、ぶっ放しても
良かったんじゃないかと思うことが、何年か続いた。
が、もちろん、今、そんなことしなくて良かったと思う俺がいる。
これまで様々な「誤審」を見てきた。試合当事者の反応は様々だ。
ただ、やはり剣道が強い人と呼ばれる方々の反応は、およそその現象を
受け入れていると感じる。それが正解なのかもしれないと考えるようになった。
だから、今回の試合で「誤審」と感じたが、素直に受け入れることにしたし、
実際、その瞬間、「余計」なアピールなんかしなくなって自分は成長しているんだと
思っている。瞬間の出来事だからね、思わず、アピールしてしまう衝動にかられる
こともあるんだろうけど、その衝動を抑える理性が働くから、まだ救える。
「誤審」と呼ばれる現象に関して、書きたいことは、まだまだあるが、
一旦、ここで収めたい。
けなも
3月同様、多忙感は毎日のように続いた。
先に素振りできなかった日を書くと、4/25(金)。
会社での業務が4/26(土)の午前1時30分まで続いた…。
その後、午前2時まで営業しているサイゼリヤでパスタ、サラダ、ビールを飲食して、
トボトボ1時間20分くらいかけて東京駅まで歩いた。
午前3時20分くらいに、東京駅八重洲側にカラオケ店とか並んでいて、その中で、
朝5時まで営業しているバーみたいな所で、ウィスキーソーダ割りと、ミックスナッツで
凌いだ。
それにしても、その店に入る直前に、そこらへんウロウロしている女性が近づいてきて、
何かを話しかけてきた。以前夜にウロウロした時も話しかけられたが、今回は、イヤホンを
つけて音楽を聴いていたから、立ち止まらず店に入った。いったい、あの女性たちは何を
している?不明。好奇心で聞きたくなったが、止めた。
さて、午前5時を過ぎて、東京駅から帰宅の為、電車に乗った…。
ということで、素振りはしませんでした。その日の午前中は爆睡。
その日以外は、素振り、または、面を付けて稽古した。
さて、4月13日(日)、ある街の剣道大会に参加した。個人戦。
4段以上が40名ほど参加したトーナメントの一人。
感じたこと以下(---から---まで)メモ
(記憶の新しいうちにスマホでメモしてたことをコピペ)。
---
・全体的に下がった。
相手にとって有利な状況ばかり。
稽古どおりじゃない。
・足幅も広がった。
普段の稽古通りにできなかった。
稽古どおりじゃない。
・面のみの攻め。
だから?
面が打てない間では、受けに回るしかなかった。
出小手、面返し胴。自信が無いから、やろうとしない。
やはり稽古必要。
・相手の出に下がった。恐がった。相打ちで勝てる自信が無かった。
相打ちの稽古必要。
・打ち切ればよかった所があったのに、非常にもったいないことした。
・試合前は、あくびが多くなる。
相面、出小手、面返し胴、下がらない、打ち切る、突きも。足幅広げすぎず。
集中的に稽古しよう。出るか、出てきたら抑える・返すスタイルを。
抑え、返すにも攻めあってこそ。逆説的だけど、だからこそ、抑え、返すに、自信持たないと。
よかったこと。
一人目(もちろん、二人目もだけど)、特に一人目、
諦めなかったこと。
その上で、一本になった面だけにフォーカスを当てると、
綺麗に面を決められた。でも、たしかに、意識して決められた訳ではなかった。
そこまで持ってくるのに、時間かかるなー。
二人目も近間から、ピシッと決められたと思う。
ま、二人とも、それまで、下がってばかりで決めきれなかったんだが。
一人目って、どっかの実業団かな。強かった。
---
以上、メモ。
一人目の方、調べたら、やはり某強豪実業団の選手だった。
一人目の方に決めた面は、正直、どのように決めたか覚えてない。
ただ、やけに自然体に決めた感覚だけが残っている。
体に無理せず、いつの間にか行くべき時に面を打っていた、と言うか。
ところで、三人目で起きたある現象。
その方も、実業団選手。ドンドン打ってきて、積極的な剣道。
ある瞬間、面を打ってきた。俺は竹刀を上げて止めた。
