11月3日(日)
まずは、第61回全日本剣道選手権大会、内村選手優勝おめでとうございます!
今年もアリーナで見ました。
今年は、なんと2列目なので、間近で見られると思いきや、
目の前は座高の高い方!そういや昨年も一昨年も、その前も・・・(泣)。
という雑談は置いといて
やっぱり内村選手は安定してましたね。
今日も、多くの選手の試合を見ていて思ったこと
「強くなりたい。」
それだ。
どうやったら強くなれるだろう。
帰宅後、もちろん、素振りしました。
さて、素振り後、次は日本の野球!
東北楽天ゴールデンイーグルス、優勝おめでとう!
田中投手がブルペンで投げてる場面が放映された時は、
心にグッとくるものがありました。
そして、実際、アナウンスされて9回登場した際のグラウンドの雰囲気には
これまた心にグッときました。
そして、優勝。星野監督もおめでとう!
私も東北出身者。
もっと稽古して、剣道強くなりたい。
どういう稽古を、どのようにすればいいのか。
限られた時間、限られた場所、限られた資金で。
そして、限られた健康で。
腎臓・ネフローゼ症候群、眼・網膜剥離、ともに、まだ健康の模様。まずは、そのことに感謝。
支えてくれる人がいるからこそ。
けなも
2013年11月3日日曜日
2013年10月30日水曜日
9月~10月の剣道
ご無沙汰してました。
9月、全日本実業団剣道大会にて、我が社のチームはベスト32まで進みましたよ。
でも、俺は応援のみ(笑)。
10月13日(日)、芙蓉グループ剣道大会ってのがあるのね。
1勝1敗1引き分け。ま、なんて言うかな。勝つべき所で負けた。
反省点とかは、あとでズラズラ書きます。
10月14日(月)、情報系企業剣道大会ってのがあるのね。
俺自身は何とか3勝したけど、チーム自体は予選負け。
写真は1試合目の初打ち。右が俺。一本にはなりましたが、これ見ただけでも、
顎が上がっている。それに、もっと腰を並行移動させて打突せねばと思う。
そうそう記載せねばいけない事をズラズラ書きます。
10月上旬、県の合同稽古がありました。仕事をなかなか切り上げられず、
結局稽古途中に参加。面打ちの後、指導稽古へ。
即座に並んだ先は、剣道をやっている方なら一度は聞いたことのあるお名前の
先生の下へ並んだ。
どのような稽古になるのだろう。
自分の前に稽古されている方々との様子を見る。
ハッキリ言えば、正直に言えば、
姿勢を崩して打突されていらっしゃる場面は複数回あった。
Ku先生や、Si先生の稽古で見られる「攻め」の凄みは無く
(打突の凄みが相対的に上回った為かもしれない)
一本とったり、とられたりの内容というか、何と言うか・・・。
稽古中の攻めのご様子を見ていて、何となく「一本の取り合いの稽古」を
していいのかなと思い、
「一足一刀から若干入った距離くらいから、裏から面が行けるかな。」と
いう思い。
未知数であることは確か。
自分の番。
構え合い、一つ動作が入り、一旦、鍔迫り合い。
すぐに分かれ、構え直し、照準を合わせ・・・
面
当たった
先生は天井を仰がれた。うなずき、構え直し、再開。
来た
竹刀が動きあった後、
「小手にいけるか」と思ったのが先か、
結果論だったか、正確には覚えてないが
小手
当たった
また先生は天井を仰がれた、か、どうかは覚えてないが、
一本をお認めになったご様子。
そして、稽古は再開
それ以降は、(大きな反省だが)疲れて、動けなかった。
雑な攻めをした。胴に返され、面に来られ、小手も打たれたと思う。
剣道は、打った打たれたじゃない。「一本の取り合いの稽古」なんて、単なる
「運動」に過ぎない。のに、そんな気持ちで稽古をお願いしていたように思った。
少し残念だった。もっと滅多打ちされて「やっぱり何も技なんか通用しない。」と
いう思いになる自分を想像していた。それ程、その先生へは多大な期待をしていた
自分がいた。何か悔しかった。
だから、その日の稽古を「稽古」と考えてはいけないと思い、普段稽古の日は
実施しない、稽古が無い日に実施する素振りを実施した。夜、家のすぐ脇で。
モヤモヤしていた。例え先生から一本取れたとしても、それを実力と勘違い
するのは大きな痛手。自分に残念だったんだ、きっと。
回顧録。
さて、10月13日の試合に話を戻す。
その日を迎えようと慎重すぎた時間を前日(10月12日)過ごしてしまった。
結局、剣道をせず、いつの間にか夜寝てしまった。ハッと気づき起きたのは
10月13日の朝4時。
札幌でのことを思い起こし、朝からでも運動できると言い聞かせ、まず走った。
本当は10月12日に実施する考えだった。その後、そして、素振りをした。
寝ないまま試合に向かった、という経緯だ。
大切な試合が近づくにつれ、不要な慎重さが行動に表れ、結局、何もしない時間を
過ごす。剣道だけでなく、日常の小さな様々な場面で表れている気がする。
直したい自分の悪い癖だ。
さて、試合の話。結果は冒頭の通り。以下、振り返りを、これまたズラズラ書く
(今日は長いブログになる)。
反省点
3.改めて振り返り
課題6:面を打った後の万歳抑える。
上記の試合後、数日して、ろっ骨が痛み始めた。またいつものように痛めてしまった。
今回、思い当たる場面は無かったんだけどな。
クシャミや咳の時の、痛いのなんのって。寝て、起き上がる時、体勢を変えるだけで痛くて
しょうがなかった。けど、一応、素振りは続けた。正面打ちでは、ろっ骨が痛みすぎるので、
痛みをあまり感じない上下素振りで続けた。
どうして、いつも痛むんだろう・・・。
けなも
9月、全日本実業団剣道大会にて、我が社のチームはベスト32まで進みましたよ。
でも、俺は応援のみ(笑)。
10月13日(日)、芙蓉グループ剣道大会ってのがあるのね。
1勝1敗1引き分け。ま、なんて言うかな。勝つべき所で負けた。
反省点とかは、あとでズラズラ書きます。
10月14日(月)、情報系企業剣道大会ってのがあるのね。
俺自身は何とか3勝したけど、チーム自体は予選負け。
写真は1試合目の初打ち。右が俺。一本にはなりましたが、これ見ただけでも、
顎が上がっている。それに、もっと腰を並行移動させて打突せねばと思う。
そうそう記載せねばいけない事をズラズラ書きます。
10月上旬、県の合同稽古がありました。仕事をなかなか切り上げられず、
結局稽古途中に参加。面打ちの後、指導稽古へ。
即座に並んだ先は、剣道をやっている方なら一度は聞いたことのあるお名前の
先生の下へ並んだ。
どのような稽古になるのだろう。
自分の前に稽古されている方々との様子を見る。
ハッキリ言えば、正直に言えば、
姿勢を崩して打突されていらっしゃる場面は複数回あった。
Ku先生や、Si先生の稽古で見られる「攻め」の凄みは無く
(打突の凄みが相対的に上回った為かもしれない)
一本とったり、とられたりの内容というか、何と言うか・・・。
稽古中の攻めのご様子を見ていて、何となく「一本の取り合いの稽古」を
していいのかなと思い、
「一足一刀から若干入った距離くらいから、裏から面が行けるかな。」と
いう思い。
未知数であることは確か。
自分の番。
構え合い、一つ動作が入り、一旦、鍔迫り合い。
すぐに分かれ、構え直し、照準を合わせ・・・
面
当たった
先生は天井を仰がれた。うなずき、構え直し、再開。
来た
竹刀が動きあった後、
「小手にいけるか」と思ったのが先か、
結果論だったか、正確には覚えてないが
小手
当たった
また先生は天井を仰がれた、か、どうかは覚えてないが、
一本をお認めになったご様子。
そして、稽古は再開
それ以降は、(大きな反省だが)疲れて、動けなかった。
雑な攻めをした。胴に返され、面に来られ、小手も打たれたと思う。
剣道は、打った打たれたじゃない。「一本の取り合いの稽古」なんて、単なる
「運動」に過ぎない。のに、そんな気持ちで稽古をお願いしていたように思った。
少し残念だった。もっと滅多打ちされて「やっぱり何も技なんか通用しない。」と
いう思いになる自分を想像していた。それ程、その先生へは多大な期待をしていた
自分がいた。何か悔しかった。
だから、その日の稽古を「稽古」と考えてはいけないと思い、普段稽古の日は
実施しない、稽古が無い日に実施する素振りを実施した。夜、家のすぐ脇で。
モヤモヤしていた。例え先生から一本取れたとしても、それを実力と勘違い
するのは大きな痛手。自分に残念だったんだ、きっと。
回顧録。
さて、10月13日の試合に話を戻す。
その日を迎えようと慎重すぎた時間を前日(10月12日)過ごしてしまった。
結局、剣道をせず、いつの間にか夜寝てしまった。ハッと気づき起きたのは
10月13日の朝4時。
札幌でのことを思い起こし、朝からでも運動できると言い聞かせ、まず走った。
本当は10月12日に実施する考えだった。その後、そして、素振りをした。
寝ないまま試合に向かった、という経緯だ。
大切な試合が近づくにつれ、不要な慎重さが行動に表れ、結局、何もしない時間を
過ごす。剣道だけでなく、日常の小さな様々な場面で表れている気がする。
直したい自分の悪い癖だ。
さて、試合の話。結果は冒頭の通り。以下、振り返りを、これまたズラズラ書く
(今日は長いブログになる)。
反省点
1.芙蓉グループ(「攻撃は最大の防御」 by Fu範士八段の講評より)
・全般的に、下がった。
・1試合目
とりあえず、慎重に行った。別に悪くなかったと思う。
但し、下がったし、試合後監督さんに流れを作るという意味で
元気がなかったと言われ、動揺したと思う。
・2試合目
攻めあぐねた。つばぜり合いでなかなか相手が間を開けず、
若干、イライラした。つまり、心を動かされたということだ。
結局、引き分け。
・3試合目
立って、いきなり飛び込んだと思う。どうも、意気込むと、
そんな癖がある。注意していたはずの引き面でとられた。何故だろう。
相手はそれを狙ってたけど、そこまで執拗に狙うとは思ってなかった。
1~2試合目で見抜かれていたということか。結局、攻めが単調だった
のだろうが、同じく攻めあぐねて、時間切れ。情けないと思った。
2試合目も、3試合目も、決して敵わない相手だとは思わなかった。
でも、3試合目は負けた。自分より背が高い人には分が悪いのは、
変わってないということだ。くどいが、敵わない相手だとは思わなかった。
彼らの試合の動きを見て。でも、勝てなかった。高校までの俺なら、
勝てる相手には勝ってた。でも、社会人なってから、勝てそうな相手に
負けることが本当に多くある。
それにしても、3試合目、なぜ負けたか。
・攻めが単調。
・そもそも、じっくり攻めが出来てなかった。
・相手は狙ってた。そして、一本先取後、無理しなかった。
・なんで俺は勝てなかった。
2.情報系企業剣道大会(「剣道に待ちや受けは無い。出発点は捨て身、
到達点は相打ち」by I教士八段の講評より)
・芙蓉、情報系では後輩から一本勝負の練習の際、あっさりすぐに取られた。
俺は下がったからと思った。だから、下がらない剣道を意識した。
1試合目
一応、理想通り。強いて言うなら、結局、下がった部分あり。
2試合目
小手が何度も危なかった時があった。相手が悔やんでいる顔が見えて、
いちいち感情を出す、表情を変えるのを見て、なんだか、かっこよくなかった。
反面教師として、一本にならなかったら、落胆せず、じゃあもう一本!と
奮起する自分でありたい。
3試合目
最初、下がったね。ダメだ。2本目、あっさりとられた。情けない。
かっこ悪い。3本目。まあ、いいけど。勝てると感じた相手、なのに、
最初から2本目まで捨てきれなかったね。
全般的に、試合になると、「ポコン」が怖い。それはそれで稽古不足という
意味だろうが、多分、それで「現実」(の一側面。別名、自分の「弱み」?)が
見えるのが怖いのか。きっと、下がらず、堂々と真っ直ぐ行ってれば勝てるはず
だったかもしれない、のに。
3.改めて振り返り
さて、芙蓉の負けた3試合目。
なぜ、負けた?結局、攻めが無く、ということかなと思う。我慢して攻めなかった。
攻めたとしても単調だった。ということか。そんな剣道自体が隙だらけで、そこを
逃さない相手が上だったということか。技のスピードじゃない。振りかぶり、
刺し面の違いが問題じゃない。
情報系試合後、チームメイト同期Ta君より、先(せん)をとる重要性を教わった。
確かに振り返ると、俺が下がるのは先をとられていたということなんだろう。
I教士八段からは、剣道に待ちや受けは無い。出発点は捨て身、到達点は相打ちとの
お言葉があった。そういう意味では、情報系3試合目、最初攻められ打たれ、でも避け
一本にならなかったが、そんなの剣道じゃないってことだと思った。
自分の試合をビデオで見た後
相手を追いかけた際、間合いを一気につめてからの一打が無い。なんていうか、
くっついていくだけ。中途半端な間合いで、小手を触る感じ。
課題1:一気に追い込んでからどうする。
それから、自分より大きな相手に、結局、面に竹刀が届いてない。むしろ、
上から動きを読まれてて、体をさばかれる。
課題2:自分より背が高い人への攻めに工夫が必要。
少なくとも、Ku先生や、Si先生は、俺より背が低い。のに、勝てる気がしないのは
何故だ、という点を観察、研究する。きっと、そこにこそ、攻めがあるんだと思うが。
課題3:結局、面の姿勢が、一本にしたとしても、崩れていて、かっこ悪い。
正しい打ちをしないと。
負けた試合を見るのは、気分が良くない。しかしだ、だからこそ、負けた試合を
貴重な資料ととらえ、研究し、稽古し、その分、強くなって、勝てる、勝つ試合を
増やさねば。もったいない。
課題4:気合を入れる際、顎が上がる。
課題5:だいぶ構えはよくなったが、もう少し、足、特に左足。まだ開き過ぎ。
課題6:面を打った後の万歳抑える。
上記の試合後、数日して、ろっ骨が痛み始めた。またいつものように痛めてしまった。
今回、思い当たる場面は無かったんだけどな。
クシャミや咳の時の、痛いのなんのって。寝て、起き上がる時、体勢を変えるだけで痛くて
しょうがなかった。けど、一応、素振りは続けた。正面打ちでは、ろっ骨が痛みすぎるので、
痛みをあまり感じない上下素振りで続けた。
どうして、いつも痛むんだろう・・・。
けなも
2013年9月22日日曜日
面が当たった・・・
9/22(日)
本日は午前中、街の道場で稽古。
書きたかったこと。
とても印象に残ったことがありました。
日曜日、多くの場合、Ku八段の指導を頂ける日だ。
本日もKu八段がいらっしゃって、地稽古。
いつもは、打たせて頂く稽古になる。Si八段と同様だ。
でも、今日は地稽古が始まる前に、Ku八段から
中心を取って攻めて打つことを意識して稽古をするように、
とのお話があった。
よって、それを好機と考え、いつもの通りのドンドン打っていく
稽古を抑え、攻めを意識して地稽古をお願いした。
ところで、私の稽古前、Ku八段が好印象を持っていると感じられる子(私より年下)が
Ku八段に臨んでいた。分かりやすく言うと、Ku八段が望む攻めができている子で、
見ていて、「俺にはできないな。」と思える稽古が出来ていた。Ku八段とその子の稽古風景は
「崇高に剣道している」ように見えた。
自分に言い聞かせた。自分なりに攻めてがんばろう、って。
で、私の番。いつもより打たずに攻めてみた。
ちなみに、最近悩む「攻め」。まずはオーソドックスに「中心をとりながら真っ直ぐ前へ進む」を
心がけた。
そして、打って行った。まず、小手に抑えられた。「やっぱり、俺には崇高な攻めは出来てないな。」
残念な気持ちのまま、また攻め直す。また、小手に抑えられ、胴に切り返された。
相面に乗られた。
いつもより、「攻め」は意識した。でも、やっぱり、私の前に稽古していたあの子のように、
攻めで充実した稽古はできないようだ。
・・・と稽古中、
「面が打てる」と「見えた」瞬間
Ku先生が面に出てきた瞬間だった
私の竹刀がKu先生の面に当たった。
不思議な瞬間だった。
Ku先生が天井を仰いだ。
Ku先生の、そのような仕草は、滅多に見ない。
そして、「もう一本。」とおっしゃった。
稽古後、何とお言葉を頂けるのか考えていたが、
相手の竹刀を殺し、技を殺し、中心をとって技を出すように言われた
と思った。実際、一言一句覚えてない。
あの面の事は触れられなかった。
問題は、打った打たれたじゃないってことだ。
これをチャンスととらえ、Ku先生には「攻め」を意識して稽古に臨みたい。
上の方には、ドンドン打って行かねばいけないと思っていたし、
「攻め」を演じるのは、私のレベルでは失礼だと思っていた。
がんばろう。
けなも
本日は午前中、街の道場で稽古。
書きたかったこと。
とても印象に残ったことがありました。
日曜日、多くの場合、Ku八段の指導を頂ける日だ。
本日もKu八段がいらっしゃって、地稽古。
いつもは、打たせて頂く稽古になる。Si八段と同様だ。
でも、今日は地稽古が始まる前に、Ku八段から
中心を取って攻めて打つことを意識して稽古をするように、
とのお話があった。
よって、それを好機と考え、いつもの通りのドンドン打っていく
稽古を抑え、攻めを意識して地稽古をお願いした。
ところで、私の稽古前、Ku八段が好印象を持っていると感じられる子(私より年下)が
Ku八段に臨んでいた。分かりやすく言うと、Ku八段が望む攻めができている子で、
見ていて、「俺にはできないな。」と思える稽古が出来ていた。Ku八段とその子の稽古風景は
「崇高に剣道している」ように見えた。
自分に言い聞かせた。自分なりに攻めてがんばろう、って。
で、私の番。いつもより打たずに攻めてみた。
ちなみに、最近悩む「攻め」。まずはオーソドックスに「中心をとりながら真っ直ぐ前へ進む」を
心がけた。
そして、打って行った。まず、小手に抑えられた。「やっぱり、俺には崇高な攻めは出来てないな。」
残念な気持ちのまま、また攻め直す。また、小手に抑えられ、胴に切り返された。
相面に乗られた。
いつもより、「攻め」は意識した。でも、やっぱり、私の前に稽古していたあの子のように、
攻めで充実した稽古はできないようだ。
・・・と稽古中、
「面が打てる」と「見えた」瞬間
Ku先生が面に出てきた瞬間だった
私の竹刀がKu先生の面に当たった。
不思議な瞬間だった。
Ku先生が天井を仰いだ。
Ku先生の、そのような仕草は、滅多に見ない。
そして、「もう一本。」とおっしゃった。
稽古後、何とお言葉を頂けるのか考えていたが、
相手の竹刀を殺し、技を殺し、中心をとって技を出すように言われた
と思った。実際、一言一句覚えてない。
あの面の事は触れられなかった。
問題は、打った打たれたじゃないってことだ。
これをチャンスととらえ、Ku先生には「攻め」を意識して稽古に臨みたい。
上の方には、ドンドン打って行かねばいけないと思っていたし、
「攻め」を演じるのは、私のレベルでは失礼だと思っていた。
がんばろう。
けなも
2013年9月20日金曜日
「癖のない剣道」・・・でも勝てないんです
9/20(木)
今日(9/20のこと。日付変わって投稿しますが。)は、先週同様、近くの道場に行きました。
仕事を切り上げるのが遅れ、結局7時30分開始には間に合わず。
面打ちから参加。
いきなり話は逸れますが、
昨日(9/19)までの夜素振りでは、最近よく振れている、竹刀の走りが
以前(今年の冬とか)と比べ良くなったと実感してます。
その実感がある度、道場で面を付けた時の稽古での「活躍」する
自分の姿を思い浮かべるのです。
しかし、素振りが「そのまま」稽古でも活かされている実感が無いんです。
話が戻り、本日の稽古でも、なんていうか、竹刀の先端部分で面をとらえ、
充分な面となっていないと感じるんです。腰が入ってないのかな・・・。
でも、素振りの通り打っているし、素振りの時は、それこそ腰意識しての
素振りにしているし・・・。
間合いが悪い?でも、先週の稽古でも、自分にとっての一足一刀が、
八段のSi先生から見たら、違うとの指摘があって、本日は相手と自分の
中結が交わる部分を意識して面を打ちに行った。
ん~、やはり、私には遠い気がするんだけどな・・・。
さて、面打ちは、一本一本打つ面打ちから、連続で2本、3本打つ面打ちへ。
その後、太鼓の合図を基に、攻め合った状態から面などを打ちあう稽古へ。
その稽古で、相手の方々から面を何本か打たれる。
ショックだったんですよ。自分は、素振りで真っ直ぐ強く竹刀を振れる自信が
あったんです。ところが、打たれるんです。相手は普通の一般愛好家ですよ。
私の面が脇に逸れ相手の竹刀が私の面に当たったり、相手のすりあげ面に
やられたり・・・。ショックだったんです。もっと、やれると思ってたのに、まともに
一本も当てられなかった。
「振る」動作以前に、攻め合いが甘いのかなと思う。
やはり、課題は「攻め」なんだろうな。
Si八段のご指導によると、無理して面を早く打つ必要などない。
それよりも振りかぶっての面を打つこと。攻めがしっかりしていれば、
振りかぶっても相手は動けない。打つべきところは、相手が下がった所、
相手が出てきた所(あと一つはなんだったか)、とのこと。
ちなみに、千葉周作の言葉で三つの許さぬ所として、相手の起こり頭(出ばな)、
