剣道六段審査会に臨んできました。「日誌」という性格上、
筆者の書きたいように書いてしまいます事、何卒ご容赦下さい。
今回は長文になります。
先に結論から申し上げると、
初受審でしたが、何とか合格させて頂きました。
これも支えて頂いた皆さま方のおかげです。
本当にありがとうございました。
メモ:合格率24.8%(全日本剣道連盟HP:https://www.kendo.or.jp/examination/kendo-6dan-20201014-hyogo/)
では、以下、日誌。
なお、日誌という性格上という意味でもう一点、
あとあと自分が読んだ際の参考にもすべく嘘は書かないですし、
より積極的に言うと、もしかしたら見る方が見れば不快になるような
率直すぎる感想を述べる部分があるかもしれませんが、どうぞ、
ご容赦下さい。
10/13(火)
当初の予定では、10/13(火)と10/14(水)の2日間連続で休暇を
取る予定だった。そのことは6月時点で、審査が10/14に延期されたと
判明し、参加すると決めた時点から決めていたことだった。
そう、書き忘れたが、元々は4月末に京都で六段審査を受ける予定だった。
それが2月だったか3月だったか、4月末の審査は延期となった。
延期後の審査は、飽くまで4月末の代替審査であり、仮に合格出来たら、
4月末に合格したものとして段位を頂けるという趣旨だったと記憶している。
そして、代替審査が10/14(水)と決定して参加意思を表明してからは、
既述の通り仕事を休む計画をしていたし、宿泊先も予約した。
そして、10/13(火)は以下の通りで行動予定だった。
・午後3時、ホテル到着、荷物を置いてすぐに審査会場へ一度足を運び、
会場周辺でその日の稽古(素振り)をし、ランニングも実施
・午後5時頃には風呂につかる
・午後6時頃には食事
・午後10時頃就寝、翌朝6時頃には起床し、散歩等する
みたいな、本番に臨むには完ぺきなシナリオを描いていた。
が・・・
実態は、10/12(月)の段階で、急な仕事が舞い込み、
10/13(火)は午前だけ出勤することにした。
はずが・・・、
お客様のご事情もあり(詳細は割愛)、結局、なんと、以下となった。
・午後7時17分頃、品川駅から新幹線で出発。
・午後10時6分頃、姫路駅に到着。
まじかー、って感じ。
品川駅の構内でうどんを食べて夕飯を済ませ、
新幹線の中では、絶対練習不足の、形稽古の動画(YouTube)を
ひたすらみまくった。
午後10時15分頃、宿泊先へ到着。
近くの公園を探し、徒歩5分くらいで到着し(午後10時50分頃)、
いつもの素振りより若干抑え目で実施。
300本、3本ダッシュ。終了したのは、午後11時20分頃。
公園の存在に感謝です。
午後11時40分頃、風呂に入り、
ネフローゼで、大事な日の前には体調を整えたい一心で、
ホテル付属のマッサージ店で足裏を押して頂いた。
午前0時から30分程度。
そのまま就寝と言いたい所だが、翌日・・・ではなくて、
もう午前0時を回っているので、その日(10/14)は朝からすぐに
移動できるように、諸々の準備を実施した。
あ、そうそう、、10/13は、仕事関係者には見られないよう、
朝方早めに出勤して、物置部屋に剣道具一式を置いた。
そして、仕事が終わったらそのまま姫路へ向かうことにいしていた。
と言うことで、本当なら私服で姫路へ向かう予定が、
スーツ姿、革靴というリラックスできない服装だった。
ということも想定して、普段の素振りの際に使っているシューズと、
ウィンドブレーカー等の一式も剣道具と共に用意していた。
で、10/13(火)夜、汗かいたワイシャツ、パンツ、靴下等一式を
ホテルの洗濯機にかけて、スーツのズボンはプレッサーにかけて、
などを実施して、床に就いたのは、10/14(水)午前1時30分前後
だったか…。
本番前にあり得るか、こんなこと。
で、本当なら午前6時に起きたかったが、午前7時に目覚ましをセットして、
睡眠時間を少しでも稼いだ。それでも、5時間ちょっと?もっとも、
本番を前にしてすぐに眠れるわけは無く、あれこれ考え午前2時は
過ぎてたかな。もうね、望んでない過ごし方。
で、10/14(水)、午前7時すぐに起きたくなく(まぁ、そのまま眠っていたら
二度寝で審査は参加もできてなかったかもしれないが)、なんとか体を
起こし、午前7時40分頃に朝食会場に向かい、
午前8時なる頃には
部屋に戻り、
そして、トイレに行った。ここまでは、望んでないけど、まだいつもの朝。
問題は、このトイレの時のこと。
まさか
の
痔
。。。
おい、まじか、結構出血してるぞ。たしかに前日お尻に軽い痛みはあったけど、
何も本番当日、血がそこそこ出る必要ないだろ、おいおいおいおいおい!!!