柄に当たったのか、竹刀の鍔上に当たったのか覚えてないが、
少なくとも、俺の目の前で、バチッ!って音がしたのは覚えている。
その直後、双方、構え直した。
・・・と思いきや、相手の後ろにいた副審二人が相手の旗を上げている。
「え?」と思ったが、どうやら旗は上がったまま。
が、相手は構えたまま、俺に相対している。が、そのうち、何らかの間(ま)を
感じたのか、相手が主審を見る。その時は、コントにあるような二度見みたいな仕草をする。
相手も「え?」みたいな反応。
面あり、とのこと。
二本目の合図とともに、試合再開。が、間もなく時間切れ。
試合直後、相手とあいさつ。
俺が「ありがとうございました。」と言うと、相手は「すみませんでした!」
不思議な挨拶だった(笑)。
さて、今回の事象を振り返った際、「審判の誤審。運が無かったな。」と思った。
ら、終わりだ。剣道もそこまでだ。
違う。確実な負けだ。審判が悪いんじゃない。それを一本と思わせたのも俺の実力。
3分という時間で、俺が一本を取れなかったことも実力。相手の攻めを乗り越えて一本を
取れなかったんだ。その事実を直視しないといけない。
さて(今日も長いブログだ)、過去の苦い思い出。
高校1年になりたての頃。学区が違うある中学校の剣道部が、俺の地元の稽古会に参加した。
俺の所属する高校剣道部と、その中学剣道部が試合をするということになった。
高校側は3年、2年、1年という順序で試合に出場、相手の中学生は1年、2年、3年
という順序で試合に出場。今となっては、なんでそんな順番となったのか不明だが(笑)。
で、俺は1年で、試合の最後を務めた。相手はその中学校の大将。
俺は、自分の中学がある学区で、その前年優勝していた。ちなみに、相手の中学生は
その学区で個人優勝していたのは知っていた。そういう肩書同士の試合という目で
見ていた人も中にはいたかもしれない。いや、少なくとも、俺はそう見ていた。
学年が一つ上ということもあり、負けたくない試合だった。
で、試合。一本目。覚えてないが、とにかく取られた。それも今となっては、
当時納得いくものだったか覚えてないが。
とりあえず、すぐに一本取り返した。
問題は、その後だ。相手の中学生の竹刀が、俺の右の二の腕に当たった。
その瞬間、「小手あり」だった。
刹那、信じられないその現象に、俺は思わず、その二の腕を抑えた。
「当たったのはここだ!」とアピールしたかったんだ。しかし、もちろん、判定は覆らず。
そして、その瞬間、俺は竹刀を、ほおり投げたい、というか、ぶっ放したい気持ちになった。
が、しなかった。しなかったが、あの時のことを振り返った時、ぶっ放しても
良かったんじゃないかと思うことが、何年か続いた。
が、もちろん、今、そんなことしなくて良かったと思う俺がいる。
これまで様々な「誤審」を見てきた。試合当事者の反応は様々だ。
ただ、やはり剣道が強い人と呼ばれる方々の反応は、およそその現象を
受け入れていると感じる。それが正解なのかもしれないと考えるようになった。
だから、今回の試合で「誤審」と感じたが、素直に受け入れることにしたし、
実際、その瞬間、「余計」なアピールなんかしなくなって自分は成長しているんだと
思っている。瞬間の出来事だからね、思わず、アピールしてしまう衝動にかられる
こともあるんだろうけど、その衝動を抑える理性が働くから、まだ救える。
「誤審」と呼ばれる現象に関して、書きたいことは、まだまだあるが、
一旦、ここで収めたい。
けなも
2014年4月27日日曜日
2014年3月の剣道
前回投稿から1ヶ月以上が経ってしまった。
3月~4月にかけて、仕事も年度がかわる関係で様々な
変化が生じた。毎日が目まぐるしく「息つく暇がない」とは
言い過ぎだろうが、でも、それに近いような毎日だった。
とは言え、土日は(仕事の日もあったが)稽古の為道場へ行った日もあった。
ざっと振り返る。
3/11~3/13の徹夜の毎日の次の週に、再び徹夜が1日あった。