相手が受け止めた所、相手の技が尽きた所、ここを許すな、必ず打てという教えがある。
それに似た言葉と解釈している。
いつかのブログにも書いたけど、本当にそうだと思う。
結局、攻めがしっかりしてないとどんな技でも一本につながらないんだと思う。
さて、基本稽古の後は、先生方に稽古をお願いする自由稽古の時間。
もちろん、Si八段へお願いする。
先週同様、今回も面打ち主体。というか、面打ちのみで終わった。
でも、やはり、前後の方々と違い、とにかくドンドン打ち込んでいく、
短い時間の稽古。
それでもって評価してはいけないんだろうけど、やはり、私の剣道は前後の方々と比べ、
先生との攻め合いは許されない、そこまでのレベルと認められてないんだなと実感します。
悲しいんですよ。高校までは、剣道に明け暮れる毎日で、それなりの試合経験も積んで・・・。
でも、やはり、大学以降8年間は剣道やらなかったツケなんだろうな、これが。
そういうレベルだと、きっと認めたくない自分がいるから、そう思うんだと思う。
でも、これが今の俺のレベルなんだよ。先生方との攻め合いを語れるレベルじゃないんだよ。
認められない自分が情けない。
さて、本日はSi先生の次に、七段のTa先生へ稽古をお願いした。Ta先生は、いつも
温く私の剣道を見つめて下さっている。
意識したのは、一足一刀からの面打ち。それだけ。小手で抑えられても、胴に切り返されても。
稽古後、まずSi八段からは、ドンドン打ってきなさいとのこと。それから、言われたのは、
私の剣道は真っ直ぐで癖が無くてイイ、とのこと。
さて、ここで、思います。真っ直ぐで癖が無い剣道でイイとお褒めの御言葉と思います。
でも、試合に勝てないんですよ。そもそも、本日の攻め合いから打ちあう稽古でも、
私は一本にできなったのに、相手から打たれたんですよ。ちなみに、決して相手の
打ち方は変な癖が無く自然なお姿と思います。そのようなお相手から打たれてるんですね。
相手の方がよっぽどイイ剣道ではないでしょうか。
真っ直ぐで癖が無くてイイと言われても、自信が持てません・・・。
Ta先生からは、Si先生から何を言われたか問われ、回答すると「私もそう思う。」と
言われ、今のままの剣道で続けるよう言われました。
で、今のまま続けたら、私の剣道はどこに向かうのでしょうか・・・。
どなたかお答え頂けませんでしょうか。
試合に勝てないと意味は無い、とは思わないようにしてます。それにまつわることが
きっかけで剣道を再開したことは以前書きました。
でも、試合に勝ちたいんですね。勝つ人みてると、カッコいいじゃないですか。
もちろん、試合の勝ち負けは、剣道にとって二の次のことだと思ってます。
でも、試合に勝ちたいな。
勝てない剣道に意味はあるのかな。
このまま続けて、私の剣道はどこに向かうのかな。
そんなこと考えてたら、モチベーションが下がり、近いうち剣道辞めるんでないか、
ふと、そんなこと考えました。
が、すぐ、訂正しました。
だから続ける意味があるんだと。課題があって稽古するなんて、贅沢じゃないかと。
ということで、気を改めて稽古します。
少なくとも、当面、「真っ直ぐで癖の無い剣道」のご評価を大切にして、
素振り、稽古に励みます。
ちなみに、Ta先生からは、Si先生にかかる時は、もっと自信を持って、
また、一つ一つの打ちの際に、もっと攻めて打つようアドバイスがあった。
やっぱり「攻め」だな。課題。
つまりだ、だからこそ、振りかぶった面を主体に稽古すべきだと思う。
振りかぶって当たらないなら、攻めが足りない証拠だと思う。
攻めが足りないのを、刺し面で当たったことで「俺剣道うまい」とは思いたくない。
振りかぶって面。その為に、しっかりと攻める。
「攻める」って、何をすると「攻める」となるのか。
考えて、剣道したい。
ちなみに、毎週木曜のSi先生の稽古会は、運動量は小だから、身体的には辛くないです。
ただ考えさせられます。その考えさせられる時間が、とても貴重に思えてます。
本日のSi先生の御話を伺う際、私の顔を見て一瞬間があった。
話すことが無かったのに、何とかひねり出すお時間だったのかもしれない。
それでも頂けたお言葉。大切にせねば。
けなも
今日(9/20のこと。日付変わって投稿しますが。)は、先週同様、近くの道場に行きました。
仕事を切り上げるのが遅れ、結局7時30分開始には間に合わず。
面打ちから参加。
いきなり話は逸れますが、
昨日(9/19)までの夜素振りでは、最近よく振れている、竹刀の走りが
以前(今年の冬とか)と比べ良くなったと実感してます。
その実感がある度、道場で面を付けた時の稽古での「活躍」する
自分の姿を思い浮かべるのです。
しかし、素振りが「そのまま」稽古でも活かされている実感が無いんです。
話が戻り、本日の稽古でも、なんていうか、竹刀の先端部分で面をとらえ、
充分な面となっていないと感じるんです。腰が入ってないのかな・・・。
でも、素振りの通り打っているし、素振りの時は、それこそ腰意識しての
素振りにしているし・・・。
間合いが悪い?でも、先週の稽古でも、自分にとっての一足一刀が、
八段のSi先生から見たら、違うとの指摘があって、本日は相手と自分の
中結が交わる部分を意識して面を打ちに行った。
ん~、やはり、私には遠い気がするんだけどな・・・。
さて、面打ちは、一本一本打つ面打ちから、連続で2本、3本打つ面打ちへ。
その後、太鼓の合図を基に、攻め合った状態から面などを打ちあう稽古へ。
その稽古で、相手の方々から面を何本か打たれる。
ショックだったんですよ。自分は、素振りで真っ直ぐ強く竹刀を振れる自信が
あったんです。ところが、打たれるんです。相手は普通の一般愛好家ですよ。
私の面が脇に逸れ相手の竹刀が私の面に当たったり、相手のすりあげ面に
やられたり・・・。ショックだったんです。もっと、やれると思ってたのに、まともに
一本も当てられなかった。
「振る」動作以前に、攻め合いが甘いのかなと思う。
やはり、課題は「攻め」なんだろうな。
Si八段のご指導によると、無理して面を早く打つ必要などない。
それよりも振りかぶっての面を打つこと。攻めがしっかりしていれば、
振りかぶっても相手は動けない。打つべきところは、相手が下がった所、
相手が出てきた所(あと一つはなんだったか)、とのこと。
ちなみに、千葉周作の言葉で三つの許さぬ所として、相手の起こり頭(出ばな)、
相手が受け止めた所、相手の技が尽きた所、ここを許すな、必ず打てという教えがある。
それに似た言葉と解釈している。
いつかのブログにも書いたけど、本当にそうだと思う。
結局、攻めがしっかりしてないとどんな技でも一本につながらないんだと思う。
さて、基本稽古の後は、先生方に稽古をお願いする自由稽古の時間。
もちろん、Si八段へお願いする。
先週同様、今回も面打ち主体。というか、面打ちのみで終わった。
でも、やはり、前後の方々と違い、とにかくドンドン打ち込んでいく、
短い時間の稽古。
それでもって評価してはいけないんだろうけど、やはり、私の剣道は前後の方々と比べ、
先生との攻め合いは許されない、そこまでのレベルと認められてないんだなと実感します。
悲しいんですよ。高校までは、剣道に明け暮れる毎日で、それなりの試合経験も積んで・・・。
でも、やはり、大学以降8年間は剣道やらなかったツケなんだろうな、これが。
そういうレベルだと、きっと認めたくない自分がいるから、そう思うんだと思う。
でも、これが今の俺のレベルなんだよ。先生方との攻め合いを語れるレベルじゃないんだよ。
認められない自分が情けない。
さて、本日はSi先生の次に、七段のTa先生へ稽古をお願いした。Ta先生は、いつも
温く私の剣道を見つめて下さっている。
意識したのは、一足一刀からの面打ち。それだけ。小手で抑えられても、胴に切り返されても。
稽古後、まずSi八段からは、ドンドン打ってきなさいとのこと。それから、言われたのは、
私の剣道は真っ直ぐで癖が無くてイイ、とのこと。
さて、ここで、思います。真っ直ぐで癖が無い剣道でイイとお褒めの御言葉と思います。
でも、試合に勝てないんですよ。そもそも、本日の攻め合いから打ちあう稽古でも、
私は一本にできなったのに、相手から打たれたんですよ。ちなみに、決して相手の
打ち方は変な癖が無く自然なお姿と思います。そのようなお相手から打たれてるんですね。
相手の方がよっぽどイイ剣道ではないでしょうか。
真っ直ぐで癖が無くてイイと言われても、自信が持てません・・・。
Ta先生からは、Si先生から何を言われたか問われ、回答すると「私もそう思う。」と
言われ、今のままの剣道で続けるよう言われました。
で、今のまま続けたら、私の剣道はどこに向かうのでしょうか・・・。
どなたかお答え頂けませんでしょうか。
試合に勝てないと意味は無い、とは思わないようにしてます。それにまつわることが
きっかけで剣道を再開したことは以前書きました。
でも、試合に勝ちたいんですね。勝つ人みてると、カッコいいじゃないですか。
もちろん、試合の勝ち負けは、剣道にとって二の次のことだと思ってます。
でも、試合に勝ちたいな。
勝てない剣道に意味はあるのかな。
このまま続けて、私の剣道はどこに向かうのかな。
そんなこと考えてたら、モチベーションが下がり、近いうち剣道辞めるんでないか、
ふと、そんなこと考えました。
が、すぐ、訂正しました。
だから続ける意味があるんだと。課題があって稽古するなんて、贅沢じゃないかと。
ということで、気を改めて稽古します。
少なくとも、当面、「真っ直ぐで癖の無い剣道」のご評価を大切にして、
素振り、稽古に励みます。
ちなみに、Ta先生からは、Si先生にかかる時は、もっと自信を持って、
また、一つ一つの打ちの際に、もっと攻めて打つようアドバイスがあった。
やっぱり「攻め」だな。課題。
つまりだ、だからこそ、振りかぶった面を主体に稽古すべきだと思う。
振りかぶって当たらないなら、攻めが足りない証拠だと思う。
攻めが足りないのを、刺し面で当たったことで「俺剣道うまい」とは思いたくない。
振りかぶって面。その為に、しっかりと攻める。
「攻める」って、何をすると「攻める」となるのか。
考えて、剣道したい。
ちなみに、毎週木曜のSi先生の稽古会は、運動量は小だから、身体的には辛くないです。
ただ考えさせられます。その考えさせられる時間が、とても貴重に思えてます。
本日のSi先生の御話を伺う際、私の顔を見て一瞬間があった。
話すことが無かったのに、何とかひねり出すお時間だったのかもしれない。
それでも頂けたお言葉。大切にせねば。
けなも
2013年9月12日木曜日
久しぶりの平日稽古
9/12(木)
今日は、会社を思い切って定時(17:20)ちょい過ぎに出た。
帰宅したのは19時過ぎてたかな。
思い切って道場に向かった。食事はせず道場に向かった。
食事無しで体力が持つか心配だったが、結果的には持った。
道場は、家の近くの道場。実は3~4年前も平日、道場に向かったが、
それ以来ってことになる。聞けば19時30分から、Si教士八段指導の下、
基本稽古が始まるとのこと。道場に着いたのは、19時20分頃。たまたま、
時間が合った。
素振りから。肩甲骨を意識して素振りをする。竹刀を振り上げた時は、
竹刀の角度は斜め45度。
肩甲骨を意識することに時間が多く割かれた気がして、印象に残った。
竹刀は力など要らない。全身で前へ進めば、竹刀は勝手に進むべき
方向に進むんだ、というご指導。だから、腕に力を入れず、でも、顎まで
切るつもりで打って行けとのこと。
たしかにそうかと思ったけど、顎まで切る動きが無ければ、面は切れない。
面布団の高さで刀が止まったら、面は切れない・顎まで刀は下りない。
そりゃそうだ。でも、なるほど、と思った。
間合いに関してご指摘を頂いた。自分なりに一足一刀のつもりが、
入り過ぎたように見られた。私にとっては一足一刀のはずなんだけどな・・・。
それは、本当の意味での一足一刀ではないということか。一足一刀に関して
勘違いしていたかもしれない。きちんと再考せねば。
自由稽古。Si先生にお願いした。それまで稽古をお願いしていた人よりは、
やはり短時間で終了した。実力が無いってことか・・・。
あまり深く考えず、とにかく真っ直ぐ面に向かった。面を意識した。実はこの
Si先生には別の稽古会で稽古を頂いたが、その際、小手を打って行った時
叱られた。小手なんか打つな、面を打てと。上手には面で稽古をするのが
筋だということだった。
だから、今日の稽古も面を意識した。途中、誤って(?)、思わず小手を打って
しまった。が、特にご指摘はなく。とにかく面打ちに徹した。ものの数分だったと思う。
稽古後、何歳だ?と聞かれ、33歳と答えると。もっと打ってきていいな。
でも、真っ直ぐだからいい、と言われた。
どういう意味だろう。真っ直ぐだと、打ち数が少なくても良いということか。
よく分からない。
ただ、たしかに、今日の稽古に限らず、他の多くの先生から、真っ直ぐの打ちを
褒められたことがあった。
試合では勝てないんですけど・・・。
真っ直ぐな剣道が、どれ程得なのか、よく分からない。八段に合格するんでしょうか。
試合に勝てるんでしょうか。よく分かりません。上達するなら、上達したい。
でも、いまいち上達しているようには思えない。
それにしても、基本を意識しておよそ1時間強の稽古。とても濃い稽古でした。
こんな稽古が1週間に1度あると、勉強になる。
さて、9/12は宇宙の日だと言う。
今日は会社で朝礼当番だった。前日夜、宇宙の日に関して何か言えないか、
ずっと考えていたが、そのまま眠ってしまった。いつの間にか夢の中。
「夢の中」・・・。「夢中(むちゅう)」という言葉を連想した。たしかに、宇宙のことで
朝礼での一言を考えてた、ある意味夢中だった。
そして思いついた一句。
宇宙の日
宇宙に夢中
夢の中
一応朝礼はそれでうまくいった。
私の「特許」俳句ということで。
けなも
今日は、会社を思い切って定時(17:20)ちょい過ぎに出た。
帰宅したのは19時過ぎてたかな。
思い切って道場に向かった。食事はせず道場に向かった。
食事無しで体力が持つか心配だったが、結果的には持った。
道場は、家の近くの道場。実は3~4年前も平日、道場に向かったが、
それ以来ってことになる。聞けば19時30分から、Si教士八段指導の下、
基本稽古が始まるとのこと。道場に着いたのは、19時20分頃。たまたま、
時間が合った。
素振りから。肩甲骨を意識して素振りをする。竹刀を振り上げた時は、
竹刀の角度は斜め45度。
肩甲骨を意識することに時間が多く割かれた気がして、印象に残った。
竹刀は力など要らない。全身で前へ進めば、竹刀は勝手に進むべき
方向に進むんだ、というご指導。だから、腕に力を入れず、でも、顎まで
切るつもりで打って行けとのこと。
たしかにそうかと思ったけど、顎まで切る動きが無ければ、面は切れない。
面布団の高さで刀が止まったら、面は切れない・顎まで刀は下りない。
そりゃそうだ。でも、なるほど、と思った。
間合いに関してご指摘を頂いた。自分なりに一足一刀のつもりが、
入り過ぎたように見られた。私にとっては一足一刀のはずなんだけどな・・・。
それは、本当の意味での一足一刀ではないということか。一足一刀に関して
勘違いしていたかもしれない。きちんと再考せねば。
自由稽古。Si先生にお願いした。それまで稽古をお願いしていた人よりは、
やはり短時間で終了した。実力が無いってことか・・・。
あまり深く考えず、とにかく真っ直ぐ面に向かった。面を意識した。実はこの
Si先生には別の稽古会で稽古を頂いたが、その際、小手を打って行った時
叱られた。小手なんか打つな、面を打てと。上手には面で稽古をするのが
筋だということだった。
だから、今日の稽古も面を意識した。途中、誤って(?)、思わず小手を打って
しまった。が、特にご指摘はなく。とにかく面打ちに徹した。ものの数分だったと思う。
稽古後、何歳だ?と聞かれ、33歳と答えると。もっと打ってきていいな。
でも、真っ直ぐだからいい、と言われた。
どういう意味だろう。真っ直ぐだと、打ち数が少なくても良いということか。
よく分からない。
ただ、たしかに、今日の稽古に限らず、他の多くの先生から、真っ直ぐの打ちを
褒められたことがあった。
試合では勝てないんですけど・・・。
真っ直ぐな剣道が、どれ程得なのか、よく分からない。八段に合格するんでしょうか。
試合に勝てるんでしょうか。よく分かりません。上達するなら、上達したい。
でも、いまいち上達しているようには思えない。
それにしても、基本を意識しておよそ1時間強の稽古。とても濃い稽古でした。
こんな稽古が1週間に1度あると、勉強になる。
さて、9/12は宇宙の日だと言う。
今日は会社で朝礼当番だった。前日夜、宇宙の日に関して何か言えないか、
ずっと考えていたが、そのまま眠ってしまった。いつの間にか夢の中。
「夢の中」・・・。「夢中(むちゅう)」という言葉を連想した。たしかに、宇宙のことで
朝礼での一言を考えてた、ある意味夢中だった。
そして思いついた一句。
宇宙の日
宇宙に夢中
夢の中
一応朝礼はそれでうまくいった。
私の「特許」俳句ということで。
けなも
2013年9月10日火曜日
8月の剣道
素振りしましたよ。
一足一刀から「ため」を意識して、中心そのまま、
面をうつ練習に意味を感じながらがんばりましたよ。
今、吉田美奈子の「もみの木」をYouTubeで聴きながら
ブログ書いてる。本当にこの方の歌は素敵ですよね・・・。
さて、東京オリンピック2020年開催決定!
嬉しいですね!剣道競技は無いけど「オモテナシ」の心を大切にして
世界の人々を歓迎したいです。
生中継で招致プレゼン見てたけど、本当にすごいよ、あの方々。
高円宮妃久子さまのお言葉にまず感動致しました。フランス語、
英語を流暢に、しかも、あの大勢をお相手に淡々とお話しされる
お姿は、心を揺らされました。私も、あのような大舞台で、あのような
堂々としていらっしゃるお姿で、プレゼンをやってみたい。
滝川クリステル。彼女もすばらしかった。もう、人前でのプレゼン慣れだね。
外国語を流暢に話す姿は、もちろん、すばらしかったけど、意味が分からなくとも、
表現しきっているあの姿に、「この人もすげー。」と、素直に思った。
どんな場面においても、どんな人の前でさえも、最高のパフォーマンスを発揮するには、
一夜漬けでは不可能だ。どんな場面でも最高のパフォーマンスを発揮するには、
「どんな場面」においても稽古済でなければできない。「どんな人の前でさえも」稽古済で
なければできない。
そんな場面を生中継で見て、心が震えた。そして、日本プレゼンター全員が一つになって、
質疑応答にも必死で、取り乱すことなく答(応)えた。感動しました。
そして私はその後、ジョギング、素振りをこなしました。
日頃の鍛錬。がんばろう。
さて、話は8月に戻る。
一昨年同様、8月下旬、実家に帰省(もちろん、木刀持って)。
写真は、最寄駅の窓に映った雲。
春まで仕事で頭がいっぱいいっぱいで、精神的にも正常じゃなかった。
だから、夏休みで精神正常にしたかった。
結論からすると、休み時間があれば正常になるのではなく、
走りながら成長することでしか、精神正常はできないなと思った。
結局、仕事がうまくいかないのは、仕事が分かってないから。
だから、休息をとっても前進はしない。休息が悪いんじゃない。
休みが無かったのは確か。だから、何もしなくていい日を作るのは貴重な事。
だけど、仕事をうまくすすめたいなら、もっともっと勉強が必要。
今は「知」が必要。そう思う。
それも、コツコツ積み上げるしかない。
結局、それが答えだと、分かってたはずだけど、やっぱりそれしかないと改めて思った。
さて、記憶にある限りで、8/28(水)夜は眠ってしまい素振りしなかった。
次の日朝から素振りした。
それ以外は、ほぼやりました。
本日は9月10日か。9月8日夜は寝てしまい、後悔して9月9日過ごし、
その日の夜(つまり前日夜か)、2日分実施しました。本質じゃないけど。
改めて、心入れ替えて。
世の中でがんばっている人はたくさんいる。俺のがんばりなんかちっぽけなモノ。
でも強くなりたい。
そうそう、何度も前後しますが、9/1(日)、某武道具店に垂の修理を依頼しました。
その後、その店内で商品を見ていたら、ふと4名の客が。直接見なくても、店の雰囲気が
変わったことを感じた。少しして、気になって振り返ってみると、剣道の超有名人だった。
本当は名前書きたいけど、書ける程有名人だけど、私的に来ているんだろうから、
ここでは書かない。
思ったのは、有名人を見て、追いかけるんじゃなく、俺が有名人になるくらい剣道が強くなりたい。
ヒトとしてまず立派にありたい。仕事人・社会人として立派にありたい。
剣道は二の次、三の次だけど、でも、剣道でも良い意味で有名人になりたい。
けなも
素振りしましたよ。
一足一刀から「ため」を意識して、中心そのまま、
面をうつ練習に意味を感じながらがんばりましたよ。
今、吉田美奈子の「もみの木」をYouTubeで聴きながら
ブログ書いてる。本当にこの方の歌は素敵ですよね・・・。
さて、東京オリンピック2020年開催決定!
