みなさんは剣道にかけるお金はおいくらなのでしょうか。
私は、年間5万円未満と決められています。
家計の都合上、そうなります。恵まれているか否かはヒトによると
思いますが、少なくとも資金があること自体は、本当にありがたいこと
ですよね。
現在使用している剣道具(防具)は、分割で何とか購入したり、
剣道再開後これまで、小手や、防具袋も、ボーナスが出てたまたま
数万円は自由に使える場合は家庭内交渉の末、なんとか1~2万円程で
購入出来たりとしましたが。
2008年剣道を再開してから10年間のうち、結局、まとまった金額で
購入したのって、上記のほかは、剣道着、袴、竹刀くらいかなと。
その他、年数回の試合に参加するための交通費や、試合の参加費、
食事代・飲み物代、全日本剣道選手権大会の観戦代(もちろん、
交通費含む)や、剣道雑誌購入、月に数回の街の稽古会に参加するための
駐車場代(平均400円)、たまに稽古会の関係者で懇親会等があって、
あっという間に5万円に到達しますね。
その関係(?)か、竹刀は3~4年前に買ったのが最後、それ以降、
新たな買い物は出来てません。
もちろん、安全第一。よって、ササクレや竹の割れが無いかはよく確認
しますね。
ということで、
安易に新たな道具を購入したりすれば、すぐに資金がなくなります。
みなさんは、どれほどのお金を剣道関連に費やしていらっしゃるのかなと
想像したりします。
けなも
2018年11月25日日曜日
2018年11月12日月曜日
防具(剣道具)のこと
素振りの投稿して、こう書くのもなんだが(笑)、
最近、試合は負けてばかり。
試合用の防具(剣道具)に目が行った。
「勝利のパートナーになることでしょう」(松勘「冠」)とかという紹介された防具(剣道具)を見ると、たしかに購入したくなる。
横浜・八光堂A1-Goldとか、平野武道具の一引の小手とか、日本剣道具製作所・MUGEN防具とか、森武道具「旺山」とか、東山堂の「光琳」「極」とか、
購入した自分を想像して、試合に勝っている自分を想像する(笑)。
でも、自分はこう誓ったはずだ。
2014年7月2日(水)
(https://kenamo.blogspot.com/2014/07/blog-post.html)
---
話はガラッと変わるけど、2010年試合に負け続け、悔しくて、心入れ替えるつもりで、
「泉皓」の胴胸。
なんて、贅沢!
(https://kenamo.blogspot.com/2014/07/blog-post.html)
さっき、自分の胴、実物を見た。スマホの静止画ではきれいに撮れない。
実物には、実際に見て初めて実感できる魅力がある(と最近感じ始めている)。
写真ではその魅力が伝わらない。
誓ったはず。
その防具(剣道具)で、試合でも勝ちを収めようとする気持ちもあったはず。
道具は逃げない。
他の道具に、目も心も行ってしまうのは(浮気心が出てきているのは)、
俺が逃げているから。
こんな素敵な防具(剣道具)を身に付けさせて頂きながら、
納得いく成績が収められないのは、
ひとえに、
ひとえに、
自分の実力不足。
ちなみに、内村良一選手の防具(剣道具)は何かを知っている。
小手は一引であることは有名だし、剣道雑誌の写真でも、何ならテレビでも
よくその印は見てとれる。
小手以外はどこの武道具店で、どの武道具をご利用していらっしゃるか
知っている。その武道具店でお話を伺っているから。
そして、その防具(剣道具)にひけをとらない防具(剣道具)を私は使わせて頂いている。
自分の実力不足、
試合で良い成績を収められないのは。
ただそれだけ。
他の防具(剣道具)に目がいった(浮気心を抱いた)のは、まだまだ稽古が足りない証拠。
逃げるな、俺。
そして、
俺は素振りの人(笑)。
素振りの人 けなも
最近、試合は負けてばかり。
試合用の防具(剣道具)に目が行った。
「勝利のパートナーになることでしょう」(松勘「冠」)とかという紹介された防具(剣道具)を見ると、たしかに購入したくなる。
横浜・八光堂A1-Goldとか、平野武道具の一引の小手とか、日本剣道具製作所・MUGEN防具とか、森武道具「旺山」とか、東山堂の「光琳」「極」とか、
購入した自分を想像して、試合に勝っている自分を想像する(笑)。
でも、自分はこう誓ったはずだ。
2014年7月2日(水)
(https://kenamo.blogspot.com/2014/07/blog-post.html)
---
話はガラッと変わるけど、2010年試合に負け続け、悔しくて、心入れ替えるつもりで、
様々な取り組みを始めた。「試合用」を意識して、剣道具も一新しようとして剣道具の
購入に踏み切った。今となっては、それは無くても、今の剣道具で十分だったと思い返す
時が多々あるが、その時の気持ちに素直にならって行動した、結果の一つだった。
それも、網膜剥離を意識しての面。
今使っている剣道具は、高校入学時に購入。15年以上経っている。
と言ってもその時の剣道具で残っているのって、胴と垂のみなんだが。
それに、何度も記述してきたが、今使っている面は、2008年剣道再開時より
使っている網膜剥離患者用の面。
で、新しい剣道具は、2011年に納品されたが、実は、「初打ち」のタイミングを逸しまくり、
結局、今の今まで使ってなかった(なにー!)。
7月下旬、デビュー予定。その時の気持ちは本気だったんだから。
だから、家族も応援してくれた、一つの結果。
---購入に踏み切った。今となっては、それは無くても、今の剣道具で十分だったと思い返す
時が多々あるが、その時の気持ちに素直にならって行動した、結果の一つだった。
それも、網膜剥離を意識しての面。
今使っている剣道具は、高校入学時に購入。15年以上経っている。
と言ってもその時の剣道具で残っているのって、胴と垂のみなんだが。
それに、何度も記述してきたが、今使っている面は、2008年剣道再開時より
使っている網膜剥離患者用の面。
で、新しい剣道具は、2011年に納品されたが、実は、「初打ち」のタイミングを逸しまくり、
結局、今の今まで使ってなかった(なにー!)。
7月下旬、デビュー予定。その時の気持ちは本気だったんだから。
だから、家族も応援してくれた、一つの結果。
「泉皓」の胴胸。
なんて、贅沢!