何日か覚えてないけどその日も素振りはしなかった。3/19(水)だったような…。
3/16(日)は、街の道場で稽古。教士八段のKu先生ご指導の下、基本稽古。
その際、一歩すり足をして面、という稽古があった。一人3本。二人一組で稽古。
私の相手が先に面を打つ。その相手の面をご覧になっていたKu先生がその方に
面の指導を実施。そうしている内に、周りの参加者は二人各々が3本を打ち終わっている。
相手の指導・面打ちが終わり、場の空気を読んで竹刀を収めるつもりが、
Ku先生が、まだ面打ちしてないだろ、面打ちしなさいと促す。
周りに20人前後いる中で、私だけの面打ち3本が始まる。
周りの方の注目を浴びながら、まず1本打つ。
すると、Ku先生からご指導が入る。
要旨はこうだ。
面を打つ直前体が沈む。それは、構えている段階から膝が曲がっているからだ。
すると、相面の際、出遅れる。また、左の踵が上がり過ぎている。
さて、その場面でのご指導において、率直に言って2つ感想ある。
1点目は無用な感想と予め言っておこう。つまりだ、多くの方々の前で自分の欠点が
さらされたようで、お恥ずかしい!ということだ。「無用」と言ったが、仮に自分が指導を
する立場の際、指導する方の思いを想像できそうだ、という意味では有用なのかもしれない。
でも、本来はこちらなのかもしれない(そうあるべきなのかもしれない)。2つ目の感想。
つまり、何て贅沢なんだ!
大勢いる稽古者。もしかしたら、ご指導を頂けない方もいらっしゃるかもしれない中で、
私は直接ご指導頂けた。
それに、最近、相面の際、自分では出遅れてない感覚で打ちだすのに、
結果、出遅れていたと感じる場面が多々あり、何が悪いのか分からずにいた。
一つ疑問点が解決した感じ。
ちなみに、2本目も同じご指導を頂き、これまた恥ずかしい思いはしたが、同時に、
すぐに形は修正できないと実感した。その後の地稽古では、Ku先生へ稽古をお願いして
膝を意識した。過去の私と比べてだと思うが、「良くなっている。」とお言葉を頂いた。
誠にありがたいこと。
3月は、そんな感じで、道場での稽古以外は1,000本素振りを実施した。
徹夜でできなかった日以外は。
けなも
3月~4月にかけて、仕事も年度がかわる関係で様々な
変化が生じた。毎日が目まぐるしく「息つく暇がない」とは
言い過ぎだろうが、でも、それに近いような毎日だった。
とは言え、土日は(仕事の日もあったが)稽古の為道場へ行った日もあった。
ざっと振り返る。
3/11~3/13の徹夜の毎日の次の週に、再び徹夜が1日あった。
何日か覚えてないけどその日も素振りはしなかった。3/19(水)だったような…。
3/16(日)は、街の道場で稽古。教士八段のKu先生ご指導の下、基本稽古。
その際、一歩すり足をして面、という稽古があった。一人3本。二人一組で稽古。
私の相手が先に面を打つ。その相手の面をご覧になっていたKu先生がその方に
面の指導を実施。そうしている内に、周りの参加者は二人各々が3本を打ち終わっている。
相手の指導・面打ちが終わり、場の空気を読んで竹刀を収めるつもりが、
Ku先生が、まだ面打ちしてないだろ、面打ちしなさいと促す。
周りに20人前後いる中で、私だけの面打ち3本が始まる。
周りの方の注目を浴びながら、まず1本打つ。
すると、Ku先生からご指導が入る。
要旨はこうだ。
面を打つ直前体が沈む。それは、構えている段階から膝が曲がっているからだ。
すると、相面の際、出遅れる。また、左の踵が上がり過ぎている。
さて、その場面でのご指導において、率直に言って2つ感想ある。
1点目は無用な感想と予め言っておこう。つまりだ、多くの方々の前で自分の欠点が
さらされたようで、お恥ずかしい!ということだ。「無用」と言ったが、仮に自分が指導を
する立場の際、指導する方の思いを想像できそうだ、という意味では有用なのかもしれない。
でも、本来はこちらなのかもしれない(そうあるべきなのかもしれない)。2つ目の感想。
つまり、何て贅沢なんだ!