嬉しいですね!剣道競技は無いけど「オモテナシ」の心を大切にして
世界の人々を歓迎したいです。
生中継で招致プレゼン見てたけど、本当にすごいよ、あの方々。
高円宮妃久子さまのお言葉にまず感動致しました。フランス語、
英語を流暢に、しかも、あの大勢をお相手に淡々とお話しされる
お姿は、心を揺らされました。私も、あのような大舞台で、あのような
堂々としていらっしゃるお姿で、プレゼンをやってみたい。
滝川クリステル。彼女もすばらしかった。もう、人前でのプレゼン慣れだね。
外国語を流暢に話す姿は、もちろん、すばらしかったけど、意味が分からなくとも、
表現しきっているあの姿に、「この人もすげー。」と、素直に思った。
どんな場面においても、どんな人の前でさえも、最高のパフォーマンスを発揮するには、
一夜漬けでは不可能だ。どんな場面でも最高のパフォーマンスを発揮するには、
「どんな場面」においても稽古済でなければできない。「どんな人の前でさえも」稽古済で
なければできない。
そんな場面を生中継で見て、心が震えた。そして、日本プレゼンター全員が一つになって、
質疑応答にも必死で、取り乱すことなく答(応)えた。感動しました。
そして私はその後、ジョギング、素振りをこなしました。
日頃の鍛錬。がんばろう。
さて、話は8月に戻る。
一昨年同様、8月下旬、実家に帰省(もちろん、木刀持って)。
写真は、最寄駅の窓に映った雲。
春まで仕事で頭がいっぱいいっぱいで、精神的にも正常じゃなかった。
だから、夏休みで精神正常にしたかった。
結論からすると、休み時間があれば正常になるのではなく、
走りながら成長することでしか、精神正常はできないなと思った。
結局、仕事がうまくいかないのは、仕事が分かってないから。
だから、休息をとっても前進はしない。休息が悪いんじゃない。
休みが無かったのは確か。だから、何もしなくていい日を作るのは貴重な事。
だけど、仕事をうまくすすめたいなら、もっともっと勉強が必要。
今は「知」が必要。そう思う。
それも、コツコツ積み上げるしかない。
結局、それが答えだと、分かってたはずだけど、やっぱりそれしかないと改めて思った。
さて、記憶にある限りで、8/28(水)夜は眠ってしまい素振りしなかった。
次の日朝から素振りした。
それ以外は、ほぼやりました。
本日は9月10日か。9月8日夜は寝てしまい、後悔して9月9日過ごし、
その日の夜(つまり前日夜か)、2日分実施しました。本質じゃないけど。
改めて、心入れ替えて。
世の中でがんばっている人はたくさんいる。俺のがんばりなんかちっぽけなモノ。
でも強くなりたい。
そうそう、何度も前後しますが、9/1(日)、某武道具店に垂の修理を依頼しました。
その後、その店内で商品を見ていたら、ふと4名の客が。直接見なくても、店の雰囲気が
変わったことを感じた。少しして、気になって振り返ってみると、剣道の超有名人だった。
本当は名前書きたいけど、書ける程有名人だけど、私的に来ているんだろうから、
ここでは書かない。
思ったのは、有名人を見て、追いかけるんじゃなく、俺が有名人になるくらい剣道が強くなりたい。
ヒトとしてまず立派にありたい。仕事人・社会人として立派にありたい。
剣道は二の次、三の次だけど、でも、剣道でも良い意味で有名人になりたい。
けなも
2013年7月30日火曜日
足幅を広げてみた
7/28(日)
その日は、足幅を意識した。9月号『剣道時代』に、「足幅」に関する記述があった。
どなたが、どのように語っていたかは覚えてないが、何故か「足幅」という言葉が
頭から離れなかった。
「肩幅程度に広げる」
それまでの私の剣道は、どちらかというと、足幅は狭い方だったと思う。
極端に言うと、一握りあるかないか。いや、「一握り」という教えもあると思う。
ただこの日は「肩幅」を意識した。
道場の鏡の前で構えてみる。
とっても違和感。前に進めない感じ。進むと右斜め前に進んでいくような感覚。
でも、今度は地稽古で試してみる。
するとだ。
1.今まで以上に、おなかから声が出せるようになったような気がする。
足元がしっかりして、腹に集中できるというか。声の出し方が変わった。
気合の入れ方が変わった。安定して声を出せる。喉からじゃない。腹からだ。
2.と言うのも、今まで、右足の踵すら浮かさないと落ち着かなかった構えが、
左右の足の幅を広げることで、安定を保つには、ほどよく右足の踵は床に
着かねば安定せずという状況だった。
ここ数か月間、ずっと疑問だった。ひとによっては、右足の踵もわずかに
上げるというが、むしろ上げないと構えに安定を感じられなかった。
でも、そこで言う「わずかに上げる」とは違う、低い次元の意味で、踵を
上げないと安定しなかった。
しかし、足幅を広げることで、(とても違和感あったが)右足の踵は床に着いた。
頭で描いていた、安定感ある構えに近づいた予感がした。正解なのか分からないが。
それでも、地稽古中は下方に気を溜められた気がした。そして、お蔭で充実した
打突ができたような気がする。
という、以上2点の発見があった。
広げ過ぎは良くないにしても、「肩幅」くらいは必要な気がしてきた。
また稽古で、その効果を試してみたい。
・・・え?網膜剥離は大丈夫か、って?(一人問答)
7/7の稽古以来、病院には行けてません。
まぁ、今の所、視界に異常は見られないので、大丈夫なはずですが・・・。
でも心配だから、近々病院に行かなきゃなー。
全然、話は逸れますが、私は社宅に住んでます。4棟あるうち、今、2棟は売却し、
新たな住居を建てるため、取り壊されてる最中です。
で、困っていること。
素振りをするスペースが無くなった、ということ・・・。
なんで、このタイミングで。
今、かろうじて、残り2棟の隅っこで素振りしてますが、
社宅住人や、地域の方々の通り道のすぐわきなので、
そして、特に壁など無いので、いかに、人目につかないようにするか、
悩みながら、こっそり素振りを継続してます。
あぁ、人目を気にせず、素振りに集中したい。
素振り場所を探す、これも試練か。
あ、あと、9月の全日本実業団に、補欠にさえ選ばれませんでした(泣&笑)
部内選考に、やはり出なかったこと、何より、実力が認められてないからこそ。
ただ、残念な気持ちはあるけど、意外と前向きです。なぜなら、最近の稽古が、
少しづつ充実してきているから。素振りのお蔭で、色々な方に基本打ちを
褒められている。そのことで、稽古が、徐々に楽しくなっている。
もっともっと基本を身に付けよう、という気持ち。
だから、試合に選ばれなかったことは、今、より一層稽古に集中しなさい、
ということかなと思っている。面の完成度を上げて、試合ではいつでも
一本にできる程にまでの実力を身に付けておきたい。その為に必要な時間を
与えてくれたと思いたい。前向きな気持ちが強いです。
確かに基本稽古に集中したい気持ちが強いです。
切り返しは勢いで切り返すのではなく、一本一本確実に切り返す。
面打ちは、触刃の間合いから一足一刀まで入って、剣先も上下に動かさず、
そのまま喉もとにつけたまま、溜めて、面を打つ。
癖で、いつもは相手の手元まで剣先下げて面へ飛んでたけど、
ピタッと相手の喉元に付けたままで、面。
がんばろう。
けなも
その日は、足幅を意識した。9月号『剣道時代』に、「足幅」に関する記述があった。
どなたが、どのように語っていたかは覚えてないが、何故か「足幅」という言葉が
頭から離れなかった。
「肩幅程度に広げる」
それまでの私の剣道は、どちらかというと、足幅は狭い方だったと思う。
極端に言うと、一握りあるかないか。いや、「一握り」という教えもあると思う。
ただこの日は「肩幅」を意識した。
道場の鏡の前で構えてみる。
とっても違和感。前に進めない感じ。進むと右斜め前に進んでいくような感覚。
でも、今度は地稽古で試してみる。
するとだ。
1.今まで以上に、おなかから声が出せるようになったような気がする。
足元がしっかりして、腹に集中できるというか。声の出し方が変わった。
気合の入れ方が変わった。安定して声を出せる。喉からじゃない。腹からだ。
2.と言うのも、今まで、右足の踵すら浮かさないと落ち着かなかった構えが、
左右の足の幅を広げることで、安定を保つには、ほどよく右足の踵は床に
着かねば安定せずという状況だった。
ここ数か月間、ずっと疑問だった。ひとによっては、右足の踵もわずかに
上げるというが、むしろ上げないと構えに安定を感じられなかった。
でも、そこで言う「わずかに上げる」とは違う、低い次元の意味で、踵を
上げないと安定しなかった。
しかし、足幅を広げることで、(とても違和感あったが)右足の踵は床に着いた。
頭で描いていた、安定感ある構えに近づいた予感がした。正解なのか分からないが。
それでも、地稽古中は下方に気を溜められた気がした。そして、お蔭で充実した
打突ができたような気がする。
という、以上2点の発見があった。
広げ過ぎは良くないにしても、「肩幅」くらいは必要な気がしてきた。
また稽古で、その効果を試してみたい。
・・・え?網膜剥離は大丈夫か、って?(一人問答)
7/7の稽古以来、病院には行けてません。
まぁ、今の所、視界に異常は見られないので、大丈夫なはずですが・・・。
でも心配だから、近々病院に行かなきゃなー。
全然、話は逸れますが、私は社宅に住んでます。4棟あるうち、今、2棟は売却し、
新たな住居を建てるため、取り壊されてる最中です。
で、困っていること。
素振りをするスペースが無くなった、ということ・・・。
なんで、このタイミングで。
今、かろうじて、残り2棟の隅っこで素振りしてますが、
社宅住人や、地域の方々の通り道のすぐわきなので、
そして、特に壁など無いので、いかに、人目につかないようにするか、
悩みながら、こっそり素振りを継続してます。
あぁ、人目を気にせず、素振りに集中したい。
素振り場所を探す、これも試練か。
あ、あと、9月の全日本実業団に、補欠にさえ選ばれませんでした(泣&笑)
部内選考に、やはり出なかったこと、何より、実力が認められてないからこそ。
ただ、残念な気持ちはあるけど、意外と前向きです。なぜなら、最近の稽古が、
少しづつ充実してきているから。素振りのお蔭で、色々な方に基本打ちを
褒められている。そのことで、稽古が、徐々に楽しくなっている。
もっともっと基本を身に付けよう、という気持ち。
だから、試合に選ばれなかったことは、今、より一層稽古に集中しなさい、
ということかなと思っている。面の完成度を上げて、試合ではいつでも
一本にできる程にまでの実力を身に付けておきたい。その為に必要な時間を
与えてくれたと思いたい。前向きな気持ちが強いです。
確かに基本稽古に集中したい気持ちが強いです。
切り返しは勢いで切り返すのではなく、一本一本確実に切り返す。
面打ちは、触刃の間合いから一足一刀まで入って、剣先も上下に動かさず、
そのまま喉もとにつけたまま、溜めて、面を打つ。
癖で、いつもは相手の手元まで剣先下げて面へ飛んでたけど、
ピタッと相手の喉元に付けたままで、面。
がんばろう。
けなも
2013年7月7日日曜日
網膜剥離。再発しませんように・・・
7/7(日)
街の道場で稽古。
午前10時からおよそ30分間、基本稽古を、
八段の先生の下、実施する。
切り返しと、面打ちをする。
ゆっくり大きく切り返し。体当たりせず普通に切り返し。
そして、面打ち。その場で一歩すり足して面打ち。
攻めて踏み込んで面打ち。
そして、基本稽古の最後。
その場で(すり足せず)面打ち。
そもそも、この基本稽古は、2人1組。総勢30人ほどはいただろうか。
15組となると道場もスペースが限られてしまい、5~6名が組をつくれず、
基本稽古を実施した人と交代しながら、でも全員が各々の稽古を実施
していた。
最後の稽古、その場で面打ちは、相手が女性だった。
「集合。」と八段の先生。「その場で面打ち」の要領をみなに伝授。
その後、再度相手と2人1組で稽古再開。それまで組を作れなかった
5~6名も、狭いながらも組を作った。
と、再開後の相手は女性ではなく、七段の先生。
その場で面。
一本目。
バシ!
「ヤバい!」
余りの衝撃。
この先生は30名ほどの稽古者の中で、一番打ちが重い。
しかも、この稽古に限って、「10本」。
それまでの稽古は、3本から5本。
二本目。
三本目。
四本目。
・・・気が遠くなる。
相当な衝撃が頭に「襲いかかる」。
五本目。
六本目。
七本目。
・・・基本稽古の次にある地稽古は休んで帰ろうか。
八本目。
九本目。
・・・最後。
と思いきや。相手の先生は誤って10本目と思ったらしく、
九本で終了。
次は、私の番。
一本目、二本目・・・、あれ、周りの方々は終了している。
どうやら、「10本」のはずが、5本と勘違いされているらしく、
みなさん、待ち。
私も相手の先生も空気を読んで、終了。
私、二本打って終了。
どういうこと?
色々な意味で「やられた」感じ。
もう、網膜剥離が再発してないか、今でも、そのことだけ心配。
精神的にフラフラだった。
網膜剥離用の面を使ってて、まだ良かった。
最近、軽量防具が気になってた。気が緩んでたんだろう。
稽古の時は、網膜剥離用の面が絶対必要だ。
「死ぬ」かと思った。
けなも
街の道場で稽古。
午前10時からおよそ30分間、基本稽古を、
八段の先生の下、実施する。
切り返しと、面打ちをする。
ゆっくり大きく切り返し。体当たりせず普通に切り返し。
そして、面打ち。その場で一歩すり足して面打ち。
攻めて踏み込んで面打ち。
そして、基本稽古の最後。
その場で(すり足せず)面打ち。
そもそも、この基本稽古は、2人1組。総勢30人ほどはいただろうか。
15組となると道場もスペースが限られてしまい、5~6名が組をつくれず、
基本稽古を実施した人と交代しながら、でも全員が各々の稽古を実施
していた。
最後の稽古、その場で面打ちは、相手が女性だった。
「集合。」と八段の先生。「その場で面打ち」の要領をみなに伝授。
その後、再度相手と2人1組で稽古再開。それまで組を作れなかった
5~6名も、狭いながらも組を作った。
と、再開後の相手は女性ではなく、七段の先生。
その場で面。
一本目。
バシ!
「ヤバい!」
余りの衝撃。
この先生は30名ほどの稽古者の中で、一番打ちが重い。
しかも、この稽古に限って、「10本」。
それまでの稽古は、3本から5本。
二本目。
三本目。
四本目。
・・・気が遠くなる。
相当な衝撃が頭に「襲いかかる」。
五本目。
六本目。
七本目。
・・・基本稽古の次にある地稽古は休んで帰ろうか。
八本目。
九本目。
・・・最後。
と思いきや。相手の先生は誤って10本目と思ったらしく、
九本で終了。
次は、私の番。
一本目、二本目・・・、あれ、周りの方々は終了している。
どうやら、「10本」のはずが、5本と勘違いされているらしく、
みなさん、待ち。
私も相手の先生も空気を読んで、終了。
私、二本打って終了。
どういうこと?