(https://kenamo.blogspot.com/2014/07/blog-post.html)
さっき、自分の胴、実物を見た。スマホの静止画ではきれいに撮れない。
実物には、実際に見て初めて実感できる魅力がある(と最近感じ始めている)。
写真ではその魅力が伝わらない。
誓ったはず。
その防具(剣道具)で、試合でも勝ちを収めようとする気持ちもあったはず。
道具は逃げない。
他の道具に、目も心も行ってしまうのは(浮気心が出てきているのは)、
俺が逃げているから。
こんな素敵な防具(剣道具)を身に付けさせて頂きながら、
納得いく成績が収められないのは、
ひとえに、
ひとえに、
自分の実力不足。
ちなみに、内村良一選手の防具(剣道具)は何かを知っている。
小手は一引であることは有名だし、剣道雑誌の写真でも、何ならテレビでも
よくその印は見てとれる。
小手以外はどこの武道具店で、どの武道具をご利用していらっしゃるか
知っている。その武道具店でお話を伺っているから。
そして、その防具(剣道具)にひけをとらない防具(剣道具)を私は使わせて頂いている。
自分の実力不足、
試合で良い成績を収められないのは。
ただそれだけ。
他の防具(剣道具)に目がいった(浮気心を抱いた)のは、まだまだ稽古が足りない証拠。
逃げるな、俺。
そして、
俺は素振りの人(笑)。
素振りの人 けなも
2018年11月11日日曜日
剣道における素振りの効果・効用
色々なブログを見ると、
剣道において、素振りは意味がないなどの趣旨の話を見かけると
ちょっと一言申し上げても良いかなと思い、思う所を書いてみようと思います。
結論から申し上げますと、
剣道における素振りは、
目的と方法をしっかり定めた上で、意味はあります。
換言すると、
剣道で上達したいなら素振りはすべきです。
よく、筋トレすればO.K.、面付けての稽古してれば、
素振りは不要という趣旨の話しも聞きますが、
実は否定はしません(笑)。
簡潔に言うと、
私の高校時代は素振りはしないで、
範士八段の下での普段の稽古と、ウェイトトレーニングをして
それなりの成績を収めてきました。
ムキムキの筋肉で、あだ名はアーノルド・シュワルツネガーとさえ言われました(笑)。
しかし、その後、浪人し(剣道推薦なんて俺の生き方には無い。「勉強」で大学に行きたかったという俺の意志)、
大学で剣道して、しかし、その後、剣道を8年間しない(剣道が嫌いになった。笑)で
いたら、当然、筋肉なんて衰えている。
2008年剣道再開後、
仕事激務で面付けての剣道は、月(「週」じゃないですよ!)に0回~3回で、
普段は数百本の素振りを続け、
1,000本素振りを2014年~2017年と続けて
思うのは、
素振りって、
たしかに、手の内を鍛えてくれるし、1,000本素振りを続けていた頃は、
「普通の人」よりは稽古している気にさせてくれたし(勘違いによる自信が付く)、
それが基で、昇段もするし、試合にも勝てた。
誤解を恐れずに言うと、ウェイトトレーニングは、意味がある。
しかし、年齢と継続性に限界がある。
なぜ、俺は90歳くらいの範士九段・倉澤照彦先生に対して軽くいなされたのか。
筋肉じゃない。
一言じゃ表現しきれない。
先の先の先を読まれたんだ。当時三段の私に対し、良い三段だと評され嬉しかった…。
(倉澤照彦先生のご冥福をお祈り申し上げます。先生、本当にありがとうございました。今後の稽古に活かして参ります。参考:http://kenamo.blogspot.com/2013/01/blog-post.html)
話が逸れた。
端的に言うと、
筋肉を鍛えるのは意味がある。ウェイトトレーニングをドンドンやれば良い。
若いうちの、試合に勝つという目的の下。
ただ、長く剣道を続けることを考える。
もし、自分が70歳、80歳、90歳だとして、その時もウェイトトレーニングを
続けているだろうか。続けられるだろうか。
「分からない。」
率直な感想。
しかし、
「多分、続けられない。」
それが、もっと率直な感想。
でも、素振りはその歳になっても続けられる自信はある。本数は分からんが。
将来も続けられる「稽古」を続ける。
長く続けられる稽古を長く続ける。
それが俺の信念。
高校時代、ウェイトトレーニングを実施してきた。
効果はたしかにあった。
剣道を再開した今、ウェイトトレーニングは、無理だ。
そんな器具は、
夜中の2時、3時帰宅後に用意されてない。
少し離れた所に24時間営業しているジムはあるが、
じゃあ、いつ寝られる?(笑)
かろうじて数時間寝て、また会社へ向かう。
そんな過ごし方を何年過ごしたか。
そんな時は、家の中で、短い素振り用木刀で、
かろうじて、50本素振りする。
50本(笑)。
しかし、やらないのと、やるのでは、その後の剣道への気持ちが切れない。
肉体的には衰える。とにかく衰える(笑)。
しかし、8年剣道をしなかった者からすれば、
数日剣道をやれないことは問題じゃない。
「続ける」
それが重要。
「ウェイトトレーニング」を「筋力トレーニング」と換言しても良い。
夜中に、肺がフル稼働しては、もう寝られない。
いや、腎臓が悪い俺としては、眠りに就こうとする前のわずかな時間は、
呼吸を整え整え、というトレーニングしか受け付けない(笑)。
眠りにつかねば、俺はネフローゼが再発するとはよく知っている(笑笑)。
素振りは、たしかに心臓バクバクするが、呼吸で整えられる。
そして、布団に入るという「習慣」が確立しようとしている(もう何年もしていて、まだ「確立した」と自信もって言えない笑)。
そう、俺にとっては、素振りしかない。
剣道再開してから、たしかに、試合はほとんど負けてばかりだけど、
たまに上位入賞することもある。それはひとえに素振りで培った手の内のおかげ。
すげー、ちっちゃな効果だろうが(笑)。
素振りできる体であること自体には感謝している。
家族に。これでも、一応「健康」の方にはいると思う。
過去、ネフローゼ発症して間もない頃は、障がい者手帳を持っていた時と比べれば、
今は、たしかに普通に暮らせている。それは、確実に、ネフローゼで苦しんでいる
患者さんからすれば羨ましい話だ。ベッドの上で、俺は、今のように普通に生活
出来ていることは想像できなかった。だから、今に、家族に、支えてくれる皆に
感謝している。
加えて、網膜剥離に関しては、武道具屋さんのおかげ。ぶ厚い面。
話がまた逸れまくった(笑)。
俺にとっては、月数回の面を付けての稽古と(ちなみに、11月は4日の1回だけの見込み)、
毎日の素振りしか稽古が無い。
それでも強くなりたい。
また、話が逸れた。
素振りは、意味がある。
どういう目的の下、どのように行うか、その点はヒトそれぞれですので、
それによって、効果はそれぞれでしょうが。
参考情報(同じ内容ですが)
http://yymy1126.com/archives/51648823.html
http://mamoogawamio.lemonblog.co/entry/112/
本当は防具のことを書きたかったけど、素振りのことで、
本ブログはしゅうりょー。
けなも
剣道において、素振りは意味がないなどの趣旨の話を見かけると
ちょっと一言申し上げても良いかなと思い、思う所を書いてみようと思います。
結論から申し上げますと、
剣道における素振りは、
