2020年12月31日木曜日

 12/31(木)


本年もお世話になりました。


いつもなら、12/29に仙台に一泊して地元に帰省する年を過ごしていましたが、

今年はコロナということもあり、外出は自粛しました。


世界中でコロナが終息する2021年を迎えられますように。

皆さまの益々のご健勝をお祈り申し上げます。

私も、こうやってブログを作成できる程、無事であることに感謝しながら。



と、まずは書きたいことを先に書いて、以下は雑談です。



12月26日(土)の稽古の一幕。

この際撮った動画に音声が入っていた。Ku教士七段のお言葉。
私に対する評価、
「あいつは、七段受けたら受けるから。」
と聞こえたが、多分、「受けるから」じゃなくて、「受かるから」と
おっしゃりたかったと思う。

感謝の気持ちを忘れず。

もっと強くなりたい。

2020年は六段に昇段できた。
六年後、七段に挑戦する。
その後、八段に挑戦したい。

『剣道日本』の2021年1月号の後半に岩切先生の剣道具(防具)と一緒に
特集が掲載されていた。そこで、八段審査を受審するに当たり剣道具を
新調されるよう促された件(くだり)があった。

最短で16年後に八段へ挑戦できる。八段へ挑戦したい。
すると、新たな剣道具を身にまとい審査に挑みたいという気持ちがある。
たしかに見た目としては、綺麗に見えると思う。

でも、本心は今の泉皓胸で剣道具としても綺麗に見える状態で八段審査に
挑みたい。

でも、もう泉皓胸は新たに生まれることはない。

でも、今使用している泉皓胸の胴を今使わない、という選択肢は今は無い。
沢山使って、もっともっともっともっともっと強くなりたい。
すると最短16年後は傷だらけの胴であり剣道具であると思う。

やはり最短16年後に向けて、いつかのタイミングで剣道具を
新調すべきか。

そして考える。

仮に、最短16年後に八段に挑戦させて頂ける際、どの剣道具で臨むか。

そして考える。

胴の色は?
溜塗はかっこいい。たたきもいい。赤色もよい。サメ胴かっこいい。

おそらく、年齢的にもあと何式も剣道は買えない。

あと一式。買うなら、どこの武道具店の剣道具?


そして、胴の色は?


色々と思いめぐらすけど、


ふと思った。


黒呂色ってすごい!

だって、

黒呂色って、

個人的な感想とお断りしますが、

何色にも変化するんです。

お分かりになりますか?


黒呂色って、

相応の漆を使用している前提ですよ!


鏡のように反射するんです。何色にもなるんです。


例えば、私の胴は、


どうぞ!




単なる「黒」じゃない。

お分かりになりますでしょうか。
まず、光の反射に加えて、

ちょっと茶色っぽいんです。そう、道場の壁や床の色を反映しているんです。

分かりにくいと思うので、別写真。




Yシャツの白が映ってますね。

その他、モノが散乱しているのが鏡のようにお分かりになると思いますが(笑)、
すべてとは申し上げませんが、一部の色(本棚)が何となく色があるのが
お分かりになりますでしょうか。


そうです、


黒呂色(それなりの漆ですが)は、何色にも変化できる可能性を秘めている。
茶色にも、白色にもなる。もしかしたら赤にもなるかもしれない。

個人的な感想ですが、

黒呂色の魅力は何色にも変化できる。
そう気づいたのは、2011年の全日本八段選抜大会に出場された先生方の
試合(『剣道時代』に付属DVDの動画)を拝見した際のこと。
そして、今自分が使用している胴に思いを馳せた六段審査後。

今、この胴を使っていられることをありがたく思う。

だから、

もし次、あと一式を購入するなら、私は相応の漆を使った黒呂色の胴台を
望むことにしようと考えてます。


最短16年後に向けて、今から、年10万円(月1万円弱)を貯蓄して、
森武道具の「旺山」か、東山堂の「光琳」か、松勘の「M-A」を購入して、
八段審査に臨みたい。

そして、それに見合う程に自分を鍛え、追い込みたい。

今年、本数は増減あるけれど、面を付けて稽古した日以外
多分、文字通り一日も欠かさず、素振りしたと記憶している。


強くなりたい。


今は自宅で一人だけ酒飲んで、来年以降に思いをはせている。
今は、NHK紅白、あいみょん「裸の心」を聞きながら。



2020年も、皆さまの御支えがあってここまで来られました。
本当にありがとうございました。

2021年もお世話になります。

何卒よろしくお願い申し上げます。

コロナが終息しますように。

皆さまにとって、素敵な2021年となりますように。


けなも

2020年11月7日土曜日

11/7(土) 久々の1,000本(千本)素振り

11/7(土)

 

10/14(水)の六段審査後、右かかと、右腰、右首を痛めていた。

 

整体にも通ったが、右腰だけは治らず。

 