色々な意味で「やられた」感じ。
もう、網膜剥離が再発してないか、今でも、そのことだけ心配。
精神的にフラフラだった。
網膜剥離用の面を使ってて、まだ良かった。
最近、軽量防具が気になってた。気が緩んでたんだろう。
稽古の時は、網膜剥離用の面が絶対必要だ。
「死ぬ」かと思った。
けなも
2013年7月2日火曜日
7/2(火)
今日は走りました。
素振りもしました。
仕事中、お客様と会話する際、
中腰の姿勢を維持していたが、
その体勢を解いて直立した際、
背筋が弱っていたことを痛感した。
ショックだった。以前はそんなこと
なかったのに・・・。
お客様のもとから立ち去る際、
背筋を伸ばせず、よぼよぼな
歩き方だった。
なんたること・・・。本当にショックだった。
足腰と背筋が弱っている。
最近の稽古状況も考慮し、
遅くに昼食をとって夕食に向け
空腹になりたかったので、まずは走った。
背筋運動も必要だと思っているが・・・。
腹筋も・・・。先日のカラオケの「惨状」も
考えると。
それにしても、なぜだろう。素振りは継続
しているのに、普段の仕事も大きな変化が
あった訳でないのに、全身の筋力が衰えている。
どうせ、やるなら、歳をとっても継続できることを
やっていきたい。
例えば、腹筋100回を90歳になってもできる気が
しない。
ならば、30回でもいいから、毎日続けられることを
やって、自分の理想とする姿に近づきたい。
けなも
素振りもしました。
仕事中、お客様と会話する際、
中腰の姿勢を維持していたが、
その体勢を解いて直立した際、
背筋が弱っていたことを痛感した。
ショックだった。以前はそんなこと
なかったのに・・・。
お客様のもとから立ち去る際、
背筋を伸ばせず、よぼよぼな
歩き方だった。
なんたること・・・。本当にショックだった。
足腰と背筋が弱っている。
最近の稽古状況も考慮し、
遅くに昼食をとって夕食に向け
空腹になりたかったので、まずは走った。
背筋運動も必要だと思っているが・・・。
腹筋も・・・。先日のカラオケの「惨状」も
考えると。
それにしても、なぜだろう。素振りは継続
しているのに、普段の仕事も大きな変化が
あった訳でないのに、全身の筋力が衰えている。
どうせ、やるなら、歳をとっても継続できることを
やっていきたい。
例えば、腹筋100回を90歳になってもできる気が
しない。
ならば、30回でもいいから、毎日続けられることを
やって、自分の理想とする姿に近づきたい。
けなも
6/30(日)の稽古にて思ったこと
10時開始の稽古に向けて起きたのは9時10分頃。
急いでご飯を食べて、いつもはバスで向かうのを
自家用車で向かった。駐車場は歩いて7分離れた
区役所の駐車場を利用できる。
一度、防具を道場に置き自家用車を駐車場に置き
その後、駐車場から走って道場に向かった。
【思ったこと1】
・わずかな距離にもかかわらず、疲れた。
足腰の鍛錬が足りない、やや激しい運動に、
息が上がっている。よくない。
道場に到着すると、早速着替えたが、もう10時。
稽古は始まった。
なんとかギリギリに最初の切り返しに交ざれた。
が、何かしっくり来ない。地に足がつかないとは
違って、でも、ふわふわして、気が溜まってない
状態とでも言おうか。
そして、切り返しも、面打ちも、騙し騙しやっている
そんな感じ。正確に打っていないけど、でも、
「意識的に」気にしないでやっている感じ。
10時30分から地稽古。
せっかく八段の先生にお願いしたのに・・・。
前回のお褒めの御言葉を頂いたから、いい恰好
したかったけど、足もベタベタしている感じ。
稽古途中で、息が上がるというか、「ツライな」と
感じている。
稽古不足?そりゃそうだけど、いつもと違う。
【思ったこと2】
・規則正しい生活をし、やはり素振りも、やるべき時は
やらねば。
実は前日、外での素振りをしなかった。個人的な事情から
室内で素振りした。が、結局、楽をしてしまったように思う。
仮に、楽でなかったとしても、後ろめたさが残ったことは
事実。
また、生活も乱れた。規則正しく寝れば良かったのに、
土曜の夜ということで、気が緩んだ部分はあった。
それに、上述の通り急いで朝食をとったこともあり、
精神的にも焦っていたと思う。
特に、駐車場から道場まで走った際、感じた疲れも
あった。やはり普段から走るべきかな・・・。
八段の先生に、また褒められたいと思っていたのに、
残念な状態で稽古に臨んだこと。そのことがショックで
是非、ブログに残して、今後の自分の剣道にとって、
戒めとしたい。
話は、まったく逸れるが、この時期インターハイに向けて
全国各地で、都道府県予選が行われている。
個人的に応援していた選手、(ネット等で公になっている
ので名前を掲載させて頂くが)東福岡、勇大地選手が、
個人戦で、どうやらインターハイには出場できなかった
模様(http://www.fk-kendo.jp/seiseki/kensougo/h25_0601/h25_0601.html
※2013年7月2日時点「福岡県高体連剣道専門部」)
団体戦はインターハイ出場できるようなので、
是非団体戦では優勝を目指してがんばって欲しい。
ご本人とは直接面識は無いが文字通り陰ながら
応援している。ご本人の理想とする将来像に向かっても
是非、がんばって欲しい。
ということで、私も、理想とする自分の姿に少しでも近づけるよう努力したい。
けなも
急いでご飯を食べて、いつもはバスで向かうのを
自家用車で向かった。駐車場は歩いて7分離れた
区役所の駐車場を利用できる。
一度、防具を道場に置き自家用車を駐車場に置き
その後、駐車場から走って道場に向かった。
【思ったこと1】
・わずかな距離にもかかわらず、疲れた。
足腰の鍛錬が足りない、やや激しい運動に、
息が上がっている。よくない。
道場に到着すると、早速着替えたが、もう10時。
稽古は始まった。
なんとかギリギリに最初の切り返しに交ざれた。
が、何かしっくり来ない。地に足がつかないとは
違って、でも、ふわふわして、気が溜まってない
状態とでも言おうか。
そして、切り返しも、面打ちも、騙し騙しやっている
そんな感じ。正確に打っていないけど、でも、
「意識的に」気にしないでやっている感じ。
10時30分から地稽古。
せっかく八段の先生にお願いしたのに・・・。
前回のお褒めの御言葉を頂いたから、いい恰好
したかったけど、足もベタベタしている感じ。
稽古途中で、息が上がるというか、「ツライな」と
感じている。
稽古不足?そりゃそうだけど、いつもと違う。
【思ったこと2】
・規則正しい生活をし、やはり素振りも、やるべき時は
やらねば。
実は前日、外での素振りをしなかった。個人的な事情から
室内で素振りした。が、結局、楽をしてしまったように思う。
仮に、楽でなかったとしても、後ろめたさが残ったことは
事実。
また、生活も乱れた。規則正しく寝れば良かったのに、
土曜の夜ということで、気が緩んだ部分はあった。
それに、上述の通り急いで朝食をとったこともあり、
精神的にも焦っていたと思う。
特に、駐車場から道場まで走った際、感じた疲れも
あった。やはり普段から走るべきかな・・・。
八段の先生に、また褒められたいと思っていたのに、
残念な状態で稽古に臨んだこと。そのことがショックで
是非、ブログに残して、今後の自分の剣道にとって、
戒めとしたい。
話は、まったく逸れるが、この時期インターハイに向けて
全国各地で、都道府県予選が行われている。
個人的に応援していた選手、(ネット等で公になっている
ので名前を掲載させて頂くが)東福岡、勇大地選手が、
個人戦で、どうやらインターハイには出場できなかった
模様(http://www.fk-kendo.jp/seiseki/kensougo/h25_0601/h25_0601.html
※2013年7月2日時点「福岡県高体連剣道専門部」)
団体戦はインターハイ出場できるようなので、
是非団体戦では優勝を目指してがんばって欲しい。
ご本人とは直接面識は無いが文字通り陰ながら
応援している。ご本人の理想とする将来像に向かっても
是非、がんばって欲しい。
ということで、私も、理想とする自分の姿に少しでも近づけるよう努力したい。
けなも
2013年6月29日土曜日
大阪でも素振り
6月24日
出張で大阪へ。
12時10分東京発の新幹線。14時43分新大阪へ到着。
持ち物は、PCや書類が入ったカバン、着替えを入れたバッグ、
そして、
木刀
ほ
そもそも、2011年秋、鹿児島への出張時、3泊4日となるので、
素振りをしない日が続くのを避けたかったので、誰にも内緒で
木刀を持参したのが始まりだった。
誰にも内緒だったが、まず寝坊して乗りたかった飛行機に乗れず。
仕事上は、大きな問題は無い程度の遅れだったが、余裕が無くなった
のは事実。
鹿児島に到着したら、まずは宿泊先に木刀、荷物を置いて仕事場に
向かう予定だった。
が、時間的な余裕が無かったことから、これまたこっそり、仕事場である
あるイベントの設営場に向かった。本イベントの前日だったが。
甘かった。
私が担当しているお客様も前日入りしていて、お客様から私の携帯に
連絡が入り、飲みに誘われた。お待たせする訳にもいかず、設営場から
一度宿泊先に戻る余裕は無く、荷物一式を持って駆け付けた。
もちろん、木刀も持参・・・。
それからは、出張に木刀を持ってきた営業マンとしてお客様に話題にされ、
職場でも話題になってしまった。
で、今回の大阪出張は、事前に私が木刀を持参することを、私の上司が
大阪のお客様に伝えており、「期待」に応える為、木刀を持って行くことが、
むしろ条件となってしまった。
長くなったが、今後のどの出張にも木刀は持って行くのだろう。
いつか、全国制覇してしまうのか。
お客様には持参したことは披露。その場で振ることはなかったが。
お客様との懇親会の後、宿泊先に戻り、せっかく大阪に来たのだからと、
満腹感は無視してお好み焼き屋に行った。
「ひろかずや」のねぎ焼。
扇町公園という所で、素振り。
疲れました・・・。
次の日、午前中に東京へ向けて新大阪発。
東京駅で昼食。蕎麦食べました。
見る人には驚かれます。
握り方、正しくないのかな。
そうそう、今使っている小手もあちこち穴が開いてきていて、
そもそもスペアを持っていなかったので、前から気になっていた
小手を購入してみました。ありがたくもボーナスも頂けましたので、
思い切って。
正しく強い剣道でありたい。正しい剣道で試合でも勝ちたい。
けなも
出張で大阪へ。
12時10分東京発の新幹線。14時43分新大阪へ到着。
持ち物は、PCや書類が入ったカバン、着替えを入れたバッグ、
そして、
木刀
ほ
そもそも、2011年秋、鹿児島への出張時、3泊4日となるので、
素振りをしない日が続くのを避けたかったので、誰にも内緒で
木刀を持参したのが始まりだった。
誰にも内緒だったが、まず寝坊して乗りたかった飛行機に乗れず。
仕事上は、大きな問題は無い程度の遅れだったが、余裕が無くなった
のは事実。
鹿児島に到着したら、まずは宿泊先に木刀、荷物を置いて仕事場に
向かう予定だった。
が、時間的な余裕が無かったことから、これまたこっそり、仕事場である
あるイベントの設営場に向かった。本イベントの前日だったが。
甘かった。
私が担当しているお客様も前日入りしていて、お客様から私の携帯に
連絡が入り、飲みに誘われた。お待たせする訳にもいかず、設営場から
一度宿泊先に戻る余裕は無く、荷物一式を持って駆け付けた。
もちろん、木刀も持参・・・。
それからは、出張に木刀を持ってきた営業マンとしてお客様に話題にされ、
職場でも話題になってしまった。
で、今回の大阪出張は、事前に私が木刀を持参することを、私の上司が
大阪のお客様に伝えており、「期待」に応える為、木刀を持って行くことが、
むしろ条件となってしまった。
長くなったが、今後のどの出張にも木刀は持って行くのだろう。
いつか、全国制覇してしまうのか。
お客様には持参したことは披露。その場で振ることはなかったが。
お客様との懇親会の後、宿泊先に戻り、せっかく大阪に来たのだからと、
満腹感は無視してお好み焼き屋に行った。
「ひろかずや」のねぎ焼。
この時点で、0時過ぎてたな・・・。
そして、近くの公園へ。
扇町公園という所で、素振り。
疲れました・・・。
次の日、午前中に東京へ向けて新大阪発。
東京駅で昼食。蕎麦食べました。
話は変わりますが、私の手のマメ。
どうなんでしょう。以前、剣道雑誌に八段の先生方の左手の写真が載ってましたが、
特にマメは無かったと思うんです。
といことは、つまり、八段の先生方はマメができないような握り方をしているのかなと
思うんです。
見る人には驚かれます。
握り方、正しくないのかな。
そうそう、今使っている小手もあちこち穴が開いてきていて、
そもそもスペアを持っていなかったので、前から気になっていた
小手を購入してみました。ありがたくもボーナスも頂けましたので、
思い切って。
正しく強い剣道でありたい。正しい剣道で試合でも勝ちたい。
けなも
2013年6月18日火曜日
6月中旬の剣道
って、本日も「中旬」なんだけどさ。
で、忘れないうちに書いておくと、
私、「蚊」が嫌いなんです。
夜外で素振りしていると(俺が悪いんだが(笑))、
蚊に刺される。
「当たり前体操~♬」
ただ、今の所、数か所しか刺されてない。
6月13日(木)
勤務開始間もない朝、突然の腹痛。昼にピーク。
会社医務室で1時間半ほど寝て、何とか夕方定時まで勤務するも、
帰宅後、すぐに療養。
この日は、色んなこと考えて、素振り辞めました。
「帰宅後素振りしてましたよ。」なんて、会社に報告入ったら、
1時間半ほど休んだことに「誤解」が生じかねないと思い。
他人が見ていない所でも、他人の誤解が生じない生き方をしたい。
6月14日(金)
私用あって、元々会社を休む予定だった。
何とかお腹は大丈夫だったけど、その私用が夜遅くまで続き、
色んなことを考慮し、素振り休んだ。
6月15日(土)
素振り200本はした。
ただ、実は5月から+100本している。
が、その日は割り切って、200本で留めた。
6月16日(日)
今年初のジョギング。その後、素振り。
6月17日(月)
通常通り、素振り。
順番は逆ですが、
6月9日(日)
街の道場で、教士八段K先生へ稽古をつけて頂く。
私の前までの方には、「互角」のような稽古だったが、
私には「打たせる」≦「引き出す」稽古。先生は全然打ってこない形。
正直、「『互角』に値しない、『初心者』相手としか見られてないんだな。」
(いや、実際、そうなんだが。八段の先生相手に、『互角』っぽいものを
求める方がおかしいんだが。)と、残念な気持ちで、同時に、割り切って、
面を打ちに行った。
構えた状態から、一本面に出た所を、先生は後ろにかわし、
連続で出た二本目の面を打たせる感じで、往復5回くらい?
最後、一本目に打たせる面を、往復1回。
稽古を終える。その最後の面を、八段の先生へ稽古を
お願いする列に並んでいた教士七段の先生が、
「今のはいい面だったよ。」と褒めて頂いた。
この先生が他の方を褒めるのは珍しい。
思わず(気さくに)「どう打ってたんですかね。」と聴いてしまった。
で、明確なお答えはなかったんですが・・・。
私なりに振り返ると、
八段の先生が打たせてくれると分かったタイミングに、
無理のない体勢で面に出た。特に大きく振りかぶった訳ではない。
刺し面に近かったと思う。
八段の先生も、稽古後、最後の面は良かったと。
何が良かったのか。
つまり、こういうことか。
「面に行ける。」という瞬間が、今回、意図的に作り出された訳だが、
そのタイミングに、自然体で打つということが出来たということか。
なので、実戦では、その「行ける」瞬間には、思い切って出ていけ、
でも、体勢は崩さずに、ということか。
ん~、何が良かったんだろ。
前回記述ブログで、何かつかんだ旨記述したけど、
実は、この部分だったんです。
ハッキリしてないんだけど、少なくとも、どうやら、
面の完成度をもっと上げることに、大きな意義がある気がしてきた。
それに近いことは、過去のブログで何度も書いてきましたが、
「良い面」とお相手に言われる一本を出せるように稽古していくことが、
何か大切に感じてきた。そこにつながる気がしている。
稽古後の八段は、こうもおっしゃった。
要約すると、小手面とか、あれこれ打つんでなく、
何より面一本を打てるようになれば怖いものない、
そういうお話だった。
ということで、そんな面を目指して、素振りをしようと思うのです。
まぁ、そもそも、そんなお話を頂ける迄になったのも、
普段の素振りの成果が一要因なのかもしれません。
素振りから始まり、素振りに戻る、そんな「好循環」が生まれると嬉しい。
関東実業団で感心した面のような面が打てるようになりたい。
もちろん、「あの面」をも超えてみたい。
けなも
で、忘れないうちに書いておくと、
私、「蚊」が嫌いなんです。
夜外で素振りしていると(俺が悪いんだが(笑))、
蚊に刺される。
「当たり前体操~♬」
ただ、今の所、数か所しか刺されてない。
6月13日(木)
勤務開始間もない朝、突然の腹痛。昼にピーク。
会社医務室で1時間半ほど寝て、何とか夕方定時まで勤務するも、
帰宅後、すぐに療養。
この日は、色んなこと考えて、素振り辞めました。
「帰宅後素振りしてましたよ。」なんて、会社に報告入ったら、
1時間半ほど休んだことに「誤解」が生じかねないと思い。
他人が見ていない所でも、他人の誤解が生じない生き方をしたい。
6月14日(金)
私用あって、元々会社を休む予定だった。
何とかお腹は大丈夫だったけど、その私用が夜遅くまで続き、
色んなことを考慮し、素振り休んだ。
6月15日(土)
素振り200本はした。
ただ、実は5月から+100本している。
が、その日は割り切って、200本で留めた。
6月16日(日)
今年初のジョギング。その後、素振り。
6月17日(月)
通常通り、素振り。
順番は逆ですが、
6月9日(日)
街の道場で、教士八段K先生へ稽古をつけて頂く。
私の前までの方には、「互角」のような稽古だったが、
私には「打たせる」≦「引き出す」稽古。先生は全然打ってこない形。
正直、「『互角』に値しない、『初心者』相手としか見られてないんだな。」
(いや、実際、そうなんだが。八段の先生相手に、『互角』っぽいものを
求める方がおかしいんだが。)と、残念な気持ちで、同時に、割り切って、
面を打ちに行った。
構えた状態から、一本面に出た所を、先生は後ろにかわし、
連続で出た二本目の面を打たせる感じで、往復5回くらい?
最後、一本目に打たせる面を、往復1回。
稽古を終える。その最後の面を、八段の先生へ稽古を
お願いする列に並んでいた教士七段の先生が、
「今のはいい面だったよ。」と褒めて頂いた。
この先生が他の方を褒めるのは珍しい。
思わず(気さくに)「どう打ってたんですかね。」と聴いてしまった。
で、明確なお答えはなかったんですが・・・。
私なりに振り返ると、
八段の先生が打たせてくれると分かったタイミングに、
無理のない体勢で面に出た。特に大きく振りかぶった訳ではない。
刺し面に近かったと思う。
八段の先生も、稽古後、最後の面は良かったと。
何が良かったのか。
つまり、こういうことか。
「面に行ける。」という瞬間が、今回、意図的に作り出された訳だが、
そのタイミングに、自然体で打つということが出来たということか。
なので、実戦では、その「行ける」瞬間には、思い切って出ていけ、
でも、体勢は崩さずに、ということか。
ん~、何が良かったんだろ。
前回記述ブログで、何かつかんだ旨記述したけど、
実は、この部分だったんです。
ハッキリしてないんだけど、少なくとも、どうやら、
面の完成度をもっと上げることに、大きな意義がある気がしてきた。
それに近いことは、過去のブログで何度も書いてきましたが、
「良い面」とお相手に言われる一本を出せるように稽古していくことが、
何か大切に感じてきた。そこにつながる気がしている。
稽古後の八段は、こうもおっしゃった。
要約すると、小手面とか、あれこれ打つんでなく、
何より面一本を打てるようになれば怖いものない、
そういうお話だった。
ということで、そんな面を目指して、素振りをしようと思うのです。
まぁ、そもそも、そんなお話を頂ける迄になったのも、
普段の素振りの成果が一要因なのかもしれません。
素振りから始まり、素振りに戻る、そんな「好循環」が生まれると嬉しい。
関東実業団で感心した面のような面が打てるようになりたい。
もちろん、「あの面」をも超えてみたい。
けなも
6月2日関東実業団剣道大会
まず、6月2日関東実業団剣道大会に
補欠
として参加しました(おーい)。
会社の選考に参加できなかった。
そりゃそうか。4月は特にまともに剣道できなかったし、
会社のメンバーにPRできる場なんて、なかなか無い。
何より、会社の選考に対して、挑戦する気持ちが足りない。
負けるのが怖いという気持ちがある。
でも、何も挑戦しないのも不健全だ。
「稽古」にて精進すべき身としては。
それはそれで、
ただ、会社の稽古場へ行くのも2時間程度かかるのも事実で、
費用はもちろんだが、移動時間が私生活にも意外に負担となっている。
とは言え、少し気持ちを変えないと。
できることからコツコツと。もう少し会社の稽古にも参加する工夫をしないと。
で、
関東実業団剣道大会ですが、
我が社、一回戦負け・・・。
出場してないので、何とも言えないのですが、
もっと稽古して、強くなって、試合で勝ちたい。
今、なんとなく、その為の、一つの手がかりを得ようとしている予感がしている。
後投稿にその点は譲るとして、
今回の関東実業団大会では、
やはり強い選手は、強い。どうやったらあんな剣道ができるんだろう、って
感心した。個人名は挙げないけど、あんな面を打ってみたいと思った。
あの面(って書いたって分かんないですよね)を、打ちたい時に打てるまでになりたい。
そう思った。
んー、面だ。
さて、我が社に目を向けると、
大将さすが、唯一の白星だったけど、勝ち方は強かった。
副将、今回は負けたけど、彼には「勝ち」が似合う。そこがカッコいい。がんばって欲しい。
全日本には間に合うかな、どうだろ。今の私の剣道。
「挑戦」、その気持ちをもって、少しづつ変化を起こしてみたい。
けなも
補欠
として参加しました(おーい)。
会社の選考に参加できなかった。
そりゃそうか。4月は特にまともに剣道できなかったし、
会社のメンバーにPRできる場なんて、なかなか無い。
何より、会社の選考に対して、挑戦する気持ちが足りない。
負けるのが怖いという気持ちがある。
でも、何も挑戦しないのも不健全だ。
「稽古」にて精進すべき身としては。
それはそれで、
ただ、会社の稽古場へ行くのも2時間程度かかるのも事実で、
費用はもちろんだが、移動時間が私生活にも意外に負担となっている。
とは言え、少し気持ちを変えないと。
できることからコツコツと。もう少し会社の稽古にも参加する工夫をしないと。
で、
関東実業団剣道大会ですが、
我が社、一回戦負け・・・。
出場してないので、何とも言えないのですが、
もっと稽古して、強くなって、試合で勝ちたい。
今、なんとなく、その為の、一つの手がかりを得ようとしている予感がしている。
後投稿にその点は譲るとして、
今回の関東実業団大会では、
やはり強い選手は、強い。どうやったらあんな剣道ができるんだろう、って
感心した。個人名は挙げないけど、あんな面を打ってみたいと思った。
あの面(って書いたって分かんないですよね)を、打ちたい時に打てるまでになりたい。
そう思った。
んー、面だ。
さて、我が社に目を向けると、
大将さすが、唯一の白星だったけど、勝ち方は強かった。
副将、今回は負けたけど、彼には「勝ち」が似合う。そこがカッコいい。がんばって欲しい。
全日本には間に合うかな、どうだろ。今の私の剣道。
「挑戦」、その気持ちをもって、少しづつ変化を起こしてみたい。
けなも
2013年6月9日日曜日
6月上旬の剣道
月報だっちゅうーの。
すみません。あれこれやってると、あっという間に次の月を迎えます。
ランダムに記載します。
6月1日親戚の結婚式があり、札幌まで行きました。
本当は防具を持って行き稽古もどこかでできないか
考えていたんですが、諦めました。
ただ、木刀は持って行きました。
日課ですから。
実際、移動開始は前日の5月31日。
初の札幌。せっかくですから、札幌に行ったのなら、
そこでしかできないことを!
とすると、やはり、札幌ラーメン!!!
宿泊先のホテルの方に聞いたら、「一幻」が有名とか。
早速行きました!