もうね、前日の過ごし方といい、寝不足と言い、この痔と言い、
一体、何なの、特に、痔って。血をたらたらこぼしながら立ち合いはできないっつーの。
トイレで焦って、しかし実はタクシーを手配していたので、
まもなく到着するタクシーのことを想像すると焦り、実際、うっすら汗をかきながら、
お尻の血をティッシュで止める対応を何度か繰り返した。患部らしきところを
抑えて、血が止まるのを待つ。まるで、注射を打った後のガーゼで抑えておいて
下さいねと看護師から言われるみたいな感じの対応。
ところが、なかなか止まらない。似たようなことはあったし、同様に止血してきた
けど、今回は止まらない。困った。
前日の過ごし方もそうだけど、痔もそうだけど、
想定内だったけど、起きて欲しくないことだった。
「想定内」とは書いたが、実は、こういう時の為に、
このまま剣道する訳にはいかないから、トランクスの何というか、
隙間ない版と言ったら男性は分かるだろうか、ブリーフじゃないけど、
太ももの通気空間が無い版みたいなもの、は用意していた。
何年か前、試合直前に痔になった時にも同様の対応をしていた。
そして、今回は想定して、念のため、用意していた。
でも、本当に使うことになるとは。
痔の記述だけで長くなった…(泣)。
で、いったん、血は完全に止まらなかったけれど、少し収まってきた
タイミングで部屋を出てチェックアウトに向かった。その際、何だか
冷たいものがお尻から太ももをつたったようで、悲しい気持ちになった。
のまま、タクシーに乗ったが、タクシーのきれいな白いシートが、
ズボンから染み出た赤い液体で染まらないか気になって仕方なかった。
全剣連から送付されてきた当日の案内メールを印刷していたが、
その紙をお尻に敷いた。もう、何なの!
会場に到着した。会場は、ウインク武道館(兵庫県立武道館)。
立派な建物ですね、ほんと。
会場到着が、午前8時25分頃。まだ閉まっている会場入り口から列ができていた。
ざっと、50名くらいが列を作っていた。私が並んだ時点の最後尾が、たまたまベンチが
あったので、座って敢えてお尻を止血するように、患部に体重をかけて、
傷口があるであろう部分を体重で圧をかけた。傷口ふさがれ!と。
午前8時45分頃、それまで一列だった行列を四列にするよう事務局からの
指示があり、ベンチから離れ、立って移動し、立って午前9時の入り口開場を待つ。
午前9時気持ちちょっと前かな、開場。
私は第三会場で審査を受ける者としての受付となった。
所属都道府県と名前を確認しカードを受け取り、審査会場へ入る。
着替える。
準備運動をする時間は確保されず、各自でアップ。
大勢の方がいらっしゃるので、限られたスペースで、
私の場合だと、結局、合計50~60本くらいの本数を素振り用の木刀で
素振り、あとは蹲踞前後の所作を、本番想定しながら繰り返した。
午前10時頃、開会式はしないが、蒔田先生のご挨拶があった。
そして、各会場20名ずつでまずは審査するとのことで、呼ばれた20名が
立ち合い会場となる一階へ下りて行った。そして、審査が始まっていく。
ここまで書いたが、もっと詳細を書きたいがPCの調子が悪く、文字変換に
不調を来しており、残念ながら、以下、ざっと書くことにする。
スマホメモをまずは張り付ける。
この五年間をぶつけると自分に言い聞かせた。
と、ふと、今思えば、面返し胴とかしなかった。応じ技はなかった。このメール書きながら気づいた。
じゃあ、何が審判に評価頂けたのか。
気合い
だと思う。
自分含む4人一組の審査が始まった。私は3立ち合い目だから、最初の2立合を拝見した。
ふと思った。
あれ、気迫が足りない?