目的と方法をしっかり定めた上で、意味はあります。
換言すると、
剣道で上達したいなら素振りはすべきです。
よく、筋トレすればO.K.、面付けての稽古してれば、
素振りは不要という趣旨の話しも聞きますが、
実は否定はしません(笑)。
簡潔に言うと、
私の高校時代は素振りはしないで、
範士八段の下での普段の稽古と、ウェイトトレーニングをして
それなりの成績を収めてきました。
ムキムキの筋肉で、あだ名はアーノルド・シュワルツネガーとさえ言われました(笑)。
しかし、その後、浪人し(剣道推薦なんて俺の生き方には無い。「勉強」で大学に行きたかったという俺の意志)、
大学で剣道して、しかし、その後、剣道を8年間しない(剣道が嫌いになった。笑)で
いたら、当然、筋肉なんて衰えている。
2008年剣道再開後、
仕事激務で面付けての剣道は、月(「週」じゃないですよ!)に0回~3回で、
普段は数百本の素振りを続け、
1,000本素振りを2014年~2017年と続けて
思うのは、
素振りって、
たしかに、手の内を鍛えてくれるし、1,000本素振りを続けていた頃は、
「普通の人」よりは稽古している気にさせてくれたし(勘違いによる自信が付く)、
それが基で、昇段もするし、試合にも勝てた。
誤解を恐れずに言うと、ウェイトトレーニングは、意味がある。
しかし、年齢と継続性に限界がある。
なぜ、俺は90歳くらいの範士九段・倉澤照彦先生に対して軽くいなされたのか。
筋肉じゃない。
一言じゃ表現しきれない。
先の先の先を読まれたんだ。当時三段の私に対し、良い三段だと評され嬉しかった…。
(倉澤照彦先生のご冥福をお祈り申し上げます。先生、本当にありがとうございました。今後の稽古に活かして参ります。参考:http://kenamo.blogspot.com/2013/01/blog-post.html)
話が逸れた。
端的に言うと、
筋肉を鍛えるのは意味がある。ウェイトトレーニングをドンドンやれば良い。
若いうちの、試合に勝つという目的の下。
ただ、長く剣道を続けることを考える。
もし、自分が70歳、80歳、90歳だとして、その時もウェイトトレーニングを
続けているだろうか。続けられるだろうか。
「分からない。」
率直な感想。
しかし、
「多分、続けられない。」
それが、もっと率直な感想。
でも、素振りはその歳になっても続けられる自信はある。本数は分からんが。
将来も続けられる「稽古」を続ける。
長く続けられる稽古を長く続ける。
それが俺の信念。
高校時代、ウェイトトレーニングを実施してきた。
効果はたしかにあった。
剣道を再開した今、ウェイトトレーニングは、無理だ。
そんな器具は、
夜中の2時、3時帰宅後に用意されてない。
少し離れた所に24時間営業しているジムはあるが、
じゃあ、いつ寝られる?(笑)
かろうじて数時間寝て、また会社へ向かう。
そんな過ごし方を何年過ごしたか。
そんな時は、家の中で、短い素振り用木刀で、
かろうじて、50本素振りする。
50本(笑)。
しかし、やらないのと、やるのでは、その後の剣道への気持ちが切れない。
肉体的には衰える。とにかく衰える(笑)。
しかし、8年剣道をしなかった者からすれば、
数日剣道をやれないことは問題じゃない。
「続ける」
それが重要。
「ウェイトトレーニング」を「筋力トレーニング」と換言しても良い。
夜中に、肺がフル稼働しては、もう寝られない。
いや、腎臓が悪い俺としては、眠りに就こうとする前のわずかな時間は、
呼吸を整え整え、というトレーニングしか受け付けない(笑)。
眠りにつかねば、俺はネフローゼが再発するとはよく知っている(笑笑)。
素振りは、たしかに心臓バクバクするが、呼吸で整えられる。
そして、布団に入るという「習慣」が確立しようとしている(もう何年もしていて、まだ「確立した」と自信もって言えない笑)。
そう、俺にとっては、素振りしかない。
剣道再開してから、たしかに、試合はほとんど負けてばかりだけど、
たまに上位入賞することもある。それはひとえに素振りで培った手の内のおかげ。
すげー、ちっちゃな効果だろうが(笑)。
素振りできる体であること自体には感謝している。
家族に。これでも、一応「健康」の方にはいると思う。
過去、ネフローゼ発症して間もない頃は、障がい者手帳を持っていた時と比べれば、
今は、たしかに普通に暮らせている。それは、確実に、ネフローゼで苦しんでいる
患者さんからすれば羨ましい話だ。ベッドの上で、俺は、今のように普通に生活
出来ていることは想像できなかった。だから、今に、家族に、支えてくれる皆に
感謝している。
加えて、網膜剥離に関しては、武道具屋さんのおかげ。ぶ厚い面。
話がまた逸れまくった(笑)。
俺にとっては、月数回の面を付けての稽古と(ちなみに、11月は4日の1回だけの見込み)、
毎日の素振りしか稽古が無い。
それでも強くなりたい。
また、話が逸れた。
素振りは、意味がある。
どういう目的の下、どのように行うか、その点はヒトそれぞれですので、
それによって、効果はそれぞれでしょうが。
参考情報(同じ内容ですが)
http://yymy1126.com/archives/51648823.html
http://mamoogawamio.lemonblog.co/entry/112/
本当は防具のことを書きたかったけど、素振りのことで、
本ブログはしゅうりょー。
けなも
2018年11月4日日曜日
2018/11/4(日)稽古で思ったこと
11/4(日)
自分の稽古の方向性は、大枠合っている。
しかし、最近負けてばかりの試合が続く中で、本日、街の稽古会に参加した。
そして、何名かの方と地稽古をして分かった。
単刀直入に言うと、
面にこだわる稽古は良いが、
大切なのは面に竹刀が当たること、それ自体が大切なのではない。
そうではなく、面に至る過程が大切だということ。
裏から面。よく当たる。それをもって何人かの先生方に褒められる一要因だった。
しかし、大切なのは、表から攻めて面が当たるようにすることだ。
どんな先生に対しても。
本日の稽古で、(大変失礼な言い方だが)攻めもなくただ打ってくる同世代の
相手と稽古をさせて頂いた。ポンポンポンポン打ってくる。たまにはかついで
打ってくる。
ここで「我慢」が足りない私が、裏から面に行き、仕留めようとした。
しかし、小手に合わせられた。
つい先日の、一回戦で負けた形と同じ。
「裏から面」が先にきて、相手のことは後に考えているということだ。
そうじゃない、相手によって、「裏から面」が効く方がいらっしゃる。
その見極めをした上でならその技も生きよう。
しかし、そうじゃない。結局、俺自身が攻めないから相手のことも読めてない。
俺こそ、ただ打つだけの人になっているということ。
その後、決心して、七段の先生に、すべて表から面で向かった。
範士八段の先生に向かうように。
そして、やはり、上の先生に向かう時は、これだと思った。
そう思った。
普段、素振りは続けよう。切返し20セットが妥当かどうかは
これから考えるが、大枠の方向性は合っていると感じている。
面を付けての稽古は、既述の通り、
表から面
それだ。
強くなりたい。
昨日(11/3)は、初めてアリーナの最前列で観戦できた。
そして、やはり、強くなりたい、試合も勝ちたいと思った。