大勢いる稽古者。もしかしたら、ご指導を頂けない方もいらっしゃるかもしれない中で、
私は直接ご指導頂けた。
それに、最近、相面の際、自分では出遅れてない感覚で打ちだすのに、
結果、出遅れていたと感じる場面が多々あり、何が悪いのか分からずにいた。
一つ疑問点が解決した感じ。
ちなみに、2本目も同じご指導を頂き、これまた恥ずかしい思いはしたが、同時に、
すぐに形は修正できないと実感した。その後の地稽古では、Ku先生へ稽古をお願いして
膝を意識した。過去の私と比べてだと思うが、「良くなっている。」とお言葉を頂いた。
誠にありがたいこと。
3月は、そんな感じで、道場での稽古以外は1,000本素振りを実施した。
徹夜でできなかった日以外は。
けなも
2014年3月17日月曜日
3月の試練
3月1週は、前述した通り、1週間で不足していた本数を分散し、いずれにせよ、
1日1,000本を実施済。
それはいつも通りの、何気ない日常に戻ったはずだった。
ところがだ・・・
帰国後の仕事では、(仕事量的には大したことはないにもかかわらず)
目まぐるしく時が過ぎていった。うまく前に進めない感じ。
そんな中、連日夜遅かったが、3/9(日)夜は、特に遅くまで仕事をした。
近くのファミレスで、3/10(月)午前3時まで。しかし、思うような出来にならず。
睡眠もとらねば・・・。
気づいてはいたが、3/9分の素振りを断念した。
3/10夜帰宅。素振り実施。3/9分を、以降の日で分散しようと計画した(本質ではないが)。
ここから、試練が始まった。
3/11(火)、まず1回目の徹夜。
3/12(水)朝5時頃まで。その後、帰宅し1時間程度の仮眠をとって会社へ向かった。
素振りはしなかった。
3/12(水)、2回目の徹夜。
3/13(木)朝6時30分近くまで。すでに街は動き出していた(そりゃそうだ)。
帰宅し1時間程度の仮眠をとって会社へ。
もちろん、素振りはできなった。
3/13(木)、まさかの3回目の徹夜。
3/14(金)朝5時過ぎまで。その後、帰宅、仮眠、会社へ。
もちろん、素振りはしなかった。
まず、3/11素振りができなかった時点で、ストレスだった。そのことが頭から離れず、
3/12仕事をしていた。
3/12も徹夜になりそうだと分かった時、ふと思った。
「なるほど、これは精神力が試されているんだな。」と。素直に思った。
そうでなければ、この徹夜へ導かれる「不可抗力」は説明できない。
そして、試されることは、つまり、素振りという日課ができなくても、
やるべきことをやる、平常心で。ということだと思った。
そして、素振りができる日が来たら、平常心で実施することだと思った。
だから、3/14(金)夜は21時頃帰宅だったが、素振りした。但し、1,000本にとどめた。
過日の未実施分を取り返そうとしたが、「やれなかった日」と認める方が自然体に
思えた。
いずれにせよ、3徹。思うことは色々ある。
ここで脱線する。俺の特徴。ネフローゼ症候群と、網膜剥離。
まず、ネフローゼ症候群は、体に疲労が溜まると再発しやすいんだなと、
過去の経験から実感していた。
だから、この3日連続の徹夜で、再発してないか、心配になった。
そこで、所々、体に余計な負荷をかけない過ごし方をした。
(余計に走らない、無理に歩かず時間はかかってもバスを待つとか)
また、腎臓とは、一度病気になると、元には戻らないと聞いたことがあった。
何とか「修復」できないか調べたが、良い方法は聞いたことがない。
その代わり、「ツボ」によって、わずかでも元気な状態を保てるよう、
ツボ押しを、ある一定の時間帯に取り入れ、腎臓はじめ内臓のツボ押しを
実施した。
それでも、3日目夜には、足がむくみ始め、「ヤバい」と思った。
靴下をはいている部分が不気味なくらいへこみ始め、靴下から体上方部分との
「差」が生じる。小さな階段というか。写真は無いので、敢えてこの画面で表現するなら
(横から見た足。膝下から→)----___|(|←これ足footの部分。それまでがleg。段差が
生じている)
さて、次に、網膜剥離だ。
3/15(土)朝は、久しぶり道場へ向かう予定が、疲労の為か、昼近くまで起きられなかった。
さて、網膜剥離再発とは話が違うが、何と、3/15(土)夜から、急に右目に目ヤニが。
しかも充血している。3/16(日)朝こそ道場へと思ったが、ここからが「網膜剥離」が
間接的に影響する。
もしかして、網膜剥離の関係で、右目が悪化したか?