「右腰」とは書いたが、腰である確信はなく、しかし、この背中なのか腰なのか、

お尻なのか分からず、思い切って11/6(金)午後18時30分頃、腰を専門とする整体に 行ってみた。

 

そして、結局、それは「腰痛」であることを悟った。

 

何年か前から、しゃがんだ状態で顔を下に向けると背中なのか、腰なのか、 痛い時があった。でも、一時的でその後何も感じず、 という数日間が、何回か波のように訪れる時があった。

 

ところが、六段審査の数日後からおよそ2週間はその痛みが常時離れない。

初めてのこと。そこで、冒頭記載の通り整体(背骨専門)にも行ってみたが 治らず、腰だとは思ってなかったが、腰専門の整体に行ったところ「腰痛」と ご指摘を受けて、納得する部分があった。 股関節のインナーマッスルが衰えた結果であると。

そうですかー。

 

別に裕福な家庭ではないので、限られた資金の中で何とか回復へと向かえればと思う。 それにしても、真っすぐ立っている時や、剣道をやっている時は腰に痛みを 感じることは無い。

 

体を反らしたりすると痛むが。 そんな中、本日は久しぶり1,000本(千本)素振り。

 

強い剣士でありたい。続けられる本数を続けよう。

 

千本は、今は続けられないと思うが、 仕事がある程度余裕が出来たら、 そして、七段のある時からは、千本は普通に実践できると良いのではないかと思いながら。

 

けなも

2020年10月18日日曜日

直近の振り返り

前回のブログ(https://kenamo.blogspot.com/2020/10/202010141017.html)では、

年単位で振り返った。

 

ここ数か月の、もう少し具体的な振り返りをしたい。

 

コロナが日本でも脅威と思えたのは今年の春頃か。

著名な方もお亡くなりになり、緊急事態宣言もあり。

その頃は、外出することも、「悪」とまでは言わないでも、

人目を気にした。

 

その頃は、夜中、他人と接することない時間帯の22時~

翌日深夜1時前後を中心に、それでも短時間で素振りを

終わらせるべきかと思い、本数は200本とすることが多かった。

 

緊急事態宣言が終わった後も、警戒する気持ちは変わらず、

大きくペースを変えることはしなかった。6月に、4月六段審査の

代替審査が10月に実施されると分かっても変わらなかったかな。

だって、町の道場は使用不可のままだったし、また状況は変わる

可能性も想定していた。

 

夏ころになり、町の道場は7月頃から制限付きで開放され始めた

らしいが、道場に行って稽古をする気にはなれなかった。まだまだ

警戒すべきと思っていたから。ご年配の先生方も数多くいらっしゃる。

 

8月も変わらず。

 

先に言い忘れたが、毎日素振りは続けた。

 

9月19日(土)~9月22日(火)の4連休を迎える数日前から、

全国でも剣道に限らず各種イベントが3密を避け消毒を徹底した状態で

実施されるので、10月の審査会も実施されることを意識し始めた。

 

200本から徐々に本数を上げていった。とは言え、一気にはできなから、

1日10本を増やす形で進めていった。

 

9月最後の土曜日(9/26)に、町の道場に顔を出し、どのように稽古会が

実施されているか確認した。

 

9/27(日)の抜歯は想定外だったけど(https://kenamo.blogspot.com/2020/09/blog-post.html)。

何とか審査を切り抜けた。

 

審査本番前の2週間前の9月最終週からはダッシュ、形稽古も徐々に

取り入れ始めた。

ダッシュは、20mほどを、まずは3回。形稽古はまずは仕太刀の動きに専念。

素振りの本数は400本。

 

その後、ダッシュを20mを5回を上限として、形稽古は仕太刀に1週間はかけて、

素振りはもちろん、立ち合い・蹲踞前後のふるまい、呼吸を意識して。

 

プロテインも適量を適切なタイミングで摂取した。体も徐々に絞られてきているのを

実感した。

 

10/3(土)8か月ぶりに面をつけての稽古(https://kenamo.blogspot.com/2020/10/8.html)。

幸いにも剣道の感覚は覚えていた。素振りのおかげか。

具体的には、T教士七段との稽古において、無駄打ちせず、一本に飛ぶタイミングを

確認できたこと、短時間で、それを体がまだ覚えていることにちょっと安心したのは

大きかった。

 

10/10(土)、10/11(日)のことは既述の通り(https://kenamo.blogspot.com/2020/10/blog-post.html)。

10/10(土)の町の稽古会で、K教士七段に初太刀で決めさせて頂いた、

出てくる所、面返し胴をされるそのタイミングで上から面に行けたことも

自信にさせて頂いた。その後は、まっすぐの面に小手を2本連続で頂いたが、

打たれることは本当にどうでも良かった。

 

審査前日のことは既述の通り(https://kenamo.blogspot.com/2020/10/20201014.html)。

 