内村良一選手は、あの年齢になっても活躍していらっしゃる。
そうなっていない俺は、つまり、全然努力が足りてないということ。
素直にそう思うべき。俺はまだまだまだまだ稽古が足りない。
やれ、俺。
けなも
自分の稽古の方向性は、大枠合っている。
しかし、最近負けてばかりの試合が続く中で、本日、街の稽古会に参加した。
そして、何名かの方と地稽古をして分かった。
単刀直入に言うと、
面にこだわる稽古は良いが、
大切なのは面に竹刀が当たること、それ自体が大切なのではない。
そうではなく、面に至る過程が大切だということ。
裏から面。よく当たる。それをもって何人かの先生方に褒められる一要因だった。
しかし、大切なのは、表から攻めて面が当たるようにすることだ。
どんな先生に対しても。
本日の稽古で、(大変失礼な言い方だが)攻めもなくただ打ってくる同世代の
相手と稽古をさせて頂いた。ポンポンポンポン打ってくる。たまにはかついで
打ってくる。
ここで「我慢」が足りない私が、裏から面に行き、仕留めようとした。
しかし、小手に合わせられた。
つい先日の、一回戦で負けた形と同じ。
「裏から面」が先にきて、相手のことは後に考えているということだ。
そうじゃない、相手によって、「裏から面」が効く方がいらっしゃる。
その見極めをした上でならその技も生きよう。
しかし、そうじゃない。結局、俺自身が攻めないから相手のことも読めてない。
俺こそ、ただ打つだけの人になっているということ。
その後、決心して、七段の先生に、すべて表から面で向かった。
範士八段の先生に向かうように。
そして、やはり、上の先生に向かう時は、これだと思った。
そう思った。
普段、素振りは続けよう。切返し20セットが妥当かどうかは
これから考えるが、大枠の方向性は合っていると感じている。
面を付けての稽古は、既述の通り、
表から面
それだ。
強くなりたい。
昨日(11/3)は、初めてアリーナの最前列で観戦できた。
そして、やはり、強くなりたい、試合も勝ちたいと思った。
内村良一選手は、あの年齢になっても活躍していらっしゃる。
そうなっていない俺は、つまり、全然努力が足りてないということ。
素直にそう思うべき。俺はまだまだまだまだ稽古が足りない。
やれ、俺。
けなも
2018年10月28日日曜日
10/21(日)試合一回戦負け
10/21(日)
試合があって、一回戦負け。今年の試合はすべて負け試合だけ。
引き分けも、勝ちも無かった。
以下、スマホメモ。
---
剣道において今の俺に足りないものは、自信。
試合前から弱気になってる。
今の自分の剣道に自信が持てないから。
仮に数年前の俺と比較すると(数年前がベストとは思ってないけど、多少は自信を持っていた)やはり、やれるという自信が不足している。
自信が少なくなった要因の一つは、昨年以上に稽古量が減った自覚がある。千本素振りを止めた。
たしかに、そのことに負い目がある。
しかし、では千本素振りを再開するかというと、それは現実的ではない。
さてどうしようか。
試合には勝てなくなる一方。
勝てるという「気」が無い。
やるだけやってきたという感触が持てない。
周りが強く見える。
とか。
目標に向けて余計なものはないか。
必要なことだけすればよいではないか。
余計なものばかりが周りにあることが、
なぜか安心感を生んでいる。
それが甘さじゃないか。
これだけやってきたんだから
という気持ちが欲しい。
精一杯。
俺と一回戦やった相手は、結局次の試合で負けてる。
その相手に勝った選手は、攻めの中で解決の糸口を見つけられた。
俺はそうでなかった。
その違いがある。
---
会場へは自家用車で向かった。途中道を2~3回間違え、
余計に高速を使った。スマホのナビに頼りすぎたし、しかし、スマホも
正常に作動せず困った。
結局、会場には、当初司会開始1時間30分前に到着予定で余裕持って
行動する予定が、実際は試合開始30分前に到着した。
自分の不甲斐なさに自嘲する部分もあった。
普段の稽古(素振りだけど)を見直して、この1週間は切返しを
20セット(およそ400本分)実施している。今一度、基礎から体を
作り直したいと考えている。
俺は試合に勝てない。
そうそう、上記試合の前に、同日午前中街の稽古会で稽古をした。
初めてお見かけしたMa七段に稽古をお願いした。
やはり、面を褒められた。
という印象に残ることはあったが、
試合には勝てない。
稽古では褒められるが、試合では勝てない。
何故だろう。どうすればよいだろう。
稽古はこのまま大事にしたいが、試合にも勝ちたい。
しかし、勝てない。
けなも
試合があって、一回戦負け。今年の試合はすべて負け試合だけ。
引き分けも、勝ちも無かった。
以下、スマホメモ。
---
剣道において今の俺に足りないものは、自信。
試合前から弱気になってる。
今の自分の剣道に自信が持てないから。
仮に数年前の俺と比較すると(数年前がベストとは思ってないけど、多少は自信を持っていた)やはり、やれるという自信が不足している。
自信が少なくなった要因の一つは、昨年以上に稽古量が減った自覚がある。千本素振りを止めた。
たしかに、そのことに負い目がある。
しかし、では千本素振りを再開するかというと、それは現実的ではない。
さてどうしようか。
試合には勝てなくなる一方。
勝てるという「気」が無い。
やるだけやってきたという感触が持てない。
周りが強く見える。
とか。
目標に向けて余計なものはないか。
必要なことだけすればよいではないか。
余計なものばかりが周りにあることが、
なぜか安心感を生んでいる。
それが甘さじゃないか。
これだけやってきたんだから
という気持ちが欲しい。
精一杯。
俺と一回戦やった相手は、結局次の試合で負けてる。
その相手に勝った選手は、攻めの中で解決の糸口を見つけられた。
俺はそうでなかった。
その違いがある。
---
会場へは自家用車で向かった。途中道を2~3回間違え、
余計に高速を使った。スマホのナビに頼りすぎたし、しかし、スマホも
正常に作動せず困った。
結局、会場には、当初司会開始1時間30分前に到着予定で余裕持って
行動する予定が、実際は試合開始30分前に到着した。
自分の不甲斐なさに自嘲する部分もあった。
普段の稽古(素振りだけど)を見直して、この1週間は切返しを
20セット(およそ400本分)実施している。今一度、基礎から体を
作り直したいと考えている。
俺は試合に勝てない。
そうそう、上記試合の前に、同日午前中街の稽古会で稽古をした。
初めてお見かけしたMa七段に稽古をお願いした。
やはり、面を褒められた。
という印象に残ることはあったが、
試合には勝てない。
稽古では褒められるが、試合では勝てない。
何故だろう。どうすればよいだろう。
稽古はこのまま大事にしたいが、試合にも勝ちたい。
しかし、勝てない。
けなも
2018年10月8日月曜日
2018/10/08、試合の係員だけど、その後の合同稽古にて学んだこと
10/8(月)
今、Sing Like Talkingの“Empowerment”を聴きながらブログを作成している。
5年前、そのアルバムを聴いて、(再?再々?)開眼した時のように
浸ろうとしている(笑)。
こんな状態で、本日の稽古で得た感想を忠実に記載できるだろうか(笑)。
あ、来た、「飾りのないX'mas Tree」。好きな曲の一つ!
