3/7(土)
今日は今日中にしっかり記録しなければいけない。
結論としては、一回戦で負けた。
相手は上段。
霞で向かって右小手を狙った。
正直言って手ごたえがあった。しかし一本にならなかった。
それがダメならではどうすれば良いのだろうかと迷った。
その分、思い切り感が足りなかったんだと思うが、
また右小手を狙った所に面を打たれたという形になった。
ただ、今回の負けはそんなに簡単に記録をして済む話ではない。
要は、剣道のあり方として、やはり単調というか、「多彩」さが無い
それがダメならこれ、これがダメならあれ、
みたいな次の手、次の手、というのが無い。
要は、やはり稽古不足ということ。稽古不足の意味は、
単に、体力的な面でも「剣道慣れ」が必要と言う意味もあるが、
色々な相手と稽古してこそ、様々な工夫が生まれる、
それが不足しているという意味でも稽古不足ということだと考えている。
相手の身長は、160cm前後だったのか、正確には分からないが、
ん~~~~~~~~~~~~~
こういう感覚は前もある。試合に勝てない。
いや、試合に勝てなくて当たり前の過ごし方をしているということではないか。
前日の過ごし方も、結局、You Tubeで上段対策を見たぐらいで、
でもやはり実際にやってみないと、自分の血肉化にはできない。
今の稽古を続けて行ったら10年後どうなっているのだろうか。
同時に、今日、他の試合を見て思ったのは、
みな「高壮年」であるはずが、しかし、動きが「試合」用というと変な感じだが、
勝ち上がるヒトの剣道を見れば、キレ、スピードはそりゃ勝てるよなと腑に落ちる有り様だった。
ただ、何と言うか、
言い方が非常に難しいのだが、
全員と言っている訳ではなく、
飽くまで私は見た範囲でだが、
仮に試合で勝ち上がる方でも、その剣道を続けていたら八段になれるのだろうかと
思う剣道が多かった。
確かに強い、試合にも勝つ、
で、
その剣道を続けて行って、
で、10年後、20年後、それはどうなっているの?
昇段することが全てとは全く思ってないという前提で
(剣道をやる目的が人によって違っても良いと思っている。剣道の理念を忘れなければ)
結局、試合に勝てることでいいんですかね。
と言うのも、話はちょっと逸れるが、
試合で勝ち続ける方の中でも、
相手への敬意が欠けている所作に見えてしまう場面が複数あったりする。
勝ちへのこだわりがあってもいいと思う。
でも、礼節を重んじず、「勝ち」が優先されていいのかね。
そんな彼らは10年後、20年後、何に価値を置いて剣道をされるのだろうか。
それでも「勝ち」が優先されるのだろうか。
その価値が生み出される場は「試合」という場に限られるのではないだろうか。
優秀な剣道家の一部がそのままで、そんな彼らが指導者になったら何を教えるのだろうか。
非常に疑問を抱いた場面に複数遭遇してしまって、残念だし、
しかし、つまりそういうご指導を受けていた方々でもあるのだろうと思ったりもする。
そんな方々を「駆逐」するには、その方々に試合で勝つことでしか実現できないのだろうか。
試合を一回戦で負けた自分が言える立場ではないのかもしれない。
話を戻そう。
上段のその選手の実力を数値化できないから、デジタルには言えないが、
結局、私の剣道力、特に「勝負力」は残念ながらまだまだレベルは低いのだと認めざるを得ない。
そう、剣道を再開してから出場した数々の試合でも同様に1~2回戦で負け続けることが多々あった。
ただ、剣道のカタチを(結果)崩すことは無く、基本を意識して剣道を続けたら、
数年後の(地元の町の)試合では個人戦決勝まで進めたが、その過程でも何だかんだ試合巧者と当たった。
それでも何と言うか、基本を重視した剣道があったからか、初見のお相手でも
「こう打てばいけるかな?」と瞬時に思って技を出しては一本が取れたから、
それはその時に私に「軸」のようなものが何等か備わっていたということだと思う。
今は、この3年のブランクで感覚などが鈍っている部分は確かにある。
だから、今は、まずはこのまま今の剣道を続けること自体は正解だと思う。
一方で、それだけではやはり危機感を抱いている。「量」の問題。
これは今の自分に必要だと思っている。
どうやって補おうか。素振りの本数を増やすか?でも、何だかんだ200本でも負荷をかけている分、
それ以上本数を増やして、仕事から遅くに帰宅後の毎日に実施するのは現実的ではない。