すぐにでも七段を受審したい。今の剣道に自信があるのだと思う。

試合では勝てないが、正しい剣道を教えて頂いている。それが自信になっている。

そういう実感は、少なくとも2018年秋にはあった。3人の八段に対し、Ku範士八段に

教わった攻めで臨んだ体験の際、自信をもって臨めた時がそうだった。

https://kenamo.blogspot.com/2018/10/20181008.html

 

それと、2019年1月、大勢いらっしゃる稽古会の中で、Shi教士八段から気迫を

褒められたこと(https://kenamo.blogspot.com/2019/01/20182019.html)も

大きな自信になっていた。

 

先生方のご指導のおかげで自信をつけさせて頂いた。

 

過信になってはいけないので、戒めは必要だが、自信を持てることは

ありがたいこと。

 

感謝の気持ちを忘れず。

 

けなも

2020/10/14(水)六段審査までの過程振り返りと、10/17(土)町の稽古でのこと ~これまでとこれから~

ざっとだが、六段審査までの過程を振り返りたい。

 

まず、ざっと五段合格時のブログを振り返る。

 

■2015年2月15日 https://kenamo.blogspot.com/2015/02/blog-post.html

■抜粋

平日、面を付けての稽古は、ここ数年できてない。代わりに素振りだけ。 土日は、街の道場で、オープンな稽古会。努めて参加するようにしているが、 それでも、ここ数か月は、結局、月2~3回しか面を付けられてない。これでいいのか。 五段審査前は「素振りを継続してきたから大丈夫」と思い、 立会前後は「やはり素振りだけでは合格できないのではないか。」と思った。 気持ちと言うのは不思議なもので、やる前は奮起していたはずの気持ちが、 いざ本番となると弱気になった。 それを支えたのは、普段の稽古、というか、普段の素振りであり、換言すると、 私なりの「準備」であった。 そして、あとは「開き直り」。 ダメだったらダメでいいじゃん。今は、目の前のことに、全力で当たるだけ、 みたいな。

■抜粋終了

 

そう、五段受審時前も平日の稽古はできず、土日中心の稽古で月2~3回だった。

素振り中心だった。 そして、この5年間、その状況はまったく変わらず、

いやコロナの関係で8か月間は 面を付けての稽古が出来ない状況であったという

異例の状況だった。 が、素振りは継続してきた。毎日。

どうしても、仕事で深夜遅くに帰宅した場合とか 仕事で深夜帰宅の上、

過労の結果、玄関で寝てしまった場合でも、その後、自宅の 廊下で50本は

素振りをした。何回かあったのは事実。

 

それ以外は、この5年間という意味では、

2014年1月30日から続けた1,000本素振り(千本素振り)を(https://kenamo.blogspot.com/2014/01/1000.html

2017年夏まで続けた(https://kenamo.blogspot.com/2017/09/6089.html)。

 

もちろん、1日も欠かさずという訳ではなかったが、よく続けたと思う。

 

で、2017年秋以降も千本ではないが継続した。400本は続けた。

これまた1日も欠かさずとはいかないまでも、適当なことは言えないから

抽象的な表現だけど、 「ほぼ毎日」続けた。道場での稽古は変わらず、

月に平均2~3回で0回の時もあった。4回の時もあったかな。 ほぼ土日中心。

というか、この何年間かは日曜の町の稽古会のみか。

 

ということで、やはり俺の剣道半生は「素振りの剣道」ということだろう。

 

そして、おそらく、今の仕事を継続する限り、その状況は変わらないだろう。

今回の六段審査では、上記五段審査時の心境とはちょっと違って、

五段審査よりは「やれる」自信があった。五段審査時に思った「やはり素振りだけでは合格できないのではないか。」 とは思わなかった。

 

それより、合格できるかは分からないけれど、良い立ち合いができる自信があった。

なぜだろう。

 

一番大きいのは、Ku範士八段の教えの下、「まっすぐ攻めて打ち間からの面」を

Ku範士八段に5年の間で何度もお願い しては、それの積み重ねで地力がついた

実感があったからだと思う。 そして、その稽古を支えている素振り。

素振りによって、筋力、気力、体力が、短期間で養われるものではないので、

長期間継続してきたことで、稽古に臨めるだけのレベルに高められたのだと思う。

 

<毎日の素振り+日曜・町の稽古会(いつもいらっしゃる訳ではないがKu範士八段への真っすぐ面)>

 

その上で、町の試合で上位に食い込むことで、自分の剣道を見つめ直す機会を

与えて頂いたということなのだと思う。 よって、Ku範士八段始め、多くの先生方、

仲間のお陰であることは言うまでも無く、 そして、素振りが自分の「剣道力」を

養ってくれたのだと思う。 七段取得も通過点でしかないと考えているが、

まずは七段取得の6年後に向けて、 これまでと変わらず(工夫は重ねるという意味で

変化はあるだろうが)、このままのリズムで、 この6年間を過ごしてみたい。

 

自分なりの稽古スタイルを模索してきたが、つまり自分には合っているという

ことなのだと考えている。

 