まだ10月だよ(笑)。
まじめな話をすると、この“Empowerment”で、Sing Like Talkingが
さらにSing Like Talkingになった気がする。
どういうことかと言うと、
多分、どのミュージシャンも、もっと真似できないミュージシャンの領域に
入ったと思うんだ。
もちろん、真似をしようとする意思を持つミュージシャンがどれだけいるかは
別にして…という冗談は置いておいて。
“Empowerment”を再購入した。2013年25周年ライブ会場で購入したんだけど、
その後、部屋で車で旅行先へ持っていったりして、どこに保管したか不明に
なった~(泣)。
俺の心を、また震わせたこのアルバムを、先日の30周年ライブ会場で再購入
したんだ。
やっぱり好きだな。しかも、“Empowerment”を聴くと、今度は2013年の風景を
思い出す。具体的には、以下のブログに書いた内容とか(笑)。
http://kenamo.blogspot.com/2013/05/blog-post.html
http://kenamo.blogspot.com/2013/05/empowerment.html
http://kenamo.blogspot.com/2013/05/53.html
まぁ、つまり、あれだ
ありがとう、Sing Like Talking
あぁ、剣道のタイトルなのに、ここまでSing Like Talkingのことを書いてしまった。
さて、“Empowerment”を聴きながら、本日の稽古の振り返りをしよう。
がんばって、振り返ろう。本日は本日で大きなモノを得たから。
本日はある企業20団体位が集まった試合だった。タレントの渡辺正行さんも
ご出場された。渡辺さんの剣道はすごかった。試合でも実業団選手相手に
一本を取ったり、試合後の稽古も一心に先生方に向かっていらっしゃった。
今度稽古をお願いさせて頂きたい。
さて、私はというと、係員に専念。選手としては辞退させて頂いた。
だって、ここ半年間のブログに記載の通り、全然稽古ができてないから!
それでも昨日(10/7)出場した試合では、あっさり二本負けした訳だが。
昨日の試合は毎年出ようと考えていたから出場したが、やはり稽古不足は
試合に出て何になる!とすら思ってしまう。よく、「日ごろの成果を発揮し」
なんて選手宣誓があるけれど、俺の「日ごろの成果」ってなんだよ!って
思っちゃう。
それでも、「稽古不足」だからこそ、本日の試合後の合同稽古には参加した。
そして、何と、45分以内に、3人の教士八段に稽古をお願いできた。ん~、贅沢。
で、お一人目はA教士八段。
私の前に4人ほど稽古をお願いしていた。一人目は強豪チームの中でも一番
強い選手。「普通」に稽古されていて、二人目~三人目も同様だった。
で、私が稽古をお願いさせて頂く番。
決めていた。昨日試合には負けた。でも、いつもK範士八段に臨むように
臨もうと。
帯刀から三歩目、竹刀を抜きながら蹲踞。相手の先生の後に従う動きで。
そして、構えて、まっすぐ先生を見据え、左右に動かず、そして、気合を
入れる。
面。
相面。あっさり取られる。
出遅れた。というか、相手が来るのに合わせると、「合わせる分、遅れる」。
この表現、なんとも表現が難しいのだが。
で、次も。
その次も。
・・・と、何度か、そんな打ちをしていると、ふと、先生が話しかけて来られた。
これは嬉しかった。なぜかと言うと、前の4人には無かった光景。
もっと言うと、それまでの稽古で、なんだかしっかり稽古をお願いさせて
頂いているという「感触」があった。
A教士八段曰く、こうだ。
「ここで打ってくる(「ここ」とは、一定の間合い)。」
相手に見えてるというニュアンス。そして、
「我慢が必要。」
一言一句覚えてないけど、相手が打ってこないなら打たない、
相手が動こうとした所を打っていけば良いと。
この部分の意味を、俺は勘違いすべきでないと思っている。
「相手に合わせろ」とおっしゃっているのではなく、きっと、
「相手を動かせ」とおっしゃっているはずだ。いずれにせよ、そのままの
お言葉を記載すると、相手が動いたところを打てばよいと。
そして、相手が動かなかったら、仕切り直せば良いと。
ここでも違和感あった。
「仕切り直す」というお話の際、間合いを切るような仕草をされた。
しかし、範士八段との稽古では、仕切り直しをしようとすると、
「そこから!」と言われる。
つまりだ、きっと、A教士八段と、Ku範士八段のおっしゃっていることは
矛盾していない!きっと同じことをおっしゃっていて、その違いを
俺が理解していないということだ。
さて、その後、A教士八段はこうおっしゃった。
構えがしっかりしている。八段審査を控えているかと思いますが…と。
来た!以前も、そんな話を、別の教士八段から言われた。
(https://kenamo.blogspot.com/2016/01/117.html)
以前は本気で驚いていらっしゃったけど、今回は、「今、五段です。」と
お伝えすると、「では、六段審査の時は…」と淡々と話が進んだ。
と言うことで、お世辞だなと率直に思った。
おごり高ぶるな、俺。
さて、A教士八段との稽古はまだ続いた。それもまた嬉しかった。
いいんですか、こんな剣道でと思いながら、一本一本、そして、必ず面だけを
打っていかせて頂いた。
ありがたく、受け入れて頂いた。
再びアドバイスを受ける中で、こんな話をさせて頂いたのも印象的だった。
たしか、前向きな評価のお言葉を頂いた。しかし、昨日の負けがあって、
なんだか、負けているのに、前向きな評価を頂けることが、何と言うか、
モヤモヤする感じがあった。
以前も同じ感じはあったことは、過去のブログに記載した。
(https://kenamo.blogspot.com/2013/09/blog-post_20.html)
そこで、思い切って聞いてみた(稽古中だよ)。
「でも、勝てないんですよ。試合で。」
すると、A教士八段は、
「まぁ、審査と試合は違うからね。」
一言一句同じではないと思うが、そのようなニュアンスをおっしゃった。
それもまた印象深く残った。
ここから考えるとだ、
つまりこうだ
と俺は、
一旦、
一旦ですよ、
一旦、
導いた。
試合に勝てないのは、悪い話ではない。
そんな中でも、実は今の剣道の方向性は健全な方向に向かっているのではないか
そう思った。
それを裏付けるかのように、その後のO教士八段での稽古のこと、
全部、攻められて、俺が面を打つ所を、相面、小手、返し胴。
結局、すべてやられた…。
…と思っている中で、これまた、それまでのかかり手にはされなかった、
お話を頂いた。
この時点で特別扱い気分だったが(苦笑)、
これからまだ先があるだろうから次のステップに向けて2点アドバイスをすると、と。
我慢が必要(これはA教士八段と同じご指摘)
自ら攻める
以上2点をご指摘頂いた。
いや、何と言うか、
いや、何と言うか(2回目)、
ほんと、O教士八段には、攻められ、もう俺から行かねばいけないでしょ
というか、
言葉で説明するには難しいんだけれど、
すべて不完全に相手に引き出されて打たれた
と言うと、まだ表現している。O教士八段のご指摘の背景を。
そして、H教士八段。
もう稽古終了だったが、最後に一本勝負と、親指を立てて合図された。
全身で向かおうと、いつもの通り蹲踞は三歩目で竹刀を抜きながら、
そして、立って、間を置いて気合を入れた。
すると、俺の前のかかり手では、ポンポン打っていらっしゃった感じの
H教士八段の目が、(こんな表現、誠に、誠に、僭越ですが)「本気になった」。
そして、「来る」と思った時に面を打ちに行ったが、先にやられた。
そう、やっぱり、我慢が足りない。
って言うか、過去にも書いたけど、八段ほどの先生が打ちに来るのに、
待っていては失礼だろうと思い、どうしても打ちに行かざると得ないと
思ってしまう。
打ちの機会でなければ、八段相手でも打ちに行かなくて良いの???