心配になり、3/16朝より、近くで開院している眼科へ。結果、ウィルス性の結膜炎。
その医師曰く、「この病気はこれから段々ひどくなる。完治まで2~3週間。この
1週間がピーク、ひどくなりますよ。他者への感染もするので、あなた自身が、
ばい菌だと思って下さい。」
最後の表現、何とかならんか(苦笑)。
ま、つまり、こういうことだ。
俺が剣道をしようとすると、何らかの試練が起きている。2月は、大雪の為、
試合に参加できなかった。それで、徹夜、ネフローゼ、網膜剥離が関連した何かが
起きて、満足に剣道が出来ない状況。
このことは、後日記述するが、この状況をいかにとらえるか。
そこが大きな問題になってくる。
寝ないと。目も休めたい。ちなみに、そうは言っても、右目の目ヤニは収まったが、
今度は、左目に同様の症状が発生。困った・・・。
けなも
1日1,000本を実施済。
それはいつも通りの、何気ない日常に戻ったはずだった。
ところがだ・・・
帰国後の仕事では、(仕事量的には大したことはないにもかかわらず)
目まぐるしく時が過ぎていった。うまく前に進めない感じ。
そんな中、連日夜遅かったが、3/9(日)夜は、特に遅くまで仕事をした。
近くのファミレスで、3/10(月)午前3時まで。しかし、思うような出来にならず。
睡眠もとらねば・・・。
気づいてはいたが、3/9分の素振りを断念した。
3/10夜帰宅。素振り実施。3/9分を、以降の日で分散しようと計画した(本質ではないが)。
ここから、試練が始まった。
3/11(火)、まず1回目の徹夜。
3/12(水)朝5時頃まで。その後、帰宅し1時間程度の仮眠をとって会社へ向かった。
素振りはしなかった。
3/12(水)、2回目の徹夜。
3/13(木)朝6時30分近くまで。すでに街は動き出していた(そりゃそうだ)。
帰宅し1時間程度の仮眠をとって会社へ。
もちろん、素振りはできなった。
3/13(木)、まさかの3回目の徹夜。
3/14(金)朝5時過ぎまで。その後、帰宅、仮眠、会社へ。
もちろん、素振りはしなかった。
まず、3/11素振りができなかった時点で、ストレスだった。そのことが頭から離れず、
3/12仕事をしていた。
3/12も徹夜になりそうだと分かった時、ふと思った。
「なるほど、これは精神力が試されているんだな。」と。素直に思った。
そうでなければ、この徹夜へ導かれる「不可抗力」は説明できない。
そして、試されることは、つまり、素振りという日課ができなくても、
やるべきことをやる、平常心で。ということだと思った。
そして、素振りができる日が来たら、平常心で実施することだと思った。
だから、3/14(金)夜は21時頃帰宅だったが、素振りした。但し、1,000本にとどめた。
過日の未実施分を取り返そうとしたが、「やれなかった日」と認める方が自然体に
思えた。
いずれにせよ、3徹。思うことは色々ある。
ここで脱線する。俺の特徴。ネフローゼ症候群と、網膜剥離。
まず、ネフローゼ症候群は、体に疲労が溜まると再発しやすいんだなと、
過去の経験から実感していた。
だから、この3日連続の徹夜で、再発してないか、心配になった。
そこで、所々、体に余計な負荷をかけない過ごし方をした。
(余計に走らない、無理に歩かず時間はかかってもバスを待つとか)
また、腎臓とは、一度病気になると、元には戻らないと聞いたことがあった。
何とか「修復」できないか調べたが、良い方法は聞いたことがない。
その代わり、「ツボ」によって、わずかでも元気な状態を保てるよう、
ツボ押しを、ある一定の時間帯に取り入れ、腎臓はじめ内臓のツボ押しを
実施した。
それでも、3日目夜には、足がむくみ始め、「ヤバい」と思った。
靴下をはいている部分が不気味なくらいへこみ始め、靴下から体上方部分との
「差」が生じる。小さな階段というか。写真は無いので、敢えてこの画面で表現するなら
(横から見た足。膝下から→)----___|(|←これ足footの部分。それまでがleg。段差が
生じている)
さて、次に、網膜剥離だ。
3/15(土)朝は、久しぶり道場へ向かう予定が、疲労の為か、昼近くまで起きられなかった。
さて、網膜剥離再発とは話が違うが、何と、3/15(土)夜から、急に右目に目ヤニが。
しかも充血している。3/16(日)朝こそ道場へと思ったが、ここからが「網膜剥離」が
間接的に影響する。
もしかして、網膜剥離の関係で、右目が悪化したか?