1日1,000本素振りをして9日休むくらいなら、毎日100本を10日間した方が良いのだと私は思っている。
また話は逸れるが、それにしても、私は、きっと一流選手が経験ないであろう「負け方」を経験している。
高校1年生になってすぐの4月だったか、同じ県内だけど、普段は交流が無い地区の中学生が高校生の稽古会に遠征稽古で来た際、
なぜか、当時の先輩方である高校3年生が相手の中学1年生を相手に試合をして、
高校2年生が相手の中学2年生を相手に試合をして、
と高校側が昇順だとすると、中学側が降順での試合順番を組まれ、
当然(?)先輩方は勝ち続ける訳で、
ところが、なぜか、高校1年生である私が最後の試合出場者で、相手の中学は3年生の大将が出場して、
しかも、間違いなく二の腕に当てられた打突を「小手」だと判定されて、80~90人が見守る中で、
相手の同伴した大人たちはじめ中学生が歓喜する中で、私の負けが決まった。
何なら、ウォームアップ終わった中学生たちに対して、
私は1年生と言うこともあり下っ端の事務作業や審判など裏方作業をしており、
寒い冬、身体が冷えた中で面を付けてという「悪条件」で試合に臨まざるを得なかった
そのことも何度も何度も「不条理」だったと思い返すが、そんな中で最後の最後に皆が注目する試合で
面目丸つぶれの試合をした。
当時は範士八段の先生が高校のコーチだった分、イイ所を見せたいと思っていた高校に入学してすぐの私にとっては、
非常にショックな経験となってしまった。
当時の記録を残してなかったので、記憶を頼りに記載しているが、リアル感がさすがにない分だけ、
この記載だけだと、「いや、単なる準備不足でしょ」「負けを素直に認めないのは見苦しい」とか言われそうだけど、
ここで言いたいのは、
当時はものすごく納得いかない「負け」と判断された際、
非常に頭に来て、その場で竹刀をぶん投げたい気持ちだった、
が、しかし、飽くまで冷静に竹刀を収め、中学生を礼節持って見送り、その後、残った高校生と集まっていた先生方で
稽古会が続いた。
納得いかな過ぎて、怒りを持ちすぎて、叫びたかったし、何かモノを壊したい激しい感情があったが、
しかし、それを抑えて、飽くまで普通に淡々と先生方へ稽古をお願いした。
今でもその時の「不条理さ」を思い返す。
一方で、今振り返れば、その二の腕への打突を「小手」だと判断された何かがきっとあったはずだし、
本当に強かったら、多分、準備運動なしでも勝てていたんだと振り返ったりもする。
で、話が大きく逸れたけど、言いたかったのは、
俺は、普通のヒトがまず経験しないであろう経験をするんだ、ということ。
今回の高壮年も、相手の属性が何であれ、負けは負けだが、本来ならば当然負けたくなかったし、
負けてはいけない試合だと、昔の俺ならそう思っていたはずだ。
でも、負けた。
剣道だから?「勝ち負けは二の次だ」と自分にも言い聞かせたい気持ちはある。
だけど、今回の「負け」を負けとして、真正面から向き合わないと、
自分の成長にならないと思っている。せっかくお相手してくれたお相手にも失礼だとも思う。
それでまた話を少し戻すが、
「量」が足りてないと思う。しかし、今の生活で「量」を増やすことは現実的ではない。
今年度入って多少は勤務環境は変わって、比較的心穏やかに過ごせているが、
入社してから20年近くは、朝8時台に仕事が始まり、特に入社10何年間かは、夜中まで仕事を実施し、
終電で帰宅か、徹夜の場面が多く、
だからこそ、剣道を再開した2008年以降これまでは平日稽古に参加することがほぼ無理で、
だから、稽古の無い日(というかできない、特に平日)に、稽古代わりに素振りをする。つまりほぼ毎日。
あっちこっち話は飛んだが、
もっと言いたかったのは、普通のヒトでは経験できない(本当に恥ずかしい、プライドを傷つけるような)
「負け」を数多く経験してきた。
しかし、今回の高壮年の負けも、冷静に捉えてみると、
つまり、きっと他の人には得られない教訓を得られるのではないだろうかと思い始めている。
だからこそ、今回の試合から次に向けて何を教訓とすべきか、
まだ考えている。
来年の高壮年も是非出場して、今回の結果が嘘だと思われるくらい、
良い成績を残してみたい。
けなも
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