すすきの駅から歩いて、歩いて・・・、おいおい、結構歩いたよ。20分くらい?
30分くらい?途中迷って道聞いたから?
それにしても、「すすきの」って有名な飲食街とは聞いてたけど、
昼間行ったわけだけど、なんか、そんな雰囲気が昼間から出てたように
感じました。
で、「一幻」に行ってきました。上の写真がそこのラーメン。
ごちそうさまでした。
それを食べて、結局、歩いて札幌駅方面へ。15時頃?
せっかく札幌に来たんだから・・・、と何と一人カラオケへ行きました。
1時間程。どうも、腹筋が弱ってたことを痛感して残念な気分でカラオケを
終えました・・・。
で、改めて札幌駅へ。
時計台にも行ってきましたよ。
途中でふと思い、札幌にある武道具店を検索。
そして、武道具店へ。これまた歩きました。30~40分くらい?
武道具店によっては、商品があちこちへ置かれてたりしますが、
きれいに置かれてました。
で、お店の方に「近くに道場があるか」お聞きした所、そのお店の目の前にある
中央体育館で土日朝6時から一般の方向けに稽古会をやっているとのこと。
あー、防具持ってくるべきだったー、と時間が経つ毎に、その思いが強くなりました。
中央体育館にも寄って、未練を残しながら、改めて札幌駅へ向かいました。
もう18時をまわってました。
ホテルへ戻り、ちょっと一眠り・・・
しまった!
目が覚めたら深夜2時30分。
俺は札幌に何しに来た!(結婚式に参加だっちゅうーの。)
滅多に来ない札幌。
何と思い切って、その時間帯に開いているラーメン屋を探し、
タクシーでぶっ放し、ラーメン!
五丈原。大盛りを注文。
しかし、後悔してます。
起きて30分以内に、味噌ラーメン大盛りとは。しかも、夜中。
体に悪いっつーの。それに、タクシー使いやがって!お金無いのに!
結局、そんな思いで、改めて札幌駅方面へ歩いて。トボトボ。
途中で、すすきのの繁華街を通る。いやー、タクシーが沢山、大通りにならんでる。
こんな光景初めて見た、と言っても過言ではない。人も沢山。
みんな何やってんの?寝てないの?
会社の同僚からは噂で聞いてたけど、そういう街なんですね。
ちなみに、私は、いわゆる、そういう夜の街で遊んだことは無いんです。
一度も。興味はあるんですけど、何て言うか。
お酒はそんなに好きじゃないし、夜は寝たい人だし、
女性に関しては一途、一筋なんです。
そういう生き方のデメリットは、やはり限られた社会しか知らないと言う事。
でも、メリットは、相応にあると感じてます。
さて、3時にラーメン屋で食べて、15分後くらいに出て、すすきのの街を抜けて、
いわゆる「大通り」へ。時間は4時近く。空は薄暗くなり始めてました。
はい!ここで、剣道です!
(やはり、そうこなくっちゃ)
ここで、いつもの素振りしました。
(そうそう、木刀持ってラーメン屋行き、すすきの歩いてました。)
4時20分~30分くらいまで素振りして、改めて札幌駅へ。
そして、ホテルへ。風呂入って寝ました。
無事朝予定通り起きて、親戚結婚式へ。
長く書きすぎました。また改めて書きます。
けなも
すみません。あれこれやってると、あっという間に次の月を迎えます。
ランダムに記載します。
6月1日親戚の結婚式があり、札幌まで行きました。
本当は防具を持って行き稽古もどこかでできないか
考えていたんですが、諦めました。
ただ、木刀は持って行きました。
日課ですから。
実際、移動開始は前日の5月31日。
初の札幌。せっかくですから、札幌に行ったのなら、
そこでしかできないことを!
とすると、やはり、札幌ラーメン!!!
宿泊先のホテルの方に聞いたら、「一幻」が有名とか。
早速行きました!
すすきの駅から歩いて、歩いて・・・、おいおい、結構歩いたよ。20分くらい?
30分くらい?途中迷って道聞いたから?
それにしても、「すすきの」って有名な飲食街とは聞いてたけど、
昼間行ったわけだけど、なんか、そんな雰囲気が昼間から出てたように
感じました。
で、「一幻」に行ってきました。上の写真がそこのラーメン。
ごちそうさまでした。
それを食べて、結局、歩いて札幌駅方面へ。15時頃?
せっかく札幌に来たんだから・・・、と何と一人カラオケへ行きました。
1時間程。どうも、腹筋が弱ってたことを痛感して残念な気分でカラオケを
終えました・・・。
で、改めて札幌駅へ。
時計台にも行ってきましたよ。
途中でふと思い、札幌にある武道具店を検索。
そして、武道具店へ。これまた歩きました。30~40分くらい?
武道具店によっては、商品があちこちへ置かれてたりしますが、
きれいに置かれてました。
で、お店の方に「近くに道場があるか」お聞きした所、そのお店の目の前にある
中央体育館で土日朝6時から一般の方向けに稽古会をやっているとのこと。
あー、防具持ってくるべきだったー、と時間が経つ毎に、その思いが強くなりました。
中央体育館にも寄って、未練を残しながら、改めて札幌駅へ向かいました。
もう18時をまわってました。
ホテルへ戻り、ちょっと一眠り・・・
しまった!
目が覚めたら深夜2時30分。
俺は札幌に何しに来た!(結婚式に参加だっちゅうーの。)
滅多に来ない札幌。
何と思い切って、その時間帯に開いているラーメン屋を探し、
タクシーでぶっ放し、ラーメン!
五丈原。大盛りを注文。
しかし、後悔してます。
起きて30分以内に、味噌ラーメン大盛りとは。しかも、夜中。
体に悪いっつーの。それに、タクシー使いやがって!お金無いのに!
結局、そんな思いで、改めて札幌駅方面へ歩いて。トボトボ。
途中で、すすきのの繁華街を通る。いやー、タクシーが沢山、大通りにならんでる。
こんな光景初めて見た、と言っても過言ではない。人も沢山。
みんな何やってんの?寝てないの?
会社の同僚からは噂で聞いてたけど、そういう街なんですね。
ちなみに、私は、いわゆる、そういう夜の街で遊んだことは無いんです。
一度も。興味はあるんですけど、何て言うか。
お酒はそんなに好きじゃないし、夜は寝たい人だし、
女性に関しては一途、一筋なんです。
そういう生き方のデメリットは、やはり限られた社会しか知らないと言う事。
でも、メリットは、相応にあると感じてます。
さて、3時にラーメン屋で食べて、15分後くらいに出て、すすきのの街を抜けて、
いわゆる「大通り」へ。時間は4時近く。空は薄暗くなり始めてました。
はい!ここで、剣道です!
(やはり、そうこなくっちゃ)
ここで、いつもの素振りしました。
(そうそう、木刀持ってラーメン屋行き、すすきの歩いてました。)
4時20分~30分くらいまで素振りして、改めて札幌駅へ。
そして、ホテルへ。風呂入って寝ました。
無事朝予定通り起きて、親戚結婚式へ。
長く書きすぎました。また改めて書きます。
けなも
2013年5月8日水曜日
5/3試合を振り返り。なぜ一本にできなかったのか。
勝って喜んだり、入賞して嬉しかったり…。
それで終わらせてはいけない。
5/3の反省点はもちろんだが、負けた試合を
きちんと振り返らないと。
なぜ負けたか。
なぜ一本取られたのか。
なぜ一本にできなかったのか。
なぜ一本取られたのかに関しては、
まだきちんと分析できてない。
簡単に言うと、相手の面を受けようと手元を上げた。
その際、相手は面を打たず、一瞬間を開け、
両者「間」があった瞬間(私が手元を上げている所)を、
巧みに引き面を取られた。
ただ、きちんと分析したい点だが、
相手の「面が来る。」と分かった瞬間だった。
敢えて体を動かして防がなかった。なぜだろう。
直感というか、その時の率直な思いとしては、
「取られるとしたらここだ。」ということ。
勝つことに諦めてた?分からない。
ただ、少なくとも先日の反省点にも書いたが、
体が重かった。勝ちに執念を抱いていたら、きっと防げた。
しかし、そこまでの気持ちが起きなかった。
なぜだ。
なぜだ。
なぜだ。
2回先生方に勝ったことに満足した?
これ以上良いパフォーマンスを発揮できない(程体力がもたない)と
いう自覚があった?
実は、週1~2回通っている道場の地稽古でも似たような瞬間が
いくつもある。
それは…
やはり体力が追い付かず諦めている、に近いな。
つまり、
つまり、
楽をしているということか。
苦しくても最後まで諦めない気持ちで相手に向かっているか。
そこが足りないのか。
つまり、そういうことなんじゃないかと、書いてて思う。
仮にそうだとすると、歓迎すべきことじゃない。
いや、むしろ、剣道修行において、いや人生において
辛い時に、苦しい時に「楽になりたい」と思っても、
楽しちゃいけない。
自分が辛い時は相手も辛い時。
そこで踏ん張れるか、踏ん張れないか。
そういうことではないだろうか。
「なぜ一本取られたのかに関しては、
まだきちんと分析できてない。
簡単に言うと」と書いておきながら、ツラツラ書いてしまった。
ブログでは一旦ここまでにするが、考えねば。
何となくそんな気がする。
「なぜ一本取られたのか。
なぜ一本にできなかったのか。」
後者。
以下は、3回戦。お相手の先生との試合。ある瞬間。
本当に一瞬です。
私が左。お相手の先生が右。
話逸れますが、このブログ始まって以来、
初めて剣道の画像を貼り付けるという…。
今まで文字だけで(画像と言えば、広島の
宮島剣道大会参加記念の野球・カープ写真と言う(笑)2011.10.12ブログ)
さて、私が相手の面を打っていて、お相手の先生は小手を狙って
外れているという瞬間です。
一本になりませんでした。
非常にもったいない場面です。お相手の先生は非常にお強いと聞いておりました。
もし勝ち・負けに拘る立場に立つ方なら、こんな機会は滅多に無い。
こんな機会を私は逃したのです!
いや、試合の勝ち・負け以上に、
真剣勝負なら、なおさら。生きるか否かがかかるその瞬間です。
私はモノにできなかったのです。
検証「なぜ一本にできなかったのか。」
下手な検証をするより、ここでこそ、『剣道試合審判規則』から、
「1編 試合」「第2章 試合」「第2節 有効打突」「第12条」より
「有効打突は、充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で
打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする。」
(参考 全日本剣道連盟HP:http://old.kendo.or.jp/kendo/rules/rule1.html)
まず
充実した気勢があったか。
厳しく言えば、この面に限らず、開始時から腹から充分な発生が
出来てなかったと思っている。この試合に限らずだが。また、試合を
重ねる度に気合が弱々しくなっていると、ビデオを見て振り返っている。
次に、
適正な姿勢だったか。
まぁ、一流剣士は、たとえ一瞬であろうがなかろうが、
画像のような姿勢にはならんだろうなぁ(笑)。
背中が丸まっている感じがする。
どうせ求めるなら、より美しい姿勢・打突でありたい。
反省点としては、腹から・腰から打突しているかということか。
攻め足の右足をより積極的に使い、打突しているか。
素振りから見直さねば。
さて、
竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突しているか。
まぁ、打突した時のことは覚えてないので(打ったと自覚した瞬間はあったが)
写真にて検証するしかなく、
まぁ、あまーーーーく見て、
んーーーーーーー
まぁ、「竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突」してないと
言う程のエビデンスを得られず…、
一旦、保留。
最後、残心あったか。
クセだけど、万歳するね。その後、相手見て中段に構えたけど(外見上)
内面として、相手にいつでも向かえる気持ちになってたか。
一本にならなかったことに多少なりとも気持ちを奪われてなかったか。
ということで、有効打突でなかったということだろうか。
長い。いつもすみません。
「なぜ一本にできなかったのか。」より以前に、
なぜ一本取れなったのか。
有効打突を打てる実力が無い、
それも、どんな時でも、どんな相手でも、
ということであり、つまり、稽古不足ということだ。
本日も200本済。
けなも
それで終わらせてはいけない。
5/3の反省点はもちろんだが、負けた試合を
きちんと振り返らないと。
なぜ負けたか。
なぜ一本取られたのか。
なぜ一本にできなかったのか。
なぜ一本取られたのかに関しては、
まだきちんと分析できてない。
簡単に言うと、相手の面を受けようと手元を上げた。
その際、相手は面を打たず、一瞬間を開け、
両者「間」があった瞬間(私が手元を上げている所)を、
巧みに引き面を取られた。
ただ、きちんと分析したい点だが、
相手の「面が来る。」と分かった瞬間だった。
敢えて体を動かして防がなかった。なぜだろう。
直感というか、その時の率直な思いとしては、
「取られるとしたらここだ。」ということ。
勝つことに諦めてた?分からない。
ただ、少なくとも先日の反省点にも書いたが、
体が重かった。勝ちに執念を抱いていたら、きっと防げた。
しかし、そこまでの気持ちが起きなかった。
なぜだ。
なぜだ。
なぜだ。
2回先生方に勝ったことに満足した?
これ以上良いパフォーマンスを発揮できない(程体力がもたない)と
いう自覚があった?
実は、週1~2回通っている道場の地稽古でも似たような瞬間が
いくつもある。
それは…
やはり体力が追い付かず諦めている、に近いな。
つまり、
つまり、
楽をしているということか。
苦しくても最後まで諦めない気持ちで相手に向かっているか。
そこが足りないのか。
つまり、そういうことなんじゃないかと、書いてて思う。
仮にそうだとすると、歓迎すべきことじゃない。
いや、むしろ、剣道修行において、いや人生において
辛い時に、苦しい時に「楽になりたい」と思っても、
楽しちゃいけない。
自分が辛い時は相手も辛い時。
そこで踏ん張れるか、踏ん張れないか。
そういうことではないだろうか。
「なぜ一本取られたのかに関しては、
まだきちんと分析できてない。
簡単に言うと」と書いておきながら、ツラツラ書いてしまった。
ブログでは一旦ここまでにするが、考えねば。
何となくそんな気がする。
「なぜ一本取られたのか。
なぜ一本にできなかったのか。」
後者。
以下は、3回戦。お相手の先生との試合。ある瞬間。
本当に一瞬です。
私が左。お相手の先生が右。
話逸れますが、このブログ始まって以来、
初めて剣道の画像を貼り付けるという…。
今まで文字だけで(画像と言えば、広島の
宮島剣道大会参加記念の野球・カープ写真と言う(笑)2011.10.12ブログ)
さて、私が相手の面を打っていて、お相手の先生は小手を狙って
外れているという瞬間です。
一本になりませんでした。
非常にもったいない場面です。お相手の先生は非常にお強いと聞いておりました。
もし勝ち・負けに拘る立場に立つ方なら、こんな機会は滅多に無い。
こんな機会を私は逃したのです!
いや、試合の勝ち・負け以上に、
真剣勝負なら、なおさら。生きるか否かがかかるその瞬間です。
私はモノにできなかったのです。
検証「なぜ一本にできなかったのか。」
下手な検証をするより、ここでこそ、『剣道試合審判規則』から、
「1編 試合」「第2章 試合」「第2節 有効打突」「第12条」より
「有効打突は、充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で
打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする。」
(参考 全日本剣道連盟HP:http://old.kendo.or.jp/kendo/rules/rule1.html)
まず
充実した気勢があったか。
厳しく言えば、この面に限らず、開始時から腹から充分な発生が
出来てなかったと思っている。この試合に限らずだが。また、試合を
重ねる度に気合が弱々しくなっていると、ビデオを見て振り返っている。
次に、
適正な姿勢だったか。
まぁ、一流剣士は、たとえ一瞬であろうがなかろうが、
画像のような姿勢にはならんだろうなぁ(笑)。
背中が丸まっている感じがする。
どうせ求めるなら、より美しい姿勢・打突でありたい。
反省点としては、腹から・腰から打突しているかということか。
攻め足の右足をより積極的に使い、打突しているか。
素振りから見直さねば。
さて、
竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突しているか。
まぁ、打突した時のことは覚えてないので(打ったと自覚した瞬間はあったが)
写真にて検証するしかなく、
まぁ、あまーーーーく見て、
んーーーーーーー
まぁ、「竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突」してないと
言う程のエビデンスを得られず…、
一旦、保留。
最後、残心あったか。
クセだけど、万歳するね。その後、相手見て中段に構えたけど(外見上)
内面として、相手にいつでも向かえる気持ちになってたか。
一本にならなかったことに多少なりとも気持ちを奪われてなかったか。
ということで、有効打突でなかったということだろうか。
長い。いつもすみません。
「なぜ一本にできなかったのか。」より以前に、
なぜ一本取れなったのか。
有効打突を打てる実力が無い、
それも、どんな時でも、どんな相手でも、
ということであり、つまり、稽古不足ということだ。
本日も200本済。
けなも
2013年5月4日土曜日
地元の試合に出場
4/29(月)深夜バスに揺られながら東北の実家へ…。
と一言でまとめてしまったのですが、さすがにG.W.期間中は、
直前のバス予約をしようとしても出来るはずもなく、つまり、
既に満席の為、実家への直通バスは利用できませんでした。
代わりに、まずは深夜バスで仙台まで行って、その後実家の最寄駅まで
電車で向かうという、遠回りな手段を使い移動しました。
新幹線使いたかったんだけど、そんなお金に余裕が無く(泣!)
「深夜バス+遠回り手段」の方がまだ新幹線より安いっていう。
どうせ新幹線代とくらべても数千円の差なのに、その数千円を
余らせるか、費やすかで家族の機嫌が変わるという何とも不条理な!(泣)
ということで、新幹線なら数時間で着く所を、深夜バス+遠回り手段によって
12時間かけて帰省しました(ハハハのハ…)。
思いついたこと、感じたこと、見たもの聞いたことを、ザーッと述べていきます!
深夜バスの隣の席が女性だった!過去隣が女性だった記憶は無い。
そんなこともあるんですね。バス会社にもよるのかな。意外で印象強かったので、
書きました。
仙台には4/30(火)5時頃着いたのですが静か・穏やかでした(早朝ですからー!)。
仙台駅近くにBiViっていうショッピングモールあるんですけど、朝5時でも営業
している「半田屋」で飯食いました。いつもは「飯の半田屋」と名前を覚えてたんだけど
「半田屋」が正しい名称なのかな。カレー、かけそば、納豆、白身フライを食べました。
実は、私が予備校時代にも「飯の半田屋」にはお世話になってて、懐かしくてつい
寄ってしまいました。ちなみに、私がお世話になってた「飯の半田屋」は、駅から歩いて
20分程の所に当時はあって、その隣には頻繁に利用する銭湯があって、見慣れた風景
ということもあり、「飯の半田屋」には親近感あるし、お世話になった所なんだな。
従業員の方も清潔感あって、24時間営業店は、そういう所が重要だと今回も思いました。
24時間、店を開きっぱなしだと、どこか室内が汚れてそうで食欲が落ちそうな先入観が
ありますが、半田屋は違うんだな。素敵なお姉さま達です。
さて、深夜バスはほぼ眠れず(『Empowerment』聴いてた訳ですが)仙台から実家へ
向かう電車で眠れるかなーと思いましたが、何とか少しだけ眠りました。
それにしても、実家へ近づくにつれ、寒い!
東京出る時は厚着していくべきか悩みましたが、厚着で正解だった。
ちなみに、先に言っておくと、G.W.期間中実家の地域は全日雨!
しかも全日10℃以下!サブッッッ!!!(北海道では連日雪だったみたいだね。)
さて、何とか実家には10時頃には着いて…熟睡。
(俺は何しに実家に行ったんだ!)
いやいや、ここから剣道の話ですよ。
東京から実家へは重い防具と、素振り用木刀+竹刀3本携えて移動。
(だから重かったよ~(泣))
で、夕方地元の高校で稽古!部員少な!1年~3年合わせて十何人?
俺の代では、同期女性(一学年)だけで十何人いたよ!
武道必修化が奏功して、部員が増える日が来るのでしょうか。
さて、4/30、5/1、5/2の各々夕方稽古しました。
(みんな、ありがとう!)
で、5/3(金)地元の試合(個人戦)に出場。
結果から言うと、3位。
久しぶりの、久しぶりの、久しぶりのー!3位入賞!
入賞すんの、ほんと何年ぶり?高校の地区大会優勝以来?
としたら、15年ぶり?
ほ ・ ん ・ と ・ かー!!!