だから、誰よりも気合い入れようと思って立合に臨んだ。そしてそれは大正解だったと思う。
他の3人の受審者よりも抜きん出なければいけない。
剣道時代の松風館昇段審査対策のDVDから印象に残ったお言葉。
そして、気合いという意味では、他のお三方よりは抜きん出ていたと思うし、審判の先生方も、ちょっと違うぞ、と思って頂けたのではないかと思う。
さて、一人目。この方がお三方の中で一番姿勢がよく、強そうに見えた。
ただ他の方との立合の際、初太刀と次の打ちも小手に行かれたのは意外だった。
いずれにせよ、私は私の立合をするだけ。
ゆっくり蹲踞し大きく気合いを入れた。ポンポン打ってくる方でなくて良かった。立ってから間合いをジリジリと詰めることができた。
そして、なぜそこかは覚えてないけど俺は面に飛んでた。ただ、比較的竹刀の先でとらえたので、個人的には一本と思ってなかった。
そのあと、また攻め合う。
そこからは既に記憶が明確ではないが、もう一本、剣先で面をとらえた。
相手が先に動き、相手に合わせる形の相面のお互い外れた形と、
これまた相手が先に動き形としてはすり上げたかったけど、竹刀が深すぎて、すり上げというよりは竹刀がぶつかり合い力で面には向かった。が、もちろん、面と言うにはほど遠い打ち。それでも下がらず、その場か前に体を移動させる、そして、鍔迫り合いほどの間、気合いを入れた。
その瞬間が印象に残っている。目に入ってきた審査員のお一人が何かを書き始めた瞬間だった。
直感的に、俺の評価をされた瞬間に思えた。
俺は有効打とは思ってないけど、
有効打があり、気合いがあり、下がらず、相手にも打たせず、我慢して打ちすぎず、
と言う点を評価頂けたと、瞬間的に思った、その時の、その瞬間。
それで一人目は終わる。
問題は二人目だ。俺の苦手な遠間からポンポン打ってくる方。我慢せず合わせて打ちに行くと、ポコンと相面をとられるパターン。危ない。
一本目、遠間からポンと面に飛んできた。俺は中段を崩さず、剣先が相手の胴のどこかにつっかえた状態。
おそらく、審判なら、仮に面に当たっても攻めや溜めが無いと判断されるはず。
ただ、それでも恐いのは、簡単に打たせる自分を良く評価しない可能性があると思い、どうぞ打って下さい、にはならなかった。面返し胴が出来ないので。
また遠間からポンと面に飛び込んできた。俺がその時どうしたかは忘れたが、竹刀で受けたか、面に当たってなかったはずなのでそのまま距離を縮めたか。
その後、俺はジリジリ攻めて面に飛んだが、なんと面返し胴にとらえられた。打たれた。我慢が足りなかった所。
その後、相手がまた遠間から打ってくる動きにちょっと気持ちは動揺していたと思う。体が、審判には分からない程度に下がった。こういうポンポン打ってくる相手との立合が課題だな。
終盤、何とか相手が面に来る所を面に合わせるが、有効打にはならない、それが精一杯。結果論だが、下手に出て、ポコンと当てられるくらいなら、我慢して、それ以上は打たない、打たせないが正解だったかなと思う。
少なくとも、俺が審判なら、六段を受審するなら遠間ポンポンは評価しない。また同時に、そんな遠間ポンポンにポコンと捕らえられるようなら評価しない。
実技後、一人目の立合時審判のあの瞬間が印象に残り、もしかしたら合格できるかもと思うと同時に、
二人目の立合では一本とられた上に、一本も有効打が取れなかったことに関して、これはダメかもと思う自分がいた。
仮にダメでも、六段審査とはこういうものと学べばよいと自分に言い聞かせた。
合格発表前までは、もし合格できた場合のことを想定して、たまたま会った知り合いの方と形の練習をした。して正解だった。やはり、細かな点でいくつか修正した。
その相手の方は既に何回か受審してきたがこれまではダメだったとのこと。息子と娘に申し訳ないと。なぜなら、六段合格できない分だけ、休日稽古に行ってしまうので相手にしてあげられてないからとのこと。
ただ、今回は今までに無い感触を得ているとのこと。これまでは有効打は無かったが、今回は面小手胴全てを打てたとのこと。
私からは、合格したら、どうか家族旅行に連れていってあげて下さいと言った。
私は、正直に書くと、六段にはどれほどの意味があるのか、六段という段に対して意義を見いだせなかった。
なぜなら、八段は言わずと知れた最高段位、七段は八段の一歩手前。
ところで五段までは各都道府県内の審査で与えられる段位であり、大学生までで三段から四段を取得できるか(今は違うのかな)。その場合は、都道府県の中の各自治体か地域単位の剣道連盟の審査がある(今は違う?四段は都道府県単位か)。
初段は中学生で取得可能だし、高校で二段取得可能。それも都道府県の中の各地域で、かな。
それぞれの学年や年齢における目標段位となったり、各地域、都道府県単位、全国基準(という表現が適切か分かりませんが)で審査が行われる。
六段は、全国基準の審査だとして、七段の前、五段の後であることは分かるが、存在意義は何だろう。六段という段が無いと困るの?