心配になり、3/16朝より、近くで開院している眼科へ。結果、ウィルス性の結膜炎。
その医師曰く、「この病気はこれから段々ひどくなる。完治まで2~3週間。この
1週間がピーク、ひどくなりますよ。他者への感染もするので、あなた自身が、
ばい菌だと思って下さい。」
最後の表現、何とかならんか(苦笑)。
ま、つまり、こういうことだ。
俺が剣道をしようとすると、何らかの試練が起きている。2月は、大雪の為、
試合に参加できなかった。それで、徹夜、ネフローゼ、網膜剥離が関連した何かが
起きて、満足に剣道が出来ない状況。
このことは、後日記述するが、この状況をいかにとらえるか。
そこが大きな問題になってくる。
寝ないと。目も休めたい。ちなみに、そうは言っても、右目の目ヤニは収まったが、
今度は、左目に同様の症状が発生。困った・・・。
けなも
2014年3月16日日曜日
2014年2月下旬の剣道(主にアメリカ出張報告だが・・・)
さて、前回の続きを、多少書いてから、3月に起きた重大な出来事を書かねば。
2月
前回の続き。
アメリカフロリダ、オーランド出張。
墜落を恐れ怖かった飛行機から雲を撮影。
オーランドに無事到着して。宿泊先ホテルへ向かうシャトルバスより。外は雨が上がった直後。
独特の味がしたコーヒー。
毎日の朝食の内容。ほぼ変わらず・・・。
朝6時30分のホテルテストランの様子。
アメリカのセブンイレブン!
こういうの買った。甘くてドロッとした・・・。
オーランド空港。出発の日・・・。朝5時にホテルを出て、5時30分頃、空港内のファーストフード店へ。外はまだ暗い。窓の外では、空港の近くの通りで車が行きかっているが、窓の内の明かりで反射して見えない。しかし、窓の内が見えるから、反射にて様子が伺える。
ダラス空港にて、昼飯。腹減って。ここでもマック・・・。
飛行機内では、長距離だけなのか、ダラス発成田行きで無料でビールが飲めた!そうなんだー!
初ですから、知らないことばかり。
3/1(土)、成田へ到着。そして、その日、無事帰国に安堵してか、
何と!素振りをせず床に入ってしまった。ちょっと寝るつもりが、目が覚めたら朝だったー!
そこで、3/2から、アメリカとの時差の関係で不足していた分、そして、3/1分の素振りを、
1週間に分散して、実施。
とりあえず、一旦、ここで、中休み。
けなも
2月
前回の続き。
アメリカフロリダ、オーランド出張。
墜落を恐れ怖かった飛行機から雲を撮影。
まもなくダラス空港へ到着するという時の飛行機から朝日が見えた。現地2/22(土)。
初アメリカダラスにて。
アメリカの地へ降りたという意味では、ダラス空港が初となった。そこで、腹が減って最初に食べたアメリカの食事が、マック!
オーランドに無事到着して。宿泊先ホテルへ向かうシャトルバスより。外は雨が上がった直後。
とあるイベントのレセプションパーティー入口で迎えてくれた女性。多分、3メートルくらいある。スカートの下に小さな踏み台兼脚立が隠れている。
ホテルの部屋の様子。
独特の味がしたコーヒー。
毎日の朝食の内容。ほぼ変わらず・・・。
朝6時30分のホテルテストランの様子。
朝食レストランからのある風景。
夕飯。某レストランにて。パスタ。好みの味ではなかった・・・。
アメリカのセブンイレブン!