どんなに小さな試合でも入賞すると嬉しいもんです。
と、今の私は思う。
でも、絶対忘れてはいけない事。
私は今回よそ者として特別に試合に出場させて頂いた。
その試合の為に、審判、係員等担当されている先生方が数多くいらっしゃる。
私は、そのような運営側とは一線を画し、今回自分のペースで試合に参加した。
だから、余計な気づかれ等は無い状態だった。
そんな中での入賞の重み・位置づけをよくよく考えるべき。
入賞したことは嬉しい事。でも、その嬉しいと感じる「舞台」を用意して頂いている
ということを絶対忘れてはいけない。
また、私の一回戦の先生は、運営側の責任重い方のお一人。審判もこなし、
余裕もなく面をつけて私との試合に臨まれた。充分に気を落ち着かせることも
無かっただろうと推測される。
また、私の二回戦の先生も(その試合は小中高の試合も行われるのだが)、
生徒に指導をされながら試合観戦を朝より続け、夕方近い試合に臨まれた
ということを、私は決して忘れてはいけない。
その意味で、私はある意味勝って当たり前の環境に置かれただけであって、
先生方はとても不利な状況で試合に臨まれたということを、私は、忘れては
決していけない。
「たまたま勝たせて頂いた」本当にそれだけだ。
その上で、一回戦は面一本。二回戦は面二本を取って勝利した。
三回戦は、私の母校の、現在の顧問をされている先生との試合。
面を一本取られ負け。
反省点。
・発声が良くない。もっと腹から「通る」声、相手を威圧する気合が必要。
まだ喉から声が出てるようで、格好悪いし、剣道らしくない。
・左足が、打突前、曲がってる。ダメダメ。やはりヒカガミを曲げず、また、
目線も並行での剣道を目指さねば。
・三回戦の先生と試合してて感じたのは「肩が重くなって疲れた」。
つまり、稽古不足。まだまだ基礎体力が足りない。
・面を取ったと言っても、録画した動画で見ると右半身になってる感じ。
真っ直ぐ打突する姿勢に欠けている。ダメダメ。
・やはりバリエーション無いね。有効に出来たのは面くらい。もちろん、
それは結果なのかもしれないけど、でも飛び込み面ばかり。
物足りない。面返し胴も、まったく不十分だった。
連続技も無し。もちろん、連続技も結果なのかもしれないけど。
どんなに小さな試合でも入賞できたことは嬉しい。
でも、その試合を支えて下さってる方々のことを決して忘れてはいけない。
また、勝ち・負けは置いといて、今回の試合で得た「反省点」を、必ず、
次の稽古に活かすこと!それが試合に出場させて頂いた意義であり、
そのような場を提供して頂いた皆様への恩返しと考えねばと思う。
長く書きすぎた。ごめんなさい。
けなも
と一言でまとめてしまったのですが、さすがにG.W.期間中は、
直前のバス予約をしようとしても出来るはずもなく、つまり、
既に満席の為、実家への直通バスは利用できませんでした。
代わりに、まずは深夜バスで仙台まで行って、その後実家の最寄駅まで
電車で向かうという、遠回りな手段を使い移動しました。
新幹線使いたかったんだけど、そんなお金に余裕が無く(泣!)
「深夜バス+遠回り手段」の方がまだ新幹線より安いっていう。
どうせ新幹線代とくらべても数千円の差なのに、その数千円を
余らせるか、費やすかで家族の機嫌が変わるという何とも不条理な!(泣)
ということで、新幹線なら数時間で着く所を、深夜バス+遠回り手段によって
12時間かけて帰省しました(ハハハのハ…)。
思いついたこと、感じたこと、見たもの聞いたことを、ザーッと述べていきます!
深夜バスの隣の席が女性だった!過去隣が女性だった記憶は無い。
そんなこともあるんですね。バス会社にもよるのかな。意外で印象強かったので、
書きました。
仙台には4/30(火)5時頃着いたのですが静か・穏やかでした(早朝ですからー!)。
仙台駅近くにBiViっていうショッピングモールあるんですけど、朝5時でも営業
している「半田屋」で飯食いました。いつもは「飯の半田屋」と名前を覚えてたんだけど
「半田屋」が正しい名称なのかな。カレー、かけそば、納豆、白身フライを食べました。
実は、私が予備校時代にも「飯の半田屋」にはお世話になってて、懐かしくてつい
寄ってしまいました。ちなみに、私がお世話になってた「飯の半田屋」は、駅から歩いて
20分程の所に当時はあって、その隣には頻繁に利用する銭湯があって、見慣れた風景
ということもあり、「飯の半田屋」には親近感あるし、お世話になった所なんだな。
従業員の方も清潔感あって、24時間営業店は、そういう所が重要だと今回も思いました。
24時間、店を開きっぱなしだと、どこか室内が汚れてそうで食欲が落ちそうな先入観が
ありますが、半田屋は違うんだな。素敵なお姉さま達です。
さて、深夜バスはほぼ眠れず(『Empowerment』聴いてた訳ですが)仙台から実家へ
向かう電車で眠れるかなーと思いましたが、何とか少しだけ眠りました。
それにしても、実家へ近づくにつれ、寒い!
東京出る時は厚着していくべきか悩みましたが、厚着で正解だった。
ちなみに、先に言っておくと、G.W.期間中実家の地域は全日雨!
しかも全日10℃以下!サブッッッ!!!(北海道では連日雪だったみたいだね。)
さて、何とか実家には10時頃には着いて…熟睡。
(俺は何しに実家に行ったんだ!)
いやいや、ここから剣道の話ですよ。
東京から実家へは重い防具と、素振り用木刀+竹刀3本携えて移動。
(だから重かったよ~(泣))
で、夕方地元の高校で稽古!部員少な!1年~3年合わせて十何人?
俺の代では、同期女性(一学年)だけで十何人いたよ!
武道必修化が奏功して、部員が増える日が来るのでしょうか。
さて、4/30、5/1、5/2の各々夕方稽古しました。
(みんな、ありがとう!)
で、5/3(金)地元の試合(個人戦)に出場。
結果から言うと、3位。
久しぶりの、久しぶりの、久しぶりのー!3位入賞!
入賞すんの、ほんと何年ぶり?高校の地区大会優勝以来?
としたら、15年ぶり?
ほ ・ ん ・ と ・ かー!!!
どんなに小さな試合でも入賞すると嬉しいもんです。
と、今の私は思う。
でも、絶対忘れてはいけない事。
私は今回よそ者として特別に試合に出場させて頂いた。
その試合の為に、審判、係員等担当されている先生方が数多くいらっしゃる。
私は、そのような運営側とは一線を画し、今回自分のペースで試合に参加した。
だから、余計な気づかれ等は無い状態だった。
そんな中での入賞の重み・位置づけをよくよく考えるべき。
入賞したことは嬉しい事。でも、その嬉しいと感じる「舞台」を用意して頂いている
ということを絶対忘れてはいけない。
また、私の一回戦の先生は、運営側の責任重い方のお一人。審判もこなし、
余裕もなく面をつけて私との試合に臨まれた。充分に気を落ち着かせることも
無かっただろうと推測される。
また、私の二回戦の先生も(その試合は小中高の試合も行われるのだが)、
生徒に指導をされながら試合観戦を朝より続け、夕方近い試合に臨まれた
ということを、私は決して忘れてはいけない。
その意味で、私はある意味勝って当たり前の環境に置かれただけであって、
先生方はとても不利な状況で試合に臨まれたということを、私は、忘れては
決していけない。
「たまたま勝たせて頂いた」本当にそれだけだ。
その上で、一回戦は面一本。二回戦は面二本を取って勝利した。
三回戦は、私の母校の、現在の顧問をされている先生との試合。
面を一本取られ負け。
反省点。
・発声が良くない。もっと腹から「通る」声、相手を威圧する気合が必要。
まだ喉から声が出てるようで、格好悪いし、剣道らしくない。
・左足が、打突前、曲がってる。ダメダメ。やはりヒカガミを曲げず、また、
目線も並行での剣道を目指さねば。
・三回戦の先生と試合してて感じたのは「肩が重くなって疲れた」。
つまり、稽古不足。まだまだ基礎体力が足りない。
・面を取ったと言っても、録画した動画で見ると右半身になってる感じ。
真っ直ぐ打突する姿勢に欠けている。ダメダメ。
・やはりバリエーション無いね。有効に出来たのは面くらい。もちろん、
それは結果なのかもしれないけど、でも飛び込み面ばかり。
物足りない。面返し胴も、まったく不十分だった。
連続技も無し。もちろん、連続技も結果なのかもしれないけど。
どんなに小さな試合でも入賞できたことは嬉しい。
でも、その試合を支えて下さってる方々のことを決して忘れてはいけない。
また、勝ち・負けは置いといて、今回の試合で得た「反省点」を、必ず、
次の稽古に活かすこと!それが試合に出場させて頂いた意義であり、
そのような場を提供して頂いた皆様への恩返しと考えねばと思う。
長く書きすぎた。ごめんなさい。
けなも
『Empowerment』を聴いての感想
やはり、すみません、まずは剣道以外の話で。
SING LIKE TALKING(以下、S.L.T.と略します。)の話です。
4/27の25周年ライブ時に購入した『Empowerment』、
聴きました。
感想。
久しぶりS.L.T.らしい曲を聴いたというのが率直の感想です。
聴いてて嬉しくなりました。
私はデビュー時から1990年代のS.L.T.が好きだと以前ブログに書きました。
10thアルバム『METABOLISM』(2001年9月26日リリース)以降、どうしても、
そのリズム、音楽感に心から浸れなかった(それは自らの変化が原因なのかも
しれませんが)。
だから寄りかかりたい「柱」が無いまま10年が過ぎた感じです。
いや、90年代までのS.L.T.がいつも私を励ましてくれたといった状況でした。
『Empowerment』では、「Together」以来、一曲目に「遊び」を感じました。
聴いててワクワクしました。
『METABOLISM』っぽいリズムもありながら、一層洗練されたS.L.T.を
味わうことができました。
・・・と書きましたが、『METABOLISM』の延長線上に『Empowerment』がある?
とした場合、『METABOLISM』あっての『Empowerment』なのかもしれません。
すると、もしかしたら、違う観点から『METABOLISM』を聴き直すと、違う発見が
あるのかもしれません。
『Empowerment』に関して、これまた率直な感想としては、前半の曲が特に
気に入ったということです。後半の曲ももちろん良いのですが、前半の曲が、
私にとってのS.L.T.らしさがあるという感想です。
4/27に購入し、その夜聴き感動し、その後ずーっと聴いてます。
4/29は日中CDラジカセで日中ずっと、4/30はスマホで暇さえあれば聴きまくって
ました。
私が好きなS.L.T.の曲。またS.L.T.に逢えて良かった。
もちろん、このブログ書きながら『Empowerment』聴いてます。
(今、このタイミングで、「Desert Rose (Adenium)」始まって、
出だし部分、Richard Marxのあの曲のリズムと似てるように思えた。
決して変な意味で言ってるんじゃなくて、飽くまで私見であり、でも、S.L.T.が
Richard Marxと良い意味でダブって感じられて嬉しいんです。)
やっぱり、ここでも、S.L.T.ありがとう。
S.L.T.と共に時間を過ごしているのは楽しく、嬉しいです。
けなも
SING LIKE TALKING(以下、S.L.T.と略します。)の話です。
4/27の25周年ライブ時に購入した『Empowerment』、
聴きました。
感想。
久しぶりS.L.T.らしい曲を聴いたというのが率直の感想です。
聴いてて嬉しくなりました。
私はデビュー時から1990年代のS.L.T.が好きだと以前ブログに書きました。
10thアルバム『METABOLISM』(2001年9月26日リリース)以降、どうしても、
そのリズム、音楽感に心から浸れなかった(それは自らの変化が原因なのかも
しれませんが)。
だから寄りかかりたい「柱」が無いまま10年が過ぎた感じです。
いや、90年代までのS.L.T.がいつも私を励ましてくれたといった状況でした。
『Empowerment』では、「Together」以来、一曲目に「遊び」を感じました。
聴いててワクワクしました。
『METABOLISM』っぽいリズムもありながら、一層洗練されたS.L.T.を
味わうことができました。
・・・と書きましたが、『METABOLISM』の延長線上に『Empowerment』がある?
とした場合、『METABOLISM』あっての『Empowerment』なのかもしれません。
すると、もしかしたら、違う観点から『METABOLISM』を聴き直すと、違う発見が
あるのかもしれません。
『Empowerment』に関して、これまた率直な感想としては、前半の曲が特に
気に入ったということです。後半の曲ももちろん良いのですが、前半の曲が、
私にとってのS.L.T.らしさがあるという感想です。
4/27に購入し、その夜聴き感動し、その後ずーっと聴いてます。
4/29は日中CDラジカセで日中ずっと、4/30はスマホで暇さえあれば聴きまくって
ました。
私が好きなS.L.T.の曲。またS.L.T.に逢えて良かった。
もちろん、このブログ書きながら『Empowerment』聴いてます。
(今、このタイミングで、「Desert Rose (Adenium)」始まって、
出だし部分、Richard Marxのあの曲のリズムと似てるように思えた。
決して変な意味で言ってるんじゃなくて、飽くまで私見であり、でも、S.L.T.が
Richard Marxと良い意味でダブって感じられて嬉しいんです。)
やっぱり、ここでも、S.L.T.ありがとう。
S.L.T.と共に時間を過ごしているのは楽しく、嬉しいです。
けなも
2013年4月28日日曜日
2013年4月の剣道
さて、2013年4月の剣道を記録したい。
4月に入っても200本素振りは、もちろん続けた。
何気ない日々が続くはずだった。
ところが、4月4日(木)から、急遽家族の一人が入院した。
原因不明の高熱と首の痛み。近くの病院に入院。
当初は、何とか菌(忘れた)の影響による症状で、抗生物質を
投与すれば治るはずということで、症状改善を待った。
が、一向に良くならず、むしろ一層悪い状態になっていく。
熱は39℃~40℃という状況。全く熟睡できずうなされている。
そのうち、突然叫びだす。意味不明に叫びだす。脳がやられたのか。
しかし、医師は脳への影響は否定する。
4日、5日(金)、6日(土)、7日(日)と、私も会社を早退、または、休む等して、
面会が許される時間まで(22時は過ぎてたな)家族に付き添ってた。
一日一回は意味不明の叫びが始まる。時間は数分から5分。
それを傍らで、何もできず、落ち着くまで抱きしめていることしかできなかった。
その間は、一応、帰宅後、素振りは実施している。
(4日だけ未実施だったかな…。)
少なくとも、土日行ってる道場には、その時は行かなかった。
朝から夜まで傍らにいた。ほぼ一日中。
そして、8日(月)、土日明けで医師も通常体制(という表現が正しいのか)で
午前中に検査が始まった。すると、新たに病名が判明すると共に、合併症
として「心不全」との結果が出た。心不全!はあ?
すると、その病院(560床規模の診療科がそこそこ揃ってるはずなのに)では
それらに対応できる医師・体制が無いとのことで、すぐに別の病院へ転院する
ことになった。
私は午前中会社に行ってたが、その結果を知りすぐにその病院へ向かった。
転院先の病院としてA病院を勧められたが、地理的に遠い。何か起きた時に、
すぐに駆けつけるには時間がかかるし、未知の土地だ。
そんな中、私の仕事の関係で通う場所の近くにあるB大学病院を、
私から提案した。既にA病院前提で動いていた医師達には悪いことをしたが、
そこもまた、家族の状態を診られる医師・体制のあるとのことでB大学病院へ
転院することにした。
そして、さっそく8日(月)午後から家族はB大学病院へ向かった。
私は着替えも持たず、8日夜から付き添った。家族の状態が悪い一方、
看護師も細かいこと(家族の細々としたリクエスト。例:水飲みたい)には
いちいち対応することはない(家族自身が看護師を適宜呼び出せないことも理由)ので、
付添い用ベッドを借り、泊まった。ちなみに、重症患者用の個室だった。
8日は素振りはしなかった。
9日(火)、会社は休む。夕方一度だけ家に戻り、着替え、髭剃り道具等、そして、
室内用素振り木刀を持って、B大学病院へ戻った。
入院している家族が、何とか寝静まった頃、病室を出て待合ロビーにて、
素振りをした。とは言っても、病院内ということで、本来ならそんな行為は非常識
なんだと思う。が、細々と、人の気配が無い深夜に実施させて頂いた。
(誠に申し訳ございません。)
素振り後は、もちろん、すぐに病室に戻り、家族の様子を見た後、
付添い人用シャワーを利用し、汗を流した。
10日(水)、朝は会社に向かった。日中は、私の母が東北の実家から仕事を
休んでB大学病院まで駆けつけてくれた。その為、私は一旦夕方まで仕事をして、
その後病院へ戻り、母と交代の上、病室に泊まった。
入院している家族は所々起きては具合悪そうにするが、4日から入院していた際の
状態と比べると、比較的改善していたように思えた。
11日(木)、同じように朝は病院から勤務先へ向かった。12日(金)も同様。
13日(土)、14日(日)は、仕事は休みの為、もちろん一日中付き添った。
一週間、病院で寝泊まりしたことになる。
自らが、ネフローゼ症候群(2001年6月14日(木)~8月5日(日)。覚えてるんだな。)、
網膜剥離(2007年6月11日(月)か前日から、一週間。こっちは明確じゃないんだな。)で
入院した時以来、病院で過ごした。
さて、4月15日(月)には、家族の症状が改善したとのことで、個室から共用部屋へ
移った。それに伴い、付添いは20時までというルールの為、その日から家に戻る
生活へとなった。やっぱり家はいい。
4月19日(金)、無事家族が退院。家族にとっても、私にとっても負担の大きい2週間だった。
ちなみに、19日だったか、20日(土)は素振りをしなかった。疲労が溜まったと、自分に
言い訳を作ってしまった…。悔やんでる。
21日(日)からは通常通り素振りを続けている。
そして、4/27(土)午前、久しぶりに街の道場に行った。体はついていけるか非常に
不安だった。たしかに、3月時点の動きと比べて鈍いし、すぐに疲労を感じるし、
丁寧さが欠けていた。
しかし、かろうじて、と言うか、素振りのおかげで復帰を諦める程、体がなまっている
訳ではない。周りの機敏な動きをしている同年代のみんなを見ていると焦るけど、
またやり直すしかない。繰り返すけど、やり直すしかない。それしかない。
(8年のブランクに比べたら1ヶ月なんて!)
いずれにせよ、家族が回復してくれて良かった。最初、「心不全」と聞いた時は、
とにかく重篤な印象しかなく、どうなるかと不安でいっぱいだった。
これで何かあったら、医者になろうかと思った程だ。誰も助けられないなら、
俺が助けられる人になる!みたいな。その際、剣道は捨てなければいけないん
だろうかと考えさえした。極端な発想だけど、そんなことを思ったりもした。
剣道は強くなりたい。
ただ、家族と剣道を天秤にかけたら、迷わず家族をとる。
(家族の状況を見て、素振りはしたが。)
今回は、結果的にも、家族を第一としながら、かろうじて剣道ができたということであり、
家族が回復したことで、剣道もある意味再開できる状態になったと言えよう。
剣道をするには、剣道で強くなりたいなら稽古をすること。
でも、その為には、私、そして、家族が健康であることが大前提。
そして、その為には、普段から規則正しい生活を送らねば。
ということで、これ以上の夜更かしは止めねば!
けなも
4月に入っても200本素振りは、もちろん続けた。
何気ない日々が続くはずだった。
ところが、4月4日(木)から、急遽家族の一人が入院した。
原因不明の高熱と首の痛み。近くの病院に入院。
当初は、何とか菌(忘れた)の影響による症状で、抗生物質を
投与すれば治るはずということで、症状改善を待った。
が、一向に良くならず、むしろ一層悪い状態になっていく。
熱は39℃~40℃という状況。全く熟睡できずうなされている。
そのうち、突然叫びだす。意味不明に叫びだす。脳がやられたのか。
しかし、医師は脳への影響は否定する。
4日、5日(金)、6日(土)、7日(日)と、私も会社を早退、または、休む等して、
面会が許される時間まで(22時は過ぎてたな)家族に付き添ってた。
一日一回は意味不明の叫びが始まる。時間は数分から5分。
それを傍らで、何もできず、落ち着くまで抱きしめていることしかできなかった。
その間は、一応、帰宅後、素振りは実施している。
(4日だけ未実施だったかな…。)
少なくとも、土日行ってる道場には、その時は行かなかった。
朝から夜まで傍らにいた。ほぼ一日中。
そして、8日(月)、土日明けで医師も通常体制(という表現が正しいのか)で
午前中に検査が始まった。すると、新たに病名が判明すると共に、合併症
として「心不全」との結果が出た。心不全!はあ?