 

10/17(土)

町の稽古会に参加。六段合格を報告する目的だったので、みっちり稽古をする気持ちはなかった。 お世話になった先生方に挨拶に向かった。

そして、前回同様、素振り用木刀で準備運動を始めていた所、

素振り用木刀を、形用の木刀と見間違えられたのか、私よりおそらく

10は上のあるご婦人から、 形稽古に付き合って欲しいと言われた。

元々、六段審査の反省もあり、形用の木刀は持参してきていて、

誰かと稽古する機会があればと 考えてはいた。 それについ数字前に

六段合格した際には、形の審査も実施し、完ぺきとは口が裂けても言えないが、

無難にできる自信はあったので、ご婦人のご依頼を快諾させて頂いた。

 

なお、そのご婦人は 11月に六段審査を受けると、そのちょっと前に別の方と

会話する話が聞こえてきて認識していた。 軽い気持ちで相対した。

 

六段合格後の良い意味での戒めになったと認識しているが、

その方との形稽古の流れの中で、私は仕太刀役だったが、三本目の足さばきを

誤ってしまい、 残心が正しくない形となった。加えて、あと一か所誤った。

 

つまり、正しい形が体に染みついてない ということ。

 

審査直前まで張りつめてほぼ毎日2週間は勉強したが、六段合格後2日間

空いただけで 感覚を忘れていた。これは俺にとってインパクトある事実を突きつけれた感覚だ。

 

そのご婦人は、いつも稽古は真剣だ。そして、その形稽古も真剣そのもので

形はしっかりされていた。 一方の俺は、結果、恥ずかしい形となった。

このままでは打ち太刀役となった時、打ち太刀の方が自信無かったので、

ミス連発するのではないかと 不安な気持ちとなった。 と、周りの方々が面を

付けて稽古を始める状況となった。ご婦人より、面をつけての稽古が始まるので、

本日はここまでにしましょうと、形稽古を終了する旨の話があった。

 

安心したと同時に、恥ずかしかった。このご婦人に、六段合格したとは言えなかった。

何なら、ご婦人は、私の形稽古不足を見破って、優しさで切り上げたのかもしれない。

 

形稽古、不断の努力が必要だ。六段となった以上、恥ずかしい形をする訳には

いかない。 六段取得直後、非常に重たい教訓となった。

 

なお、その後、そのご婦人とは面を付けての稽古もご一緒させて頂いた。

形としては何本か頂いたし、もちろん俺が劣勢となることはなかったが、

しかし、そのご婦人も決して怯まなかった。感心すると同時に、自分より

10程度も年上の五段の方に 手こずった(という表現は適切でないかもしれないが)

ということが、自分の剣道がやはり 課題山積であることを感じさせた。

 

その後、七段の先生に稽古をお願いした時のこと、 ご年配の、おそらく70代の先生。

いつもこの先生にお願いすると、他の先生よりも近間となる。 何と言うか、

その先生だとそうなると思ってそうしていたが、そして、そうすることで、

たしかに 打ちが早い俺は何本か決める訳だが、 本日、他の先生ともこんなに

近間でやるのか?と問われ、反省した。 そう、近間は近間なんだ。

 

その先生とはそうすべきと思っていたし、近間から打つことで 何本も当たるが、

当てることに意識が向いてしまい、当たると満足していた自分がいたことを

自覚させられた。 やはり違うんだ。どんな相手も、自分の打ち間から打たないと。

 

ご年配の先生相手に、当てられたことを満足していた自分が非常に恥ずかしいと思った。

 

ご婦人といい、ご年配の先生と言い、六段取得後、気分良く稽古をあがりたかったが、

気分悪く道場を後にすることになった。

 

そう、つまり、良い教訓を頂いたのだ。 決して、六段取得で浮かれることもなければ、

手を抜くことも、稽古量を減らすことにもならない。 六段取得は通過点であるという

ことはもちろんだが、 稽古は常に正しく稽古しなければいけない、

 

そして、正しい稽古をし続けなければいけない。 六段取得が通過点であるならなおさら。

 

おごり高ぶるな。六段として(全国で認められたならなおさら)責任を果たせ、

その為に、稽古を怠るな。

 

10/17(土)の稽古の、俺に対するメッセージ。非常に重たいメッセージであり、

重く受け止めなければいけない。

 

何も足さない、何も引かない。これまでと同じ、ただ稽古するのみ。

 

六段合格後、そのような教訓を頂いたということ。

 

最後に、10/13(火)夜に足裏マッサージ受けたことは10/14(水)ブログに

記載しましたが、 そのマッサージの際、いつものマッサージとは違い、

右足のかかとを重点的に刺激する時間があった。過去感じた痛みが走ったが、

まぁ、良い方向へと向かう必要な痛みだと自分に 言い聞かせた。

 

六段審査では痛みが走ることがなかったのは偶然だったのか。今思えば。

 