こういうの買った。甘くてドロッとした・・・。
毎日食べて慣れてきた・・・。
オーランド空港。出発の日・・・。朝5時にホテルを出て、5時30分頃、空港内のファーストフード店へ。外はまだ暗い。窓の外では、空港の近くの通りで車が行きかっているが、窓の内の明かりで反射して見えない。しかし、窓の内が見えるから、反射にて様子が伺える。
ダラス空港にて、昼飯。腹減って。ここでもマック・・・。
飛行機内では、長距離だけなのか、ダラス発成田行きで無料でビールが飲めた!そうなんだー!
初ですから、知らないことばかり。
3/1(土)、成田へ到着。そして、その日、無事帰国に安堵してか、
何と!素振りをせず床に入ってしまった。ちょっと寝るつもりが、目が覚めたら朝だったー!
そこで、3/2から、アメリカとの時差の関係で不足していた分、そして、3/1分の素振りを、
1週間に分散して、実施。
とりあえず、一旦、ここで、中休み。
けなも
2014年3月5日水曜日
フロリダ州オーランドで剣道
2/22(土)
朝、自宅を出て成田空港へ。
持ち物は、着替えと筆記用具と、木刀・竹刀、そして、剣道具一式。
そして、アメリカへ。
え?何しにって?
もちろん、仕事。出張ですよ。
若干、緊張して荷物検査。事前に航空会社には確認済だったから
大丈夫とは分かってたが、念の為ということで確認が行われた。
もちろん、セーフ。そして、出国。飛行機で、まずはダラスへ。正午出発。
飛行機は大の苦手。落ちたらどうしようと考える毎日だった。
パラシュート購入も検討していた。10万円前後すると分かっていた。
結局、買わなかったが、落ちていたら、きっと買わないことを後悔していたのかな。
日付変更線をまたいでアメリカへ。過去、一度、ギリシャ・南イタリアへツアーで
旅行に行ったことあった。今から8年前。私用で。それが初海外だった。
飛行機が怖いのと、別に海外に強い興味があった訳ではなかったので、
学生時代も海外とは無縁だった。
いずれにせよ、海外と言う意味では2回目。ただ、今回は、一人海外。
旅行会社を通してホテル・飛行機の手配はした。しかし、それ以外はすべて自分で処理。
仕事の内容は、海外の業界動向、プチ市場調査。
夜、飛行機から見下ろしたアメリカ・サンフランシスコ(現地時間午前1時頃)は、
積み木で言うと、正方形の上に、台形が乗っている、家のような形に見えた。
区画整理されているように見えた上に、街が煌々と明かりで輝いていた。
あの時間、街では何が行われていたのだろうか。
さて、ダラスに到着後、乗り換えて、今度はオーランド国際空港へ向かった。
長くなるので、詳細は省くが、無事、オーランド国際空港に到着した。
さて、ここから地力でホテルへたどり着く必要がある。「地力」と言っても、
もちろん、歩くわけではない。現地の人に直接、交通手段を聞いて、
利用可能な手段でホテルへ到着する必要がある。
結論から言うと、シャトルバスを使うことになった。実は高く値がつく手段でないか、
騙されていないか心配だったが、結果としては、無難な交通手段だった。20ドル。
って言うか、その部分だけ読むと、「事前に調べて行けよ。」と思うかもしれない。
実は、出張前、旅行会社の担当者とは地図で地理的な情報を共有していた。
空港からホテル、ホテルから仕事場となる会場の位置は把握していた。そして、
各々の「距離」もおおよそ予想がついていた。
だから、事前に特別な準備は不要と思った。
が、その見通しは甘いことが、徐々に判明していく。
いずれにせよ、ホテルには無事着いた。チェックインも済ませ、部屋に到着したのが、
現地時間、18時過ぎ。日本時間で言うと、2/23(日)午前4時過ぎ。
到着した後、荷物整理、夕飯(近くのピザ屋からピザを購入)を済ませ、そして恒例の
素振りを実施した。夜の外は危険かと思い、あらかじめ、ホテルの部屋の中で正座して
素振りをすることにしていた。
日本時間2/21(金)夜は、普通に1,000本。アメリカの2/22(土)夜は、日本の2/23(日)朝。
そのままだと、アメリカ出国時2/28(金)分は日本到着3/1(土)となり、2/28分の素振りが
実施されないままになるのを防ぐため、アメリカ2/22夜から1,150本とした。2/28分を
あらかじめ1週間の各日へ分散させる形をとった。
まだ書きたいのですが、もう睡魔が襲ってきました。
あと一言だけ記載すると、現地の剣道場へ行き、稽古を一緒にしてきた。
みなさんは、とても真面目で真剣に稽古されている姿を見て、とても感銘を受けた。
続きは、また今度。
けなも
朝、自宅を出て成田空港へ。
持ち物は、着替えと筆記用具と、木刀・竹刀、そして、剣道具一式。
そして、アメリカへ。
え?何しにって?