すると、その病院(560床規模の診療科がそこそこ揃ってるはずなのに)では
それらに対応できる医師・体制が無いとのことで、すぐに別の病院へ転院する
ことになった。
私は午前中会社に行ってたが、その結果を知りすぐにその病院へ向かった。
転院先の病院としてA病院を勧められたが、地理的に遠い。何か起きた時に、
すぐに駆けつけるには時間がかかるし、未知の土地だ。
そんな中、私の仕事の関係で通う場所の近くにあるB大学病院を、
私から提案した。既にA病院前提で動いていた医師達には悪いことをしたが、
そこもまた、家族の状態を診られる医師・体制のあるとのことでB大学病院へ
転院することにした。
そして、さっそく8日(月)午後から家族はB大学病院へ向かった。
私は着替えも持たず、8日夜から付き添った。家族の状態が悪い一方、
看護師も細かいこと(家族の細々としたリクエスト。例:水飲みたい)には
いちいち対応することはない(家族自身が看護師を適宜呼び出せないことも理由)ので、
付添い用ベッドを借り、泊まった。ちなみに、重症患者用の個室だった。
8日は素振りはしなかった。
9日(火)、会社は休む。夕方一度だけ家に戻り、着替え、髭剃り道具等、そして、
室内用素振り木刀を持って、B大学病院へ戻った。
入院している家族が、何とか寝静まった頃、病室を出て待合ロビーにて、
素振りをした。とは言っても、病院内ということで、本来ならそんな行為は非常識
なんだと思う。が、細々と、人の気配が無い深夜に実施させて頂いた。
(誠に申し訳ございません。)
素振り後は、もちろん、すぐに病室に戻り、家族の様子を見た後、
付添い人用シャワーを利用し、汗を流した。
10日(水)、朝は会社に向かった。日中は、私の母が東北の実家から仕事を
休んでB大学病院まで駆けつけてくれた。その為、私は一旦夕方まで仕事をして、
その後病院へ戻り、母と交代の上、病室に泊まった。
入院している家族は所々起きては具合悪そうにするが、4日から入院していた際の
状態と比べると、比較的改善していたように思えた。
11日(木)、同じように朝は病院から勤務先へ向かった。12日(金)も同様。
13日(土)、14日(日)は、仕事は休みの為、もちろん一日中付き添った。
一週間、病院で寝泊まりしたことになる。
自らが、ネフローゼ症候群(2001年6月14日(木)~8月5日(日)。覚えてるんだな。)、
網膜剥離(2007年6月11日(月)か前日から、一週間。こっちは明確じゃないんだな。)で
入院した時以来、病院で過ごした。
さて、4月15日(月)には、家族の症状が改善したとのことで、個室から共用部屋へ
移った。それに伴い、付添いは20時までというルールの為、その日から家に戻る
生活へとなった。やっぱり家はいい。
4月19日(金)、無事家族が退院。家族にとっても、私にとっても負担の大きい2週間だった。
ちなみに、19日だったか、20日(土)は素振りをしなかった。疲労が溜まったと、自分に
言い訳を作ってしまった…。悔やんでる。
21日(日)からは通常通り素振りを続けている。
そして、4/27(土)午前、久しぶりに街の道場に行った。体はついていけるか非常に
不安だった。たしかに、3月時点の動きと比べて鈍いし、すぐに疲労を感じるし、
丁寧さが欠けていた。
しかし、かろうじて、と言うか、素振りのおかげで復帰を諦める程、体がなまっている
訳ではない。周りの機敏な動きをしている同年代のみんなを見ていると焦るけど、
またやり直すしかない。繰り返すけど、やり直すしかない。それしかない。
(8年のブランクに比べたら1ヶ月なんて!)
いずれにせよ、家族が回復してくれて良かった。最初、「心不全」と聞いた時は、
とにかく重篤な印象しかなく、どうなるかと不安でいっぱいだった。
これで何かあったら、医者になろうかと思った程だ。誰も助けられないなら、
俺が助けられる人になる!みたいな。その際、剣道は捨てなければいけないん
だろうかと考えさえした。極端な発想だけど、そんなことを思ったりもした。
剣道は強くなりたい。
ただ、家族と剣道を天秤にかけたら、迷わず家族をとる。
(家族の状況を見て、素振りはしたが。)
今回は、結果的にも、家族を第一としながら、かろうじて剣道ができたということであり、
家族が回復したことで、剣道もある意味再開できる状態になったと言えよう。
剣道をするには、剣道で強くなりたいなら稽古をすること。
でも、その為には、私、そして、家族が健康であることが大前提。
そして、その為には、普段から規則正しい生活を送らねば。
ということで、これ以上の夜更かしは止めねば!
けなも
2013年4月27日土曜日
ありがとう SING LIKE TALKING
久しぶりの投稿(月報…)で、いきなり剣道以外の話です。
本日(4/27)、SING LIKE TALKING25周年ライブ行って参りました!
結論から言うと、満足と言う気持ちと、3時間半(18時過ぎ~21時40分頃)では
時間が短すぎ、物足りないという気持ちの両方です。
行って良かったと思ってるんですよ。
17時30分頃有楽町に到着。少し周りをうろうろして、40分東京国際フォーラムに到着。
想定通り、CD売っていたので、過去レンタルでCD借りたことあるけど持っていなかった
初期のCDを探した。結果としては「3rdアルバム『III』(1990年4月25日リリース)」と
「12thアルバム『Empowerment』(2011年5月18日リリース)」を購入。後者は、25周年
特設サイトにて「純然たる3人のシングライク印(じるし)みたいなものが結構強く出た
アルバムじゃないですかね。」(藤田千章談)等、他のメンバーにとっても印象に残った
作品らしく、魅かれて購入。
本当は1stアルバムも買いたかったけど無かった…。
その後、行列に並んでキーホルダーも購入し、トイレ行ってたら、あと5分ほどで開始する
とのことで、急いで席へ。
比較的早期にチケット購入したと思ったけど、会場1階の、後ろから10列以内の所の席…。
後ろすぎー、と思いながら会場を埋め尽くしたファンの皆さんと待った。
それまでBGM(私は知らない誰かの歌…)が続き、18時過ぎても開演しない。いつ始まる
のかなー、って待っていたら…「INTERLUDE:You are love」がBGMとして流れた。
その途端、会場が拍手で包まれた。開演だ!
そして、少しづつメンバーが集まり、佐藤竹善も登場。会場が一気に盛り上がる。
一曲目は、特設サイト「思い出楽曲投票ランキング」で第一位だった
「Seasons Of Change」から始まる。さすが、ファンの期待に応えてる!
ちなみに、その曲は『Welcome to Another World』の一曲目でもある。
私にとっても思い出の曲ではあるし、好きな曲だ。ただ、SING LIKE TALKINGの
曲の中で、それが一位に選ばれる理由は、私には不明だ(悪いって言ってるんじゃない)。
もっと他にもいい曲、ライブで定番の曲はたくさんある。それが、なぜあまり露出度が
無い(はずの)その曲が一位だったのか、私には、やはり不明だ。どんな思いで投票された
のか、ファンの方の声を聞いてみたいが…。
さて、曲は続く。そして、トークも入る。トークで思ったのは、西村智彦(ギター)は
愛されキャラなんだなということ。もちろん、他のメンバーもそうでしょうけど、話題は
西村の酒好きや、「鳩」(ほろっほー)の話にまで及ぶ。
と、書いていくと、キリが無いので、強く印象に残ったことを書くと、
私が好きだと、本ブログで記載してた「Maybe」が歌われたんです!
投票では10位以内に入ってなかったし、「俺の好きな曲は、他のファンが好きな曲とは
違うんだなー。」とギャップを感じてたので、諦めてたのですが、なんとなんと!
歌われたのです!まさか、SING LIKE TALKINGの誰かが、私のこのブログを見て
くれてたのでしょうか!?(笑)
だから、「けなもさんいますかー?」(私の妄想竹善)って聞かれたら、会場後ろから
思いっきり大きな声で「いるよー!!!」って応える気持ちの準備してたよ(大笑)。
もちろん、そんな場面無かったけど。
このブログを見てて、「Maybe」歌ってくれたんだ、そう思い込めばいい。
それで自己満足してりゃいい(笑)。
でも、ありがとう。やっぱり良かったです。隣の男性はそのまた隣の友人に、
「『Maybe』来たわ―。」って漏らしてた。名曲だろ?え?って突っ込みたかったぜ。
他に思ったこと。「離れずに暖めて」がメドレーとして、一部歌われたんだけど、
あれほどのいい曲が、一部しか歌われない「贅沢さ」が印象に残った。
SING LIKE TALKINGのメンバーは酒好きなんだなということ。それにあやかり(?)、
このブログ書きながら、YEBIS飲んでます。
あーやって、3人で多くの人を幸せに出来る技術を私も身に付けたい。
私には何が出来るだろう。
デビュー当時から90年代の曲が半分以上のライブでしたが、そんなライブをファンの
多くは待っていたと推測します。比較的新しい曲には、私の隣(右)にいた40代くらい(?)の
カップルや、目の前、左の方々は、「乗り切れ」なかったように思えて、一方で、
90年代までの曲では、その方々みんなが「乗って」た、そんな印象があります。
なので、25周年と言わず、そんな90年代までの曲を中心に、なんとか再びライブを
やって欲しいです。
私が育ってきた傍らにあったSING LIKE TALKINGと共に充実した時間を過ごせました。
(DVD出たら買おう。)
私は社会に、どのように、何者として貢献できるか。剣道か、それ以外か。
それとも両方か。2つと言わず、3つとか?欲張らず。
けなも
本日(4/27)、SING LIKE TALKING25周年ライブ行って参りました!
結論から言うと、満足と言う気持ちと、3時間半(18時過ぎ~21時40分頃)では
時間が短すぎ、物足りないという気持ちの両方です。
行って良かったと思ってるんですよ。
17時30分頃有楽町に到着。少し周りをうろうろして、40分東京国際フォーラムに到着。
想定通り、CD売っていたので、過去レンタルでCD借りたことあるけど持っていなかった
初期のCDを探した。結果としては「3rdアルバム『III』(1990年4月25日リリース)」と
「12thアルバム『Empowerment』(2011年5月18日リリース)」を購入。後者は、25周年
特設サイトにて「純然たる3人のシングライク印(じるし)みたいなものが結構強く出た
アルバムじゃないですかね。」(藤田千章談)等、他のメンバーにとっても印象に残った
作品らしく、魅かれて購入。
本当は1stアルバムも買いたかったけど無かった…。
その後、行列に並んでキーホルダーも購入し、トイレ行ってたら、あと5分ほどで開始する
とのことで、急いで席へ。
比較的早期にチケット購入したと思ったけど、会場1階の、後ろから10列以内の所の席…。
後ろすぎー、と思いながら会場を埋め尽くしたファンの皆さんと待った。
それまでBGM(私は知らない誰かの歌…)が続き、18時過ぎても開演しない。いつ始まる
のかなー、って待っていたら…「INTERLUDE:You are love」がBGMとして流れた。
その途端、会場が拍手で包まれた。開演だ!
そして、少しづつメンバーが集まり、佐藤竹善も登場。会場が一気に盛り上がる。
一曲目は、特設サイト「思い出楽曲投票ランキング」で第一位だった
「Seasons Of Change」から始まる。さすが、ファンの期待に応えてる!
ちなみに、その曲は『Welcome to Another World』の一曲目でもある。
私にとっても思い出の曲ではあるし、好きな曲だ。ただ、SING LIKE TALKINGの
曲の中で、それが一位に選ばれる理由は、私には不明だ(悪いって言ってるんじゃない)。
もっと他にもいい曲、ライブで定番の曲はたくさんある。それが、なぜあまり露出度が
無い(はずの)その曲が一位だったのか、私には、やはり不明だ。どんな思いで投票された
のか、ファンの方の声を聞いてみたいが…。
さて、曲は続く。そして、トークも入る。トークで思ったのは、西村智彦(ギター)は
愛されキャラなんだなということ。もちろん、他のメンバーもそうでしょうけど、話題は
西村の酒好きや、「鳩」(ほろっほー)の話にまで及ぶ。
と、書いていくと、キリが無いので、強く印象に残ったことを書くと、
私が好きだと、本ブログで記載してた「Maybe」が歌われたんです!
投票では10位以内に入ってなかったし、「俺の好きな曲は、他のファンが好きな曲とは
違うんだなー。」とギャップを感じてたので、諦めてたのですが、なんとなんと!
歌われたのです!まさか、SING LIKE TALKINGの誰かが、私のこのブログを見て
くれてたのでしょうか!?(笑)
だから、「けなもさんいますかー?」(私の妄想竹善)って聞かれたら、会場後ろから
思いっきり大きな声で「いるよー!!!」って応える気持ちの準備してたよ(大笑)。
もちろん、そんな場面無かったけど。
このブログを見てて、「Maybe」歌ってくれたんだ、そう思い込めばいい。
それで自己満足してりゃいい(笑)。
でも、ありがとう。やっぱり良かったです。隣の男性はそのまた隣の友人に、
「『Maybe』来たわ―。」って漏らしてた。名曲だろ?え?って突っ込みたかったぜ。
他に思ったこと。「離れずに暖めて」がメドレーとして、一部歌われたんだけど、
あれほどのいい曲が、一部しか歌われない「贅沢さ」が印象に残った。
SING LIKE TALKINGのメンバーは酒好きなんだなということ。それにあやかり(?)、
このブログ書きながら、YEBIS飲んでます。
あーやって、3人で多くの人を幸せに出来る技術を私も身に付けたい。
私には何が出来るだろう。
デビュー当時から90年代の曲が半分以上のライブでしたが、そんなライブをファンの
多くは待っていたと推測します。比較的新しい曲には、私の隣(右)にいた40代くらい(?)の
カップルや、目の前、左の方々は、「乗り切れ」なかったように思えて、一方で、
90年代までの曲では、その方々みんなが「乗って」た、そんな印象があります。
なので、25周年と言わず、そんな90年代までの曲を中心に、なんとか再びライブを
やって欲しいです。
私が育ってきた傍らにあったSING LIKE TALKINGと共に充実した時間を過ごせました。
(DVD出たら買おう。)
私は社会に、どのように、何者として貢献できるか。剣道か、それ以外か。
それとも両方か。2つと言わず、3つとか?欲張らず。
けなも
2013年3月31日日曜日
本日も200本
やはり、「日誌」じゃないし…。「月報」ですよね。
さて、ここ1ヶ月の剣道を振り返りますと…、
200本素振りの成果でしょうか、
昨年の私よりは、体が動いてる気がします。
しかし、攻めがまだまだ。
教士八段のK先生からは、上半身に力が入っていて、
起こりが分かってしまうとのこと。
1度指導頂いた次の地稽古の際は、意識して肩の力も
抜いたつもりが、また同じ指導が入った。
難しい!こんなに力を抜いているのに!と思うのですが…。
で、素振りしながら、丹田に力を入れることに意識してみた。
すると、何となく上半身の力が抜けた気分。
という状態で、改めて教士八段に向かうが、
やはり、同じ指摘。んー、うまくいかない(泣)。
それにしても、最近丹田を意識してる。一昔前の私なら、
呼吸とか、まったく意識せず剣道してたけど、最近は
丹田に始まり、切り返し時の呼吸も意識している。
話は変わるが、先日、面が打てるようになれば、
何でも打てるようになると言われたという点に関して、
ブログに記した。
その後、稽古を繰り返す中で、その意味を私なりに
解釈した。つまり、面を打つという「動作」だけが
できても、やはり小手や胴など打てない。
重要なのは、面に至るまでの「攻め」が上手くいくか
否かにかかっている。つまり、面を打つという目標の中で、
攻めが行われ、結果、面を打てるようになったら一つ成長した
と言えると思う。
一番遠くて、相手に警戒されやすい面を一本にできる攻めが
できるようになれば、なるほど、たしかに、小手も胴も一本に
できるだろう。そう解釈した。
で、先日、教士七段のK先生への地稽古の中で、
面を中心に攻めを作ってみた。
一番印象に残っているのは、その攻め合いの中で、K先生が
面に来ると感じる場面があった。十中八九、面に来る。そしたら、
面を返して胴に行こうと思った。
で、案の定、面に来た。ちなみに、その時、「乗られて」いた。
こっちから出ては打たれていただろう、って感じ。
話を戻すと、面に来たので、面返し胴を打った。
と言うか、面に来たって思った次の瞬間目にしたのは、
K先生の胴に、私の竹刀が程よい角度で、きちんと部位を
打っていた「瞬間」だった。
何が印象に残っているかと言えば、
そもそも、胴を滅多に一本にしたことが無い私が、
相手が面に来ると分かったからと言って、それで本当に胴を打てた
ということが不思議であったということ。
「胴を打つ時は、手を返して、相手の胴に対し、斜め45度から…」なんて
ことを全く意識する間もなく、打てていたということ。「打つこと」より、
「面に来たら、胴に返す」という意識の下、前に出ていた。
もう一つ印象に残っていたのは、K先生の胴、有効打突部位に
当たった竹刀を、瞬間に目が捉えていたということ。
ちなみに、K先生は、面ばかりでなく小手も胴も打ってきなさいと
おっしゃってくれる先生の一人。面にこだわった稽古をしたいけど、
せっかくおっしゃってくれるので、遠慮せず小手も胴も試させて頂いた。
攻めて面。そんな稽古をし続けながら、胴や、小手、突きも一人前に
一本にできる剣士でありたい。
明日から、仕事上体制は変わった新年度を迎える。
心機一転、仕事も剣道もがんばりたい。
けなも
さて、ここ1ヶ月の剣道を振り返りますと…、
200本素振りの成果でしょうか、
昨年の私よりは、体が動いてる気がします。
しかし、攻めがまだまだ。
教士八段のK先生からは、上半身に力が入っていて、
起こりが分かってしまうとのこと。
1度指導頂いた次の地稽古の際は、意識して肩の力も
抜いたつもりが、また同じ指導が入った。
難しい!こんなに力を抜いているのに!と思うのですが…。
で、素振りしながら、丹田に力を入れることに意識してみた。
すると、何となく上半身の力が抜けた気分。
という状態で、改めて教士八段に向かうが、
やはり、同じ指摘。んー、うまくいかない(泣)。
それにしても、最近丹田を意識してる。一昔前の私なら、
呼吸とか、まったく意識せず剣道してたけど、最近は
丹田に始まり、切り返し時の呼吸も意識している。
話は変わるが、先日、面が打てるようになれば、
何でも打てるようになると言われたという点に関して、
ブログに記した。
その後、稽古を繰り返す中で、その意味を私なりに
解釈した。つまり、面を打つという「動作」だけが
できても、やはり小手や胴など打てない。
重要なのは、面に至るまでの「攻め」が上手くいくか
否かにかかっている。つまり、面を打つという目標の中で、
攻めが行われ、結果、面を打てるようになったら一つ成長した
と言えると思う。
一番遠くて、相手に警戒されやすい面を一本にできる攻めが
できるようになれば、なるほど、たしかに、小手も胴も一本に
できるだろう。そう解釈した。
で、先日、教士七段のK先生への地稽古の中で、
面を中心に攻めを作ってみた。
一番印象に残っているのは、その攻め合いの中で、K先生が
面に来ると感じる場面があった。十中八九、面に来る。そしたら、
面を返して胴に行こうと思った。
で、案の定、面に来た。ちなみに、その時、「乗られて」いた。
こっちから出ては打たれていただろう、って感じ。
話を戻すと、面に来たので、面返し胴を打った。
と言うか、面に来たって思った次の瞬間目にしたのは、
K先生の胴に、私の竹刀が程よい角度で、きちんと部位を
打っていた「瞬間」だった。
何が印象に残っているかと言えば、
そもそも、胴を滅多に一本にしたことが無い私が、
相手が面に来ると分かったからと言って、それで本当に胴を打てた
ということが不思議であったということ。
「胴を打つ時は、手を返して、相手の胴に対し、斜め45度から…」なんて
ことを全く意識する間もなく、打てていたということ。「打つこと」より、
「面に来たら、胴に返す」という意識の下、前に出ていた。
もう一つ印象に残っていたのは、K先生の胴、有効打突部位に
当たった竹刀を、瞬間に目が捉えていたということ。
ちなみに、K先生は、面ばかりでなく小手も胴も打ってきなさいと
おっしゃってくれる先生の一人。面にこだわった稽古をしたいけど、
せっかくおっしゃってくれるので、遠慮せず小手も胴も試させて頂いた。
攻めて面。そんな稽古をし続けながら、胴や、小手、突きも一人前に
一本にできる剣士でありたい。
明日から、仕事上体制は変わった新年度を迎える。
心機一転、仕事も剣道もがんばりたい。
けなも
2013年2月22日金曜日
200本継続記録が一時途切れる
昨年(2012年)下旬から一日も休まず200本素振りを継続していた。
中学生の頃は、稽古に加え、それこそ休まず毎日200本素振りをしており、
(街の小さな)試合では、それなりの結果が出ていた。