ところが、10/17(土)の稽古の際、稽古開始直後から、踏み込み時に痛みが走った。

高校生の頃や、再開して間もなくして感じた痛みだが、どうやら再発したらしい。

ヤバい。 しばらくして痛みがまた「冬眠」してくれるといいが、これは嬉しくない。

10/17稽古開始直後から、先生方に稽古をお願いする時も痛みが走り、その分、

打ちが足ではなくて、腕の力に頼る打ちとなってしまった。 これは良くない。

早く痛みが引いて欲しい。

 

今、湿布をしている。

 

けなも

2020年10月15日木曜日

2020年10月14日 剣道六段審査会(兵庫県姫路市@ウインク武道館)


 

剣道六段審査会に臨んできました。「日誌」という性格上、

筆者の書きたいように書いてしまいます事、何卒ご容赦下さい。

今回は長文になります。

 

 

先に結論から申し上げると、

 

初受審でしたが、何とか合格させて頂きました。

これも支えて頂いた皆さま方のおかげです。

本当にありがとうございました。

 

メモ:合格率24.8%(全日本剣道連盟HP:https://www.kendo.or.jp/examination/kendo-6dan-20201014-hyogo/

 

では、以下、日誌。

なお、日誌という性格上という意味でもう一点、

あとあと自分が読んだ際の参考にもすべく嘘は書かないですし、

より積極的に言うと、もしかしたら見る方が見れば不快になるような

率直すぎる感想を述べる部分があるかもしれませんが、どうぞ、

ご容赦下さい。

 

10/13(火)

当初の予定では、10/13(火)と10/14(水)の2日間連続で休暇を

取る予定だった。そのことは6月時点で、審査が10/14に延期されたと

判明し、参加すると決めた時点から決めていたことだった。

 

そう、書き忘れたが、元々は4月末に京都で六段審査を受ける予定だった。

それが2月だったか3月だったか、4月末の審査は延期となった。

延期後の審査は、飽くまで4月末の代替審査であり、仮に合格出来たら、

4月末に合格したものとして段位を頂けるという趣旨だったと記憶している。

 

そして、代替審査が10/14(水)と決定して参加意思を表明してからは、

既述の通り仕事を休む計画をしていたし、宿泊先も予約した。

そして、10/13(火)は以下の通りで行動予定だった。

・午後3時、ホテル到着、荷物を置いてすぐに審査会場へ一度足を運び、

 会場周辺でその日の稽古(素振り)をし、ランニングも実施

・午後5時頃には風呂につかる

・午後6時頃には食事

・午後10時頃就寝、翌朝6時頃には起床し、散歩等する

 

みたいな、本番に臨むには完ぺきなシナリオを描いていた。

 

が・・・

 

実態は、10/12(月)の段階で、急な仕事が舞い込み、

10/13(火)は午前だけ出勤することにした。

 

はずが・・・、

 

お客様のご事情もあり(詳細は割愛)、結局、なんと、以下となった。

 

・午後7時17分頃、品川駅から新幹線で出発。

・午後10時6分頃、姫路駅に到着。

 

まじかー、って感じ。

 

品川駅の構内でうどんを食べて夕飯を済ませ、

新幹線の中では、絶対練習不足の、形稽古の動画(YouTube)を

ひたすらみまくった。

 

午後10時15分頃、宿泊先へ到着。

近くの公園を探し、徒歩5分くらいで到着し(午後10時50分頃)、

いつもの素振りより若干抑え目で実施。

300本、3本ダッシュ。終了したのは、午後11時20分頃。

公園の存在に感謝です。

 

午後11時40分頃、風呂に入り、

ネフローゼで、大事な日の前には体調を整えたい一心で、

ホテル付属のマッサージ店で足裏を押して頂いた。

午前0時から30分程度。

 

そのまま就寝と言いたい所だが、翌日・・・ではなくて、

もう午前0時を回っているので、その日(10/14)は朝からすぐに

移動できるように、諸々の準備を実施した。

 

あ、そうそう、、10/13は、仕事関係者には見られないよう、

朝方早めに出勤して、物置部屋に剣道具一式を置いた。

そして、仕事が終わったらそのまま姫路へ向かうことにいしていた。

 

と言うことで、本当なら私服で姫路へ向かう予定が、

スーツ姿、革靴というリラックスできない服装だった。

ということも想定して、普段の素振りの際に使っているシューズと、

ウィンドブレーカー等の一式も剣道具と共に用意していた。

 

で、10/13(火)夜、汗かいたワイシャツ、パンツ、靴下等一式を

ホテルの洗濯機にかけて、スーツのズボンはプレッサーにかけて、

などを実施して、床に就いたのは、10/14(水)午前1時30分前後

だったか…。

 

本番前にあり得るか、こんなこと。

 

で、本当なら午前6時に起きたかったが、午前7時に目覚ましをセットして、

睡眠時間を少しでも稼いだ。それでも、5時間ちょっと?もっとも、

本番を前にしてすぐに眠れるわけは無く、あれこれ考え午前2時は

過ぎてたかな。もうね、望んでない過ごし方。

 