もちろん、仕事。出張ですよ。
若干、緊張して荷物検査。事前に航空会社には確認済だったから
大丈夫とは分かってたが、念の為ということで確認が行われた。
もちろん、セーフ。そして、出国。飛行機で、まずはダラスへ。正午出発。
飛行機は大の苦手。落ちたらどうしようと考える毎日だった。
パラシュート購入も検討していた。10万円前後すると分かっていた。
結局、買わなかったが、落ちていたら、きっと買わないことを後悔していたのかな。
日付変更線をまたいでアメリカへ。過去、一度、ギリシャ・南イタリアへツアーで
旅行に行ったことあった。今から8年前。私用で。それが初海外だった。
飛行機が怖いのと、別に海外に強い興味があった訳ではなかったので、
学生時代も海外とは無縁だった。
いずれにせよ、海外と言う意味では2回目。ただ、今回は、一人海外。
旅行会社を通してホテル・飛行機の手配はした。しかし、それ以外はすべて自分で処理。
仕事の内容は、海外の業界動向、プチ市場調査。
夜、飛行機から見下ろしたアメリカ・サンフランシスコ(現地時間午前1時頃)は、
積み木で言うと、正方形の上に、台形が乗っている、家のような形に見えた。
区画整理されているように見えた上に、街が煌々と明かりで輝いていた。
あの時間、街では何が行われていたのだろうか。
さて、ダラスに到着後、乗り換えて、今度はオーランド国際空港へ向かった。
長くなるので、詳細は省くが、無事、オーランド国際空港に到着した。
さて、ここから地力でホテルへたどり着く必要がある。「地力」と言っても、
もちろん、歩くわけではない。現地の人に直接、交通手段を聞いて、
利用可能な手段でホテルへ到着する必要がある。
結論から言うと、シャトルバスを使うことになった。実は高く値がつく手段でないか、
騙されていないか心配だったが、結果としては、無難な交通手段だった。20ドル。
って言うか、その部分だけ読むと、「事前に調べて行けよ。」と思うかもしれない。
実は、出張前、旅行会社の担当者とは地図で地理的な情報を共有していた。
空港からホテル、ホテルから仕事場となる会場の位置は把握していた。そして、
各々の「距離」もおおよそ予想がついていた。
だから、事前に特別な準備は不要と思った。
が、その見通しは甘いことが、徐々に判明していく。
いずれにせよ、ホテルには無事着いた。チェックインも済ませ、部屋に到着したのが、
現地時間、18時過ぎ。日本時間で言うと、2/23(日)午前4時過ぎ。
到着した後、荷物整理、夕飯(近くのピザ屋からピザを購入)を済ませ、そして恒例の
素振りを実施した。夜の外は危険かと思い、あらかじめ、ホテルの部屋の中で正座して
素振りをすることにしていた。
日本時間2/21(金)夜は、普通に1,000本。アメリカの2/22(土)夜は、日本の2/23(日)朝。
そのままだと、アメリカ出国時2/28(金)分は日本到着3/1(土)となり、2/28分の素振りが
実施されないままになるのを防ぐため、アメリカ2/22夜から1,150本とした。2/28分を
あらかじめ1週間の各日へ分散させる形をとった。
まだ書きたいのですが、もう睡魔が襲ってきました。
あと一言だけ記載すると、現地の剣道場へ行き、稽古を一緒にしてきた。
みなさんは、とても真面目で真剣に稽古されている姿を見て、とても感銘を受けた。
続きは、また今度。
けなも
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