そんな感覚だった。
だから、六段は俺からすると通過点でしかなく、強く求める段位ではなかった。
ところが、合格発表を前にして、不合格となった場合の自分を想像した。
周りの先生方からは、六段合格は大丈夫でしょと太鼓判を押され、八段の先生にも稽古をつけて頂けていた。ありがたくもそのお陰で自信をつけては六段合格を強く求める気持ちにはなったことがなかった。
しかしながら、合格発表前に、不合格となることは避けたいという気持ちが強くなっていた。落ちたら仕方ない、しかし、六段に合格したい
という気持ちになっていた。
ゲンキンなものだ。
さて、
正午は過ぎていたと思う。会場のアナウンスで、合格発表がされる旨の話があった。午後の部の方が入れ替わりに入場されてくる時間に近づいているとのことで、荷物もまとめて、合格発表されている掲示板がある会場の外に出るよう促された。
荷物をまとめるのに時間を要してしまったが、その間、結果を知った方々とすれ違った。合格したからか喜んでいる方もいれば、静かな口調で知人と話される方もいる。
形の練習をさせて頂いた方と共に合格発表場所に向かった。
集まった人と荷物でスペースは限られている。
そんな中、その方の番号を私は先に確認した。まだその方は、
ご自身の荷物を空きスペースに置くことに専念している。
思わず、私からおめでとうと言おうとしたが、ご本人に確認してもらうべきと思い、
黙って、私は自分の会場の掲示板を見に行った。
自分の番号が書いてあるはずで、それを見つけに行こう、
みたいな気持ちになっていた。いや、自信があったというのとちょっと違って、
うまく言えないけど、自然体だった、それが。
そして、あった。
どれとは敢えて言わないです。
午後12時20分の写真とのこと、記録上。
こういう感じなんですね。たしかに、一つの組のうち、
一人しか合格しない組もあれば、3名も合格している組もある。
そして、すぐに形の審査会場へと向かった。向かう最中、形の練習をした
相手のことを想像した。これで家族旅行に連れていけるのでは、そう思うと、
何だか、こっちが胸にグッとくるものがあり、涙が出そうだった。良かったですねと
思った。
形の審査会場、きれいな床でした。
審査員は3名。
ざっくりだけど、80名くらいの実技合格者(午前の部ですよ、しかも後半組、多分)が
5回に分けて形。1回目が、だから、6組?7組くらいで実施、残りの60名くらいは
それを見ているみたいな。
自分の番、まさかの審査員の目の前(最前組)で緊張しましたよ。
それでも、何とか無事に終わった。が、本当に厳しい評価を自分で言うなら、
不可となってもおかしくなかったかなと思う。お相手にも恵まれたが、
もっと忠実に形ができる余地が沢山あったと思っている。
ところで、自分が見学者として会場隅で形演武者を眺めていると、
審査員から遠い方の中には、どう見ても、練習不足だろ、間違っているよと
思われる方が一名いらした。それはある一動作だけでなく、申し訳ないけど、
あちこち不自然で木刀をぶん回しているみたいな、なんというか、
形通りに木刀が走っていない。例えば、小太刀の形二本目だったか三本目で
打太刀の右腕を抑えるタイミングを、失念していたのか抑えず残心とか、
そうそう、小太刀二本目の仕太刀の動きとして、頭上に小太刀を引き上げ
面を打つ所、何と言うか、打太刀の太刀を小太刀を持つ手首をくるっと目の前で一回、
回して面を横から打つみたいな、絶対おかしいだろ、という形もあった。
が、審査員は多分見てなくて。
それと、また別の方で、審査員の目の前である中、小太刀の構えを解いて
下がる場面全てで、左手を脇に置いたまま、一度も左手を下に解くことなく
演武されていた。
が、
全員合格となった。
自分が合格者の一人になれたことは嬉しいが、正しくない形をされる方々も
六段として今後指導者として全国に散らばるのかと思うと、剣道界の将来が
心配になった。
間違ったら間違っているとご指摘があっても良いと思うし、もちろん、それで
すぐに不合格とするのではなく、何なら、できるまで例えば3回チャンスやるから、
一度相手と確認し合って、すぐにもう一度やり直ししなさい、
ぐらいの、何と言うか落とすための厳しさではなくて、その指導者から教わるで
あろう未来の子どもたちのために、合格させるから、でも厳しくその場で
学ばせる、
ということをやっても良いと思う。
長くなりすぎたので、ここで本日は終わりにします。
ありがとうございました。
14時過ぎに会場を後にする。
16時過ぎ、姫路城へ。外から見ただけですが。
帰りの新幹線の中で。18時10分頃。
昼食を摂れず、やっと夕食として姫路の名産とのこと。
けなも