で、10/14(水)、午前7時すぐに起きたくなく(まぁ、そのまま眠っていたら

二度寝で審査は参加もできてなかったかもしれないが)、なんとか体を

起こし、午前7時40分頃に朝食会場に向かい、

 

午前8時なる頃には

部屋に戻り、

 

そして、トイレに行った。ここまでは、望んでないけど、まだいつもの朝。

 

問題は、このトイレの時のこと。

 

まさか

 

 

。。。

 

おい、まじか、結構出血してるぞ。たしかに前日お尻に軽い痛みはあったけど、

何も本番当日、血がそこそこ出る必要ないだろ、おいおいおいおいおい!!!

 

もうね、前日の過ごし方といい、寝不足と言い、この痔と言い、

一体、何なの、特に、痔って。血をたらたらこぼしながら立ち合いはできないっつーの。

 

トイレで焦って、しかし実はタクシーを手配していたので、

まもなく到着するタクシーのことを想像すると焦り、実際、うっすら汗をかきながら、

お尻の血をティッシュで止める対応を何度か繰り返した。患部らしきところを

抑えて、血が止まるのを待つ。まるで、注射を打った後のガーゼで抑えておいて

下さいねと看護師から言われるみたいな感じの対応。

 

ところが、なかなか止まらない。似たようなことはあったし、同様に止血してきた

けど、今回は止まらない。困った。

 

前日の過ごし方もそうだけど、痔もそうだけど、

想定内だったけど、起きて欲しくないことだった。

 

「想定内」とは書いたが、実は、こういう時の為に、

このまま剣道する訳にはいかないから、トランクスの何というか、

隙間ない版と言ったら男性は分かるだろうか、ブリーフじゃないけど、

太ももの通気空間が無い版みたいなもの、は用意していた。

 

何年か前、試合直前に痔になった時にも同様の対応をしていた。

 

そして、今回は想定して、念のため、用意していた。

でも、本当に使うことになるとは。

 

痔の記述だけで長くなった…(泣)。

 

で、いったん、血は完全に止まらなかったけれど、少し収まってきた

タイミングで部屋を出てチェックアウトに向かった。その際、何だか

冷たいものがお尻から太ももをつたったようで、悲しい気持ちになった。

 

のまま、タクシーに乗ったが、タクシーのきれいな白いシートが、

ズボンから染み出た赤い液体で染まらないか気になって仕方なかった。

 

全剣連から送付されてきた当日の案内メールを印刷していたが、

その紙をお尻に敷いた。もう、何なの!

 

会場に到着した。会場は、ウインク武道館(兵庫県立武道館)。

立派な建物ですね、ほんと。

 

会場到着が、午前8時25分頃。まだ閉まっている会場入り口から列ができていた。

ざっと、50名くらいが列を作っていた。私が並んだ時点の最後尾が、たまたまベンチが

あったので、座って敢えてお尻を止血するように、患部に体重をかけて、

傷口があるであろう部分を体重で圧をかけた。傷口ふさがれ!と。

 

午前8時45分頃、それまで一列だった行列を四列にするよう事務局からの

指示があり、ベンチから離れ、立って移動し、立って午前9時の入り口開場を待つ。

 

午前9時気持ちちょっと前かな、開場。

 

私は第三会場で審査を受ける者としての受付となった。

所属都道府県と名前を確認しカードを受け取り、審査会場へ入る。

 

着替える。

 

準備運動をする時間は確保されず、各自でアップ。

大勢の方がいらっしゃるので、限られたスペースで、

私の場合だと、結局、合計50~60本くらいの本数を素振り用の木刀で

素振り、あとは蹲踞前後の所作を、本番想定しながら繰り返した。

 

午前10時頃、開会式はしないが、蒔田先生のご挨拶があった。

 

そして、各会場20名ずつでまずは審査するとのことで、呼ばれた20名が

立ち合い会場となる一階へ下りて行った。そして、審査が始まっていく。

 

ここまで書いたが、もっと詳細を書きたいがPCの調子が悪く、文字変換に

不調を来しており、残念ながら、以下、ざっと書くことにする。

 

スマホメモをまずは張り付ける。

 

この五年間をぶつけると自分に言い聞かせた。

と、ふと、今思えば、面返し胴とかしなかった。応じ技はなかった。このメール書きながら気づいた。

じゃあ、何が審判に評価頂けたのか。

気合い

だと思う。

自分含む4人一組の審査が始まった。私は3立ち合い目だから、最初の2立合を拝見した。
ふと思った。

あれ、気迫が足りない?