すげー疑問。それなら、単に面を受けるよ。それでいいの???
いいわけないよね。
って言うか、そんな不利だと分かっている状況でも打ちに行き、
打たれることが、実は贅沢だったりするんでなかろうかと思うんだな。
(え?Mですか?俺。)
いずれにせよ、3人の教士八段に共通して言えたことは、引き出されて
打ちに行って仕留められたこと。
そして、お一人目、お二人目が仰っていた通り、俺は、つまり我慢が
足りなかったということだ。
我慢。
我慢。
無理に打ちに行くな。
相手が動いたら打ちに行く(この点が解釈微妙なんだけど)。
で、いずれにせよ、
俺の剣道の方向性は、誤ってはいないと感触を得た。
試合には負けるけど、多分、今のままでいいのかもしれないと思った。
(「試合には負けるけど」それを素直に受け止めていいのかという疑問はあるが…苦笑)
そう思ったのは、もう一つ、稽古後、稽古をご覧になっていらっしゃった
I教士八段のお話の「大砲」にあった。
剣道は「機関銃」ではなく、「大砲」であるべきだと。
無駄打ちが多いのは戒めろと。一発で仕留める。つまり初打ちが大事だと。
その点、華やかにバンバン打ちに行く、若手と比べ、俺はとにかく
打ち数が少なくて、むしろ、コンプレックスになっていた程。
でも、「大砲」と聞いて、なんだか、それはアリだと思わせて頂いた。
その他、I教士八打のお話。
竹刀は上から握ること。横から握る人が多い。
左足から動く。右足ではない(と言うか、左足で右足を押し出せと言うことと思う)。
大砲のように(既述の通り)。
剣前体後(これは意味が理解できてない。上記左手の握りの流れで。剣捌きのお話だった)。
攻めも稽古も無限。
剣先が交わる前に、振れるか触れないか程度の所で気合を入れる
(これは、範士八段と同じお話。ちなみに高段者で剣先が交わった所で
気合入れろと言う方がいらっしゃるみたいだけど、やはりあれは間違い
ということだね。今回のI教士八段の話で確信した)。
稽古後、面を外した挨拶にて、多くのかかり手がいたにもかかわらず、
A教士八段は、私のことを覚えていらっしゃっていた。
「我慢」が大切と。
昨日試合で負けたのも、「我慢」という観点から見ると、たしかに、
我慢が足りなかったように思う。
ご指摘、誠にありがとうございます。
我慢
ねぇ。
今回の稽古で得たこととしては、今の方向性で誤っていないと
改めて認識できたこと。
そして、やはり、「まっすぐ攻めて面」で、その人の剣道のレベルが
分かるような気がしてきた。
その考えは、2011年にも持っていたから、結局、やはりそういうことかなと
改めて、思う。
(https://kenamo.blogspot.com/search?q=%E5%BA%83%E5%B3%B6)
7年経っても、その観点が疑問に思える出来事は無いなぁ。
俺は、試合の勝ちを究極の目標とせず、八段にふさわしい剣道を究極の目標としようか。
それは、今の剣道レベルでは早すぎるか。
でもよ、八段の先生方のどなたも、勝てとはおっしゃらず、基本通りに剣道をやれとおっしゃる。その基本通りに剣道をしようとするとおのずと八段の先生方が実践されている剣道になる。これはどういうことか。つまり、八段の剣道を実践せよとおしゃっているとしか俺には思えない。八段の先生方がおっしゃる剣道に「勝てる剣道」というお話は出てこない。むしろ「正しい剣道」のお話だけ。「勝てる剣道」と「正しい剣道」の差は何か。バンバン打つとかでなく、例えば、攻め方は何が違うのか。まだまだ分かっていない。俺はどっちの剣道?違いは無い?ある?
久しぶり長く書き過ぎた。
また、明日からも素振りしよ。
けなも
今、Sing Like Talkingの“Empowerment”を聴きながらブログを作成している。
5年前、そのアルバムを聴いて、(再?再々?)開眼した時のように
浸ろうとしている(笑)。
こんな状態で、本日の稽古で得た感想を忠実に記載できるだろうか(笑)。
あ、来た、「飾りのないX'mas Tree」。好きな曲の一つ!
まだ10月だよ(笑)。
まじめな話をすると、この“Empowerment”で、Sing Like Talkingが
さらにSing Like Talkingになった気がする。
どういうことかと言うと、
多分、どのミュージシャンも、もっと真似できないミュージシャンの領域に
入ったと思うんだ。
もちろん、真似をしようとする意思を持つミュージシャンがどれだけいるかは
別にして…という冗談は置いておいて。
“Empowerment”を再購入した。2013年25周年ライブ会場で購入したんだけど、
その後、部屋で車で旅行先へ持っていったりして、どこに保管したか不明に
なった~(泣)。
俺の心を、また震わせたこのアルバムを、先日の30周年ライブ会場で再購入
したんだ。
やっぱり好きだな。しかも、“Empowerment”を聴くと、今度は2013年の風景を
思い出す。具体的には、以下のブログに書いた内容とか(笑)。
http://kenamo.blogspot.com/2013/05/blog-post.html
http://kenamo.blogspot.com/2013/05/empowerment.html
http://kenamo.blogspot.com/2013/05/53.html
まぁ、つまり、あれだ
ありがとう、Sing Like Talking
あぁ、剣道のタイトルなのに、ここまでSing Like Talkingのことを書いてしまった。
さて、“Empowerment”を聴きながら、本日の稽古の振り返りをしよう。
がんばって、振り返ろう。本日は本日で大きなモノを得たから。
本日はある企業20団体位が集まった試合だった。タレントの渡辺正行さんも
ご出場された。渡辺さんの剣道はすごかった。試合でも実業団選手相手に
一本を取ったり、試合後の稽古も一心に先生方に向かっていらっしゃった。
今度稽古をお願いさせて頂きたい。
さて、私はというと、係員に専念。選手としては辞退させて頂いた。
だって、ここ半年間のブログに記載の通り、全然稽古ができてないから!