だから、誰よりも気合い入れようと思って立合に臨んだ。そしてそれは大正解だったと思う。

他の3人の受審者よりも抜きん出なければいけない。

剣道時代の松風館昇段審査対策のDVDから印象に残ったお言葉。

そして、気合いという意味では、他のお三方よりは抜きん出ていたと思うし、審判の先生方も、ちょっと違うぞ、と思って頂けたのではないかと思う。


さて、一人目。この方がお三方の中で一番姿勢がよく、強そうに見えた。

ただ他の方との立合の際、初太刀と次の打ちも小手に行かれたのは意外だった。

いずれにせよ、私は私の立合をするだけ。

ゆっくり蹲踞し大きく気合いを入れた。ポンポン打ってくる方でなくて良かった。立ってから間合いをジリジリと詰めることができた。

そして、なぜそこかは覚えてないけど俺は面に飛んでた。ただ、比較的竹刀の先でとらえたので、個人的には一本と思ってなかった。

そのあと、また攻め合う。

そこからは既に記憶が明確ではないが、もう一本、剣先で面をとらえた。

相手が先に動き、相手に合わせる形の相面のお互い外れた形と、
これまた相手が先に動き形としてはすり上げたかったけど、竹刀が深すぎて、すり上げというよりは竹刀がぶつかり合い力で面には向かった。が、もちろん、面と言うにはほど遠い打ち。それでも下がらず、その場か前に体を移動させる、そして、鍔迫り合いほどの間、気合いを入れた。

その瞬間が印象に残っている。目に入ってきた審査員のお一人が何かを書き始めた瞬間だった。
直感的に、俺の評価をされた瞬間に思えた。

俺は有効打とは思ってないけど、
有効打があり、気合いがあり、下がらず、相手にも打たせず、我慢して打ちすぎず、
と言う点を評価頂けたと、瞬間的に思った、その時の、その瞬間。

それで一人目は終わる。

問題は二人目だ。俺の苦手な遠間からポンポン打ってくる方。我慢せず合わせて打ちに行くと、ポコンと相面をとられるパターン。危ない。

一本目、遠間からポンと面に飛んできた。俺は中段を崩さず、剣先が相手の胴のどこかにつっかえた状態。
おそらく、審判なら、仮に面に当たっても攻めや溜めが無いと判断されるはず。

ただ、それでも恐いのは、簡単に打たせる自分を良く評価しない可能性があると思い、どうぞ打って下さい、にはならなかった。面返し胴が出来ないので。

また遠間からポンと面に飛び込んできた。俺がその時どうしたかは忘れたが、竹刀で受けたか、面に当たってなかったはずなのでそのまま距離を縮めたか。

その後、俺はジリジリ攻めて面に飛んだが、なんと面返し胴にとらえられた。打たれた。我慢が足りなかった所。

その後、相手がまた遠間から打ってくる動きにちょっと気持ちは動揺していたと思う。体が、審判には分からない程度に下がった。こういうポンポン打ってくる相手との立合が課題だな。

終盤、何とか相手が面に来る所を面に合わせるが、有効打にはならない、それが精一杯。結果論だが、下手に出て、ポコンと当てられるくらいなら、我慢して、それ以上は打たない、打たせないが正解だったかなと思う。

少なくとも、俺が審判なら、六段を受審するなら遠間ポンポンは評価しない。また同時に、そんな遠間ポンポンにポコンと捕らえられるようなら評価しない。

実技後、一人目の立合時審判のあの瞬間が印象に残り、もしかしたら合格できるかもと思うと同時に、
二人目の立合では一本とられた上に、一本も有効打が取れなかったことに関して、これはダメかもと思う自分がいた。

仮にダメでも、六段審査とはこういうものと学べばよいと自分に言い聞かせた。


合格発表前までは、もし合格できた場合のことを想定して、たまたま会った知り合いの方と形の練習をした。して正解だった。やはり、細かな点でいくつか修正した。

その相手の方は既に何回か受審してきたがこれまではダメだったとのこと。息子と娘に申し訳ないと。なぜなら、六段合格できない分だけ、休日稽古に行ってしまうので相手にしてあげられてないからとのこと。
ただ、今回は今までに無い感触を得ているとのこと。これまでは有効打は無かったが、今回は面小手胴全てを打てたとのこと。
私からは、合格したら、どうか家族旅行に連れていってあげて下さいと言った。


私は、正直に書くと、六段にはどれほどの意味があるのか、六段という段に対して意義を見いだせなかった。

なぜなら、八段は言わずと知れた最高段位、七段は八段の一歩手前。
ところで五段までは各都道府県内の審査で与えられる段位であり、大学生までで三段から四段を取得できるか(今は違うのかな)。その場合は、都道府県の中の各自治体か地域単位の剣道連盟の審査がある(今は違う?四段は都道府県単位か)。

初段は中学生で取得可能だし、高校で二段取得可能。それも都道府県の中の各地域で、かな。

それぞれの学年や年齢における目標段位となったり、各地域、都道府県単位、全国基準(という表現が適切か分かりませんが)で審査が行われる。

六段は、全国基準の審査だとして、七段の前、五段の後であることは分かるが、存在意義は何だろう。六段という段が無いと困るの?