それでも昨日(10/7)出場した試合では、あっさり二本負けした訳だが。
昨日の試合は毎年出ようと考えていたから出場したが、やはり稽古不足は
試合に出て何になる!とすら思ってしまう。よく、「日ごろの成果を発揮し」
なんて選手宣誓があるけれど、俺の「日ごろの成果」ってなんだよ!って
思っちゃう。
それでも、「稽古不足」だからこそ、本日の試合後の合同稽古には参加した。
そして、何と、45分以内に、3人の教士八段に稽古をお願いできた。ん~、贅沢。
で、お一人目はA教士八段。
私の前に4人ほど稽古をお願いしていた。一人目は強豪チームの中でも一番
強い選手。「普通」に稽古されていて、二人目~三人目も同様だった。
で、私が稽古をお願いさせて頂く番。
決めていた。昨日試合には負けた。でも、いつもK範士八段に臨むように
臨もうと。
帯刀から三歩目、竹刀を抜きながら蹲踞。相手の先生の後に従う動きで。
そして、構えて、まっすぐ先生を見据え、左右に動かず、そして、気合を
入れる。
面。
相面。あっさり取られる。
出遅れた。というか、相手が来るのに合わせると、「合わせる分、遅れる」。
この表現、なんとも表現が難しいのだが。
で、次も。
その次も。
・・・と、何度か、そんな打ちをしていると、ふと、先生が話しかけて来られた。
これは嬉しかった。なぜかと言うと、前の4人には無かった光景。
もっと言うと、それまでの稽古で、なんだかしっかり稽古をお願いさせて
頂いているという「感触」があった。
A教士八段曰く、こうだ。
「ここで打ってくる(「ここ」とは、一定の間合い)。」
相手に見えてるというニュアンス。そして、
「我慢が必要。」
一言一句覚えてないけど、相手が打ってこないなら打たない、
相手が動こうとした所を打っていけば良いと。
この部分の意味を、俺は勘違いすべきでないと思っている。
「相手に合わせろ」とおっしゃっているのではなく、きっと、
「相手を動かせ」とおっしゃっているはずだ。いずれにせよ、そのままの
お言葉を記載すると、相手が動いたところを打てばよいと。
そして、相手が動かなかったら、仕切り直せば良いと。
ここでも違和感あった。
「仕切り直す」というお話の際、間合いを切るような仕草をされた。
しかし、範士八段との稽古では、仕切り直しをしようとすると、
「そこから!」と言われる。
つまりだ、きっと、A教士八段と、Ku範士八段のおっしゃっていることは
矛盾していない!きっと同じことをおっしゃっていて、その違いを
俺が理解していないということだ。
さて、その後、A教士八段はこうおっしゃった。
構えがしっかりしている。八段審査を控えているかと思いますが…と。
来た!以前も、そんな話を、別の教士八段から言われた。
(https://kenamo.blogspot.com/2016/01/117.html)
以前は本気で驚いていらっしゃったけど、今回は、「今、五段です。」と
お伝えすると、「では、六段審査の時は…」と淡々と話が進んだ。
と言うことで、お世辞だなと率直に思った。
おごり高ぶるな、俺。
さて、A教士八段との稽古はまだ続いた。それもまた嬉しかった。
いいんですか、こんな剣道でと思いながら、一本一本、そして、必ず面だけを
打っていかせて頂いた。
ありがたく、受け入れて頂いた。
再びアドバイスを受ける中で、こんな話をさせて頂いたのも印象的だった。
たしか、前向きな評価のお言葉を頂いた。しかし、昨日の負けがあって、
なんだか、負けているのに、前向きな評価を頂けることが、何と言うか、
モヤモヤする感じがあった。
以前も同じ感じはあったことは、過去のブログに記載した。
(https://kenamo.blogspot.com/2013/09/blog-post_20.html)
そこで、思い切って聞いてみた(稽古中だよ)。
「でも、勝てないんですよ。試合で。」
すると、A教士八段は、
「まぁ、審査と試合は違うからね。」
一言一句同じではないと思うが、そのようなニュアンスをおっしゃった。
それもまた印象深く残った。
ここから考えるとだ、
つまりこうだ
と俺は、
一旦、
一旦ですよ、
一旦、
導いた。
試合に勝てないのは、悪い話ではない。
そんな中でも、実は今の剣道の方向性は健全な方向に向かっているのではないか
そう思った。
それを裏付けるかのように、その後のO教士八段での稽古のこと、
全部、攻められて、俺が面を打つ所を、相面、小手、返し胴。
結局、すべてやられた…。
…と思っている中で、これまた、それまでのかかり手にはされなかった、
お話を頂いた。
この時点で特別扱い気分だったが(苦笑)、
これからまだ先があるだろうから次のステップに向けて2点アドバイスをすると、と。
我慢が必要(これはA教士八段と同じご指摘)
自ら攻める
以上2点をご指摘頂いた。
いや、何と言うか、
いや、何と言うか(2回目)、
ほんと、O教士八段には、攻められ、もう俺から行かねばいけないでしょ
というか、
言葉で説明するには難しいんだけれど、
すべて不完全に相手に引き出されて打たれた
と言うと、まだ表現している。O教士八段のご指摘の背景を。
そして、H教士八段。
もう稽古終了だったが、最後に一本勝負と、親指を立てて合図された。
全身で向かおうと、いつもの通り蹲踞は三歩目で竹刀を抜きながら、
そして、立って、間を置いて気合を入れた。
すると、俺の前のかかり手では、ポンポン打っていらっしゃった感じの
H教士八段の目が、(こんな表現、誠に、誠に、僭越ですが)「本気になった」。
そして、「来る」と思った時に面を打ちに行ったが、先にやられた。
そう、やっぱり、我慢が足りない。
って言うか、過去にも書いたけど、八段ほどの先生が打ちに来るのに、
待っていては失礼だろうと思い、どうしても打ちに行かざると得ないと
思ってしまう。
打ちの機会でなければ、八段相手でも打ちに行かなくて良いの???
すげー疑問。それなら、単に面を受けるよ。それでいいの???