そんな感覚だった。
だから、六段は俺からすると通過点でしかなく、強く求める段位ではなかった。

ところが、合格発表を前にして、不合格となった場合の自分を想像した。

周りの先生方からは、六段合格は大丈夫でしょと太鼓判を押され、八段の先生にも稽古をつけて頂けていた。ありがたくもそのお陰で自信をつけては六段合格を強く求める気持ちにはなったことがなかった。

しかしながら、合格発表前に、不合格となることは避けたいという気持ちが強くなっていた。落ちたら仕方ない、しかし、六段に合格したい

という気持ちになっていた。

ゲンキンなものだ。


さて、

正午は過ぎていたと思う。会場のアナウンスで、合格発表がされる旨の話があった。午後の部の方が入れ替わりに入場されてくる時間に近づいているとのことで、荷物もまとめて、合格発表されている掲示板がある会場の外に出るよう促された。

荷物をまとめるのに時間を要してしまったが、その間、結果を知った方々とすれ違った。合格したからか喜んでいる方もいれば、静かな口調で知人と話される方もいる。

形の練習をさせて頂いた方と共に合格発表場所に向かった。
集まった人と荷物でスペースは限られている。

 

そんな中、その方の番号を私は先に確認した。まだその方は、

ご自身の荷物を空きスペースに置くことに専念している。

思わず、私からおめでとうと言おうとしたが、ご本人に確認してもらうべきと思い、

黙って、私は自分の会場の掲示板を見に行った。

 

自分の番号が書いてあるはずで、それを見つけに行こう、

みたいな気持ちになっていた。いや、自信があったというのとちょっと違って、

うまく言えないけど、自然体だった、それが。

 

そして、あった。

 

 

どれとは敢えて言わないです。

午後12時20分の写真とのこと、記録上。

 

こういう感じなんですね。たしかに、一つの組のうち、

一人しか合格しない組もあれば、3名も合格している組もある。

 

 

そして、すぐに形の審査会場へと向かった。向かう最中、形の練習をした

相手のことを想像した。これで家族旅行に連れていけるのでは、そう思うと、

何だか、こっちが胸にグッとくるものがあり、涙が出そうだった。良かったですねと

思った。

 

形の審査会場、きれいな床でした。

審査員は3名。

 

ざっくりだけど、80名くらいの実技合格者(午前の部ですよ、しかも後半組、多分)が

5回に分けて形。1回目が、だから、6組?7組くらいで実施、残りの60名くらいは

それを見ているみたいな。

 

自分の番、まさかの審査員の目の前(最前組)で緊張しましたよ。

 

それでも、何とか無事に終わった。が、本当に厳しい評価を自分で言うなら、

不可となってもおかしくなかったかなと思う。お相手にも恵まれたが、

もっと忠実に形ができる余地が沢山あったと思っている。

 

ところで、自分が見学者として会場隅で形演武者を眺めていると、

審査員から遠い方の中には、どう見ても、練習不足だろ、間違っているよと

思われる方が一名いらした。それはある一動作だけでなく、申し訳ないけど、

あちこち不自然で木刀をぶん回しているみたいな、なんというか、

形通りに木刀が走っていない。例えば、小太刀の形二本目だったか三本目で

打太刀の右腕を抑えるタイミングを、失念していたのか抑えず残心とか、

そうそう、小太刀二本目の仕太刀の動きとして、頭上に小太刀を引き上げ

面を打つ所、何と言うか、打太刀の太刀を小太刀を持つ手首をくるっと目の前で一回、

回して面を横から打つみたいな、絶対おかしいだろ、という形もあった。

 

が、審査員は多分見てなくて。

 

それと、また別の方で、審査員の目の前である中、小太刀の構えを解いて

下がる場面全てで、左手を脇に置いたまま、一度も左手を下に解くことなく

演武されていた。

 

が、

 

全員合格となった。

自分が合格者の一人になれたことは嬉しいが、正しくない形をされる方々も

六段として今後指導者として全国に散らばるのかと思うと、剣道界の将来が

心配になった。

 

間違ったら間違っているとご指摘があっても良いと思うし、もちろん、それで

すぐに不合格とするのではなく、何なら、できるまで例えば3回チャンスやるから、

一度相手と確認し合って、すぐにもう一度やり直ししなさい、

ぐらいの、何と言うか落とすための厳しさではなくて、その指導者から教わるで

あろう未来の子どもたちのために、合格させるから、でも厳しくその場で

学ばせる、

 

ということをやっても良いと思う。

 

長くなりすぎたので、ここで本日は終わりにします。

 

ありがとうございました。

 

14時過ぎに会場を後にする。

 

 

16時過ぎ、姫路城へ。外から見ただけですが。

 

 

 

帰りの新幹線の中で。18時10分頃。

昼食を摂れず、やっと夕食として姫路の名産とのこと。

 

けなも