いいわけないよね。
って言うか、そんな不利だと分かっている状況でも打ちに行き、
打たれることが、実は贅沢だったりするんでなかろうかと思うんだな。
(え?Mですか?俺。)
いずれにせよ、3人の教士八段に共通して言えたことは、引き出されて
打ちに行って仕留められたこと。
そして、お一人目、お二人目が仰っていた通り、俺は、つまり我慢が
足りなかったということだ。
我慢。
我慢。
無理に打ちに行くな。
相手が動いたら打ちに行く(この点が解釈微妙なんだけど)。
で、いずれにせよ、
俺の剣道の方向性は、誤ってはいないと感触を得た。
試合には負けるけど、多分、今のままでいいのかもしれないと思った。
(「試合には負けるけど」それを素直に受け止めていいのかという疑問はあるが…苦笑)
そう思ったのは、もう一つ、稽古後、稽古をご覧になっていらっしゃった
I教士八段のお話の「大砲」にあった。
剣道は「機関銃」ではなく、「大砲」であるべきだと。
無駄打ちが多いのは戒めろと。一発で仕留める。つまり初打ちが大事だと。
その点、華やかにバンバン打ちに行く、若手と比べ、俺はとにかく
打ち数が少なくて、むしろ、コンプレックスになっていた程。
でも、「大砲」と聞いて、なんだか、それはアリだと思わせて頂いた。
その他、I教士八打のお話。
竹刀は上から握ること。横から握る人が多い。
左足から動く。右足ではない(と言うか、左足で右足を押し出せと言うことと思う)。
大砲のように(既述の通り)。
剣前体後(これは意味が理解できてない。上記左手の握りの流れで。剣捌きのお話だった)。
攻めも稽古も無限。
剣先が交わる前に、振れるか触れないか程度の所で気合を入れる
(これは、範士八段と同じお話。ちなみに高段者で剣先が交わった所で
気合入れろと言う方がいらっしゃるみたいだけど、やはりあれは間違い
ということだね。今回のI教士八段の話で確信した)。
稽古後、面を外した挨拶にて、多くのかかり手がいたにもかかわらず、
A教士八段は、私のことを覚えていらっしゃっていた。
「我慢」が大切と。
昨日試合で負けたのも、「我慢」という観点から見ると、たしかに、
我慢が足りなかったように思う。
ご指摘、誠にありがとうございます。
我慢
ねぇ。
今回の稽古で得たこととしては、今の方向性で誤っていないと
改めて認識できたこと。
そして、やはり、「まっすぐ攻めて面」で、その人の剣道のレベルが
分かるような気がしてきた。
その考えは、2011年にも持っていたから、結局、やはりそういうことかなと
改めて、思う。
(https://kenamo.blogspot.com/search?q=%E5%BA%83%E5%B3%B6)
7年経っても、その観点が疑問に思える出来事は無いなぁ。
俺は、試合の勝ちを究極の目標とせず、八段にふさわしい剣道を究極の目標としようか。
それは、今の剣道レベルでは早すぎるか。
でもよ、八段の先生方のどなたも、勝てとはおっしゃらず、基本通りに剣道をやれとおっしゃる。その基本通りに剣道をしようとするとおのずと八段の先生方が実践されている剣道になる。これはどういうことか。つまり、八段の剣道を実践せよとおしゃっているとしか俺には思えない。八段の先生方がおっしゃる剣道に「勝てる剣道」というお話は出てこない。むしろ「正しい剣道」のお話だけ。「勝てる剣道」と「正しい剣道」の差は何か。バンバン打つとかでなく、例えば、攻め方は何が違うのか。まだまだ分かっていない。俺はどっちの剣道?違いは無い?ある?
久しぶり長く書き過ぎた。
また、明日からも素振りしよ。
けなも
2018年10月7日日曜日
2018/10/07試合
あっさり二本負け。
以下、直後のスマホメモ。
---
まず始めに、稽古不足と自覚してて、負い目になっていた。
(その分?)相手が強く見えた。格好の問題。
結局、面しか打てない状況に持っていかれた。技のレパートリーが無いから。
後輩に、いつも俺はどっしりしてて、相手からすると圧を感じられ、簡単に入っていけない、しかし今日は簡単に入られたと。
稽古不足を負い目に感じた所が出たと自覚している。
いつもなら、相手が(圧を感じ)のけぞった状態に面を打ち込んでいるが、今日はそうでなかった。と言われた。
やはり、面をつけての切り返しは重く、早くやろうとするとぶれるし、疲れる。
どうすれば理想の切り返しができるか。
道具じゃない。俺だ。
さて、これからの稽古をどうしようか。
やはりこのままじゃダメな気がする。
内容が問題なのか、内容ではなくてなんだかんだで厳密に毎日できない(しない?)ことが問題なのか。
少なくとも、(やめたら終わりだが)理想の剣道から少し離れた気がする。千本素振りの時から。本数が問題というよりは、稽古で充実した気力が作られるか。「稽古不足」とは感じない精神を作れることが大事だと思う。
今は、正直に、稽古不足と感じている。
---
---
あと、気合の出し方。弱々しいね。覇気が無い。
---
---
動画見て。
行くぞ、打つぞ
という、相手が見えるタメ
相手が合わせやすいタメ
結果的に合ったら返され、合わなかったら当たる
という、タイミング、いや、スピードに賭ける打ちになってる。
だからあれだ、高鍋選手が、イタリア世界大会個人決勝で、面に行った際、胴に来られた感じで(一本にはなってないけど)。
そうね。だから文字通り、飛び込みの面、言い方換えると、少なくとも高鍋選手のような剣道には足元にも及ばないのは当然として、そもそも俺は攻めの(足り)ない打ちになってる。
多分、正しく面打つなら、左足のひかがみは曲がらず、まず右足が浮いてる(すり足になってる)はずだもの。
いずれにせよ、稽古不足だね。
面を打つまでの体の持っていき方(左足の形)、面しか残されてない状態(技が無い)が課題だ。
---
次に活かすことが重要。
生きているからこそできること。この「次」と言えるのは。
けなも
以下、直後のスマホメモ。
---
まず始めに、稽古不足と自覚してて、負い目になっていた。
(その分?)相手が強く見えた。格好の問題。
結局、面しか打てない状況に持っていかれた。技のレパートリーが無いから。
後輩に、いつも俺はどっしりしてて、相手からすると圧を感じられ、簡単に入っていけない、しかし今日は簡単に入られたと。
稽古不足を負い目に感じた所が出たと自覚している。
いつもなら、相手が(圧を感じ)のけぞった状態に面を打ち込んでいるが、今日はそうでなかった。と言われた。
やはり、面をつけての切り返しは重く、早くやろうとするとぶれるし、疲れる。
どうすれば理想の切り返しができるか。
道具じゃない。俺だ。
さて、これからの稽古をどうしようか。
やはりこのままじゃダメな気がする。
内容が問題なのか、内容ではなくてなんだかんだで厳密に毎日できない(しない?)ことが問題なのか。
少なくとも、(やめたら終わりだが)理想の剣道から少し離れた気がする。千本素振りの時から。本数が問題というよりは、稽古で充実した気力が作られるか。「稽古不足」とは感じない精神を作れることが大事だと思う。
今は、正直に、稽古不足と感じている。
---
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あと、気合の出し方。弱々しいね。覇気が無い。
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動画見て。
行くぞ、打つぞ
という、相手が見えるタメ
相手が合わせやすいタメ
結果的に合ったら返され、合わなかったら当たる
という、タイミング、いや、スピードに賭ける打ちになってる。
だからあれだ、高鍋選手が、イタリア世界大会個人決勝で、面に行った際、胴に来られた感じで(一本にはなってないけど)。
そうね。だから文字通り、飛び込みの面、言い方換えると、少なくとも高鍋選手のような剣道には足元にも及ばないのは当然として、そもそも俺は攻めの(足り)ない打ちになってる。
多分、正しく面打つなら、左足のひかがみは曲がらず、まず右足が浮いてる(すり足になってる)はずだもの。
いずれにせよ、稽古不足だね。
面を打つまでの体の持っていき方(左足の形)、面しか残されてない状態(技が無い)が課題だ。
---
次に活かすことが重要。
生きているからこそできること。この「次」と言えるのは。
けなも
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