200本という数字は、決して威張れる数字ではないことは知っている。
小中高各々の準備運動時点で200本は素振りしていた。
でも、やらないよりはやった方がよい。そして、少ない数でも、
毎日続けることに意味があると考えている。
・・・と、そんな中、
2/13(水)は会社から帰宅できず(泣)。
間もなく仕事終了と思った矢先、次の日顧客に提出する資料に
大幅な修正が必要と判明してしまい、結局、終電が無くなった
2/14(木)午前1時30分に会社を出た。夕飯食べてなく腹が減って。
ラーメンが食べたくて。
結果的にラーメンは食べたが、それはそれはマズイラーメンで、
会社から歩いて20分くらいの所で。
で、ラーメンを食べた後は、寒い中、少しでも家に近い方面へ
歩き続け、1時間以上。午前4時近くに、東京駅に到着。
その時間、東京駅(丸の内側)は、私が見た限りでは
シャッターが下りていた。24時間駅は開いているもんだと
思っていた俺には、意外な光景だった。
それにしても、外は寒く、突っ立っているわけにもいかず・・・。
ふと、駅近くに会社の出張所があることに気づき、
そこにあったソファで寝た。
外は寒かったが、建物の中、しかもソファで眠れたことで
救われる思いがした。
が、一見出張者は俺だけに思えながらも、いつ他の出張者が
現れるかビクビクしながら、本来横になってはいけないはずの
ソファで何回も眼を開けながら、仮眠とも言えない2時間弱を
過ごした。
「ホテルに泊まればいいじゃん。」と思う方もいらっしゃるかも
しれないが、私にそんなお金は無い!質素な生活しかできない
んです(笑)。今の所・・・。早く金銭的にも余裕が欲しい。
とは言いながら、寒い中、疲労も溜まった状態で歩き続けた中で、
何件かホテルに部屋は空いているか尋ねた。が、尋ねた所は全て
満室だった。クレジットカードで、分割すれば、生活もできて、
ホテルにも泊まれて・・・なーんて考えを実現する以前の問題。
話を戻すと、ソファで過ごした後、動き出した電車で自宅へ向かった。
さすがに、とんぼ返りで会社に行く気力は無く、
出社時間が遅れる申告を会社に済ませた上で
(その時点で7時30分頃)、1時間強の仮眠を布団でとった。
そして、会社へ向かった。
その際、自宅を出る前、室内用木刀で5本だけ素振りした。
体がもつか不安だった。
そして、2/14(木)は始まり、顧客先へ行き、資料の説明をし、
叱責も頂く場面もありつつ、何とか夕方まで過ごした。
そして、その日に帰宅した頃には体は休みを欲しており、
迷った部分もあったが、割り切って、すぐに布団に入ることにした。
2/15(金)朝、室内用素振りで5本(だったと思う)素振りして、
会社へ向かった。結局、その日も次の日帰りだったと記憶してるが、
その日は200本素振りした。
とまぁ、長く書きましたが、200本継続記録は、残念ながら途中で切れて、
でも、その後、グレルことなく、再開している。
それでいいと思っている。途切れても、また再開し、続けること。
「やらなくなり続ける事」を撲滅すれば、たとえ僅かであれ、そこに
進歩があると信じたい。もちろん、理想は一日も欠かさず継続することが
一番良いと思っているが。
しかし、完璧を「絶対」と考えては、また余計なプレッシャーを
自らにかけることになるかなと思ってる。
無理なく継続すること。今年の目標。
まだ書きたいことあるけど、少し眠くなってきた。
今日は21時過ぎに帰宅できて、そして、もちろん、200済。
けなも
中学生の頃は、稽古に加え、それこそ休まず毎日200本素振りをしており、
(街の小さな)試合では、それなりの結果が出ていた。
200本という数字は、決して威張れる数字ではないことは知っている。
小中高各々の準備運動時点で200本は素振りしていた。
でも、やらないよりはやった方がよい。そして、少ない数でも、
毎日続けることに意味があると考えている。
・・・と、そんな中、
2/13(水)は会社から帰宅できず(泣)。
間もなく仕事終了と思った矢先、次の日顧客に提出する資料に
大幅な修正が必要と判明してしまい、結局、終電が無くなった
2/14(木)午前1時30分に会社を出た。夕飯食べてなく腹が減って。
ラーメンが食べたくて。
結果的にラーメンは食べたが、それはそれはマズイラーメンで、
会社から歩いて20分くらいの所で。
で、ラーメンを食べた後は、寒い中、少しでも家に近い方面へ
歩き続け、1時間以上。午前4時近くに、東京駅に到着。
その時間、東京駅(丸の内側)は、私が見た限りでは
シャッターが下りていた。24時間駅は開いているもんだと
思っていた俺には、意外な光景だった。
それにしても、外は寒く、突っ立っているわけにもいかず・・・。
ふと、駅近くに会社の出張所があることに気づき、
そこにあったソファで寝た。
外は寒かったが、建物の中、しかもソファで眠れたことで
救われる思いがした。
が、一見出張者は俺だけに思えながらも、いつ他の出張者が
現れるかビクビクしながら、本来横になってはいけないはずの
ソファで何回も眼を開けながら、仮眠とも言えない2時間弱を
過ごした。
「ホテルに泊まればいいじゃん。」と思う方もいらっしゃるかも
しれないが、私にそんなお金は無い!質素な生活しかできない
んです(笑)。今の所・・・。早く金銭的にも余裕が欲しい。
とは言いながら、寒い中、疲労も溜まった状態で歩き続けた中で、
何件かホテルに部屋は空いているか尋ねた。が、尋ねた所は全て
満室だった。クレジットカードで、分割すれば、生活もできて、
ホテルにも泊まれて・・・なーんて考えを実現する以前の問題。
話を戻すと、ソファで過ごした後、動き出した電車で自宅へ向かった。
さすがに、とんぼ返りで会社に行く気力は無く、
出社時間が遅れる申告を会社に済ませた上で
(その時点で7時30分頃)、1時間強の仮眠を布団でとった。
そして、会社へ向かった。
その際、自宅を出る前、室内用木刀で5本だけ素振りした。
体がもつか不安だった。
そして、2/14(木)は始まり、顧客先へ行き、資料の説明をし、
叱責も頂く場面もありつつ、何とか夕方まで過ごした。
そして、その日に帰宅した頃には体は休みを欲しており、
迷った部分もあったが、割り切って、すぐに布団に入ることにした。
2/15(金)朝、室内用素振りで5本(だったと思う)素振りして、
会社へ向かった。結局、その日も次の日帰りだったと記憶してるが、
その日は200本素振りした。
とまぁ、長く書きましたが、200本継続記録は、残念ながら途中で切れて、
でも、その後、グレルことなく、再開している。
それでいいと思っている。途切れても、また再開し、続けること。
「やらなくなり続ける事」を撲滅すれば、たとえ僅かであれ、そこに
進歩があると信じたい。もちろん、理想は一日も欠かさず継続することが
一番良いと思っているが。
しかし、完璧を「絶対」と考えては、また余計なプレッシャーを
自らにかけることになるかなと思ってる。
無理なく継続すること。今年の目標。
まだ書きたいことあるけど、少し眠くなってきた。
今日は21時過ぎに帰宅できて、そして、もちろん、200済。
けなも
2013年2月1日金曜日
SING LIKE TALKING 25周年迎えます!
剣道の話ではありません。
私の大好きな、そして、このブログタイトル作成時にも
参考にしたCD作ったSING LIKE TALKINGがデビュー
25周年を迎えるとのこと!記念ライブするとのこと。
(http://singliketalking.jp ※2013年2月現在掲載内容)
おめでとうございます!
ということで、さっそくライブチケット購入済♪
思えば、俺が剣道を始めた頃、SING LIKE TALKINGは
デビューしたということになる。ん~、感慨深い。
とは言え、その曲がSING LIKE TALKINGの曲と意識
して聞き始めたのは、1990年代初めだったかな。そして、
以来SING LIKE TALKINGの曲が傍らにあって、成長
してきたかな。
俺は、正直言うと、デビューから90年代のSING LIKE TALKINGが
一番好き。2000年代のSING LIKE TALKINGの曲は、本音を言うと、
余り好きでない。ゆるやかに愛を語る曲が影を潜め、リズムのいい、
ポップな曲が増えた。でも、それが、俺からすると、SING LIKE TALKING
らしさを薄めている印象がある。
でも、あの90年代、多感な時代を生きた傍ら、SING LIKE TALKINGの
曲には、様々な場面で力をもらった。感謝しているし、これからも、
90年代の曲は聞き続けていきたいと思っている。
ちなみに、ファンクラブの意味がよく分からず、存在を知って以降
これまで入会していない。多分これからもしない。でも、応援はして
いこうと思っている。
藤田千章の「Feel The Music」(ラジオ番組)が大好きだった。
今でも録音したテープは大切に持っている。繰り返し聞いては、
セリフまで覚えた。色んな曲も知ることができた。
佐藤竹善の「NISSAN HIT POP JAPAN」(ラジオ番組)も
よく聞いた。
ちなみに、SING LIKE TALKINGで好きな曲は、たくさんあるけど、
「Maybe」「愛と言えるまで」は特に好きなんだな。あとは、"Welcom
To Another World"は「洗練」された感があって、その洗練さが好きなんだ。
話したらキリがないので、一旦終了します。
けなも
私の大好きな、そして、このブログタイトル作成時にも
参考にしたCD作ったSING LIKE TALKINGがデビュー
25周年を迎えるとのこと!記念ライブするとのこと。
(http://singliketalking.jp ※2013年2月現在掲載内容)
おめでとうございます!
ということで、さっそくライブチケット購入済♪
思えば、俺が剣道を始めた頃、SING LIKE TALKINGは
デビューしたということになる。ん~、感慨深い。
とは言え、その曲がSING LIKE TALKINGの曲と意識
して聞き始めたのは、1990年代初めだったかな。そして、
以来SING LIKE TALKINGの曲が傍らにあって、成長
してきたかな。
俺は、正直言うと、デビューから90年代のSING LIKE TALKINGが
一番好き。2000年代のSING LIKE TALKINGの曲は、本音を言うと、
余り好きでない。ゆるやかに愛を語る曲が影を潜め、リズムのいい、
ポップな曲が増えた。でも、それが、俺からすると、SING LIKE TALKING
らしさを薄めている印象がある。
でも、あの90年代、多感な時代を生きた傍ら、SING LIKE TALKINGの
曲には、様々な場面で力をもらった。感謝しているし、これからも、
90年代の曲は聞き続けていきたいと思っている。
ちなみに、ファンクラブの意味がよく分からず、存在を知って以降
これまで入会していない。多分これからもしない。でも、応援はして
いこうと思っている。
藤田千章の「Feel The Music」(ラジオ番組)が大好きだった。
今でも録音したテープは大切に持っている。繰り返し聞いては、
セリフまで覚えた。色んな曲も知ることができた。
佐藤竹善の「NISSAN HIT POP JAPAN」(ラジオ番組)も
よく聞いた。
ちなみに、SING LIKE TALKINGで好きな曲は、たくさんあるけど、
「Maybe」「愛と言えるまで」は特に好きなんだな。あとは、"Welcom
To Another World"は「洗練」された感があって、その洗練さが好きなんだ。
話したらキリがないので、一旦終了します。
けなも
2013年1月31日木曜日
道を究めるということ
ついさっき「オデッサの階段」というテレビ番組を見た。
野村萬斎が出演していた。ご自身の息子さんを狂言の
舞台に立たせた瞬間を思い出した際の場面で、狂言の
道を歩ませ始めたという実感を振り返り、涙を流した。
息子さんは、なぜ狂言をやるのか萬斎に何度も問うたという。
しかし明確な答え(応え)は無かった模様。息子さん曰く「分からない」
(というセリフは萬斎の言葉のことだったのか不明だが)。
次に、萬斎のお父様・万作が出演。狂言一家、同様の問いを
抱いたという紹介があった。そして、万作は言った。自問自答しながらも、
結局、自らが選んだ道とのこと。
深いと思った。
俺が剣道を再開したきっかけは、小学生時代の恩師が
試合する姿を見たことにある。
それまでの剣道感は、試合に勝てないと意味が無いと思っていた。
だから、その流れに乗ってない俺の剣道は意味が無いと思っていた。
恩師は、過去から優勝実績豊富で、当然勝つと思っていた。
崇高な剣道する姿を想像していた。
しかし、恩師の剣道をする姿は、決して完璧でなかった。
そして、決勝で負けた。その瞬間、俺の剣道感の何かが変わった。
試合に勝てる剣道しか意味が無いのか。
続ける価値ある剣道を、崇高過ぎるイメージで祭り上げてなかったか。
「勝てる剣道」という、自らの勝手な想像で、自分を疲れさせてなかったか。
正しい剣道で、息長くやることに意味あるのではないか。
そう思い直した。
試合に勝つ・負けるは、二の次で、でも強く正しい剣道でありたい。
そう思い直した時から、高校時代の範士八段の教えが少しづつ
心に沁みてき始めた。
さて、萬斎の話に戻る。
道を究める。どれほどのことか俺は分かっていない。
このまま剣道にのめり込もうとする自分が、どこに行ってしまうことになるのか
怖くなることがある。その先、何があるのか、全く想像もつかない。
しかし、そんな時、萬斎の話を思い返してみたい。
一度しかない人生を狂言師として歩む姿、歩まざるを得ない運命、
そして、選んだ道。
「狂言師でなかったら」きっとそんな人生を想像したのではないか、
息子さんも。
俺の剣道に向き合う気持ちは、まだまだ中途半端だ。
何かに恐れる気持ちがある。人として小さすぎる。
仕事に対してもそうなんだと思う。覚悟が足りない。
「辞めることもできる。」そんな後ろ向きな気持ちを持つ自分が恥ずかしい。
本日も200本済。
けなも
野村萬斎が出演していた。ご自身の息子さんを狂言の
舞台に立たせた瞬間を思い出した際の場面で、狂言の
道を歩ませ始めたという実感を振り返り、涙を流した。
息子さんは、なぜ狂言をやるのか萬斎に何度も問うたという。
しかし明確な答え(応え)は無かった模様。息子さん曰く「分からない」
(というセリフは萬斎の言葉のことだったのか不明だが)。
次に、萬斎のお父様・万作が出演。狂言一家、同様の問いを
抱いたという紹介があった。そして、万作は言った。自問自答しながらも、
結局、自らが選んだ道とのこと。
深いと思った。
俺が剣道を再開したきっかけは、小学生時代の恩師が
試合する姿を見たことにある。
それまでの剣道感は、試合に勝てないと意味が無いと思っていた。
だから、その流れに乗ってない俺の剣道は意味が無いと思っていた。
恩師は、過去から優勝実績豊富で、当然勝つと思っていた。
崇高な剣道する姿を想像していた。
しかし、恩師の剣道をする姿は、決して完璧でなかった。
そして、決勝で負けた。その瞬間、俺の剣道感の何かが変わった。
試合に勝てる剣道しか意味が無いのか。
続ける価値ある剣道を、崇高過ぎるイメージで祭り上げてなかったか。
「勝てる剣道」という、自らの勝手な想像で、自分を疲れさせてなかったか。
正しい剣道で、息長くやることに意味あるのではないか。
そう思い直した。
試合に勝つ・負けるは、二の次で、でも強く正しい剣道でありたい。
そう思い直した時から、高校時代の範士八段の教えが少しづつ
心に沁みてき始めた。
さて、萬斎の話に戻る。
道を究める。どれほどのことか俺は分かっていない。
このまま剣道にのめり込もうとする自分が、どこに行ってしまうことになるのか
怖くなることがある。その先、何があるのか、全く想像もつかない。
しかし、そんな時、萬斎の話を思い返してみたい。
一度しかない人生を狂言師として歩む姿、歩まざるを得ない運命、
そして、選んだ道。
「狂言師でなかったら」きっとそんな人生を想像したのではないか、
息子さんも。
俺の剣道に向き合う気持ちは、まだまだ中途半端だ。
何かに恐れる気持ちがある。人として小さすぎる。
仕事に対してもそうなんだと思う。覚悟が足りない。
「辞めることもできる。」そんな後ろ向きな気持ちを持つ自分が恥ずかしい。
本日も200本済。
けなも
2013年1月28日月曜日
振りかぶってみると
1/26(土)
早速、振りかぶりを意識して稽古。
ご指導頂いた教士七段の先生を相手に。
何度か竹刀が交差する。
残念ながら一本にはならない。
ただ、たまたま先生の竹刀が俺から見て左に流れる。
出小手を打たれるかと思いきや、
先生も面にこだわった為か、出小手は無かった。
で、稽古後、あれでいいんだ、とのこと。
先生の竹刀が左に流れた時、先生は刺し面を打ったとのこと。
ま、俺の竹刀も先生の面を捉えられなかったんだけど。
で、今度は振りかぶりの面一辺倒でなく、刺し面も、
場面場面で使い分けられるように、とのこと。
褒めて頂いているようで、早速実践して良かったです。
次は、振りかぶりと刺し面を使い分けてみようと思います。
さて、その日も他の先生方と稽古。
思ったのは、振りかぶりを意識した面打ちのせいか、
それとも、普段の素振りのせいかなのか、なんとなく、
いつもより、一本一本を考えるようになった感じ。
そして、その上で、思い切って面に行く動きができているように思えた。
そんな中でも、K先生(七段)からは、俺の剣道は「乗られ」ると
一本取られちゃうとのこと。で、大技だけでなく、「乗られ」た時は、
出小手で応じるとか、柔軟に出来るといいねとのこと。
ん~、まぁ、たしかに。
1/27(日)は、わずか10分程度面つけて、道場で稽古。
その中でも、S先生(七段)からは、構えて攻める時、剣先を動かしすぎ、
ピタッと剣先を止めるようご指導あり。その上で、稽古の最後は打ち込み稽古に
なったけど、それにしても、俺は胴打ちが下手。下手過ぎ。なんだこれっていうくらい。
いつも左右面の自主練も欠かしてないのに。
左右面が、基本通りできてないということなのかな。
胴打ちは、左右面の延長のように聞いたことあって、
でも、実際、違うのかな。
いずれにせよ、胴打ちも、もっと稽古しないと。下手過ぎ。
面返し胴とか、もっと上手く、そして、上手いタイミングで打ってみて、
一本にしたいよ。面と、やっと小手でしか、一本取れないもんなあ。下手下手。
本日も200本素振り実施済。
けなも
早速、振りかぶりを意識して稽古。
ご指導頂いた教士七段の先生を相手に。
何度か竹刀が交差する。
残念ながら一本にはならない。
ただ、たまたま先生の竹刀が俺から見て左に流れる。
出小手を打たれるかと思いきや、
先生も面にこだわった為か、出小手は無かった。
で、稽古後、あれでいいんだ、とのこと。
先生の竹刀が左に流れた時、先生は刺し面を打ったとのこと。
ま、俺の竹刀も先生の面を捉えられなかったんだけど。
で、今度は振りかぶりの面一辺倒でなく、刺し面も、
場面場面で使い分けられるように、とのこと。
褒めて頂いているようで、早速実践して良かったです。
次は、振りかぶりと刺し面を使い分けてみようと思います。
さて、その日も他の先生方と稽古。
思ったのは、振りかぶりを意識した面打ちのせいか、
それとも、普段の素振りのせいかなのか、なんとなく、
いつもより、一本一本を考えるようになった感じ。
そして、その上で、思い切って面に行く動きができているように思えた。
そんな中でも、K先生(七段)からは、俺の剣道は「乗られ」ると
一本取られちゃうとのこと。で、大技だけでなく、「乗られ」た時は、
出小手で応じるとか、柔軟に出来るといいねとのこと。
ん~、まぁ、たしかに。
1/27(日)は、わずか10分程度面つけて、道場で稽古。
その中でも、S先生(七段)からは、構えて攻める時、剣先を動かしすぎ、
ピタッと剣先を止めるようご指導あり。その上で、稽古の最後は打ち込み稽古に
なったけど、それにしても、俺は胴打ちが下手。下手過ぎ。なんだこれっていうくらい。
いつも左右面の自主練も欠かしてないのに。
左右面が、基本通りできてないということなのかな。
胴打ちは、左右面の延長のように聞いたことあって、
でも、実際、違うのかな。
いずれにせよ、胴打ちも、もっと稽古しないと。下手過ぎ。
面返し胴とか、もっと上手く、そして、上手いタイミングで打ってみて、
一本にしたいよ。面と、やっと小手でしか、一本取れないもんなあ。下手下手。
本日も200本素振り実施済。
けなも
2013年1月23日水曜日
振りかぶること
1/19(土)、近くの道場で稽古した際、
教士七段のN先生から言われたこと。
私の面は刺し面。今はまだそれでいい。
しかし、振りかぶりが必要。30代から意識しないと。
40代からでは遅い、それ以降は当たっても軽い打ちしかできなくなる。
今から、振りかぶって打つこと。それが、いつしか刺し面と振りかぶりが
一体となる時がくる。
とのこと。
そのN先生は、私が見てきた七段の先生方と比べて、
若いけど「強い」。(しかも私が大学時代一時期所属した剣道部の先輩だった…)
確かに刺し面ではないのに、振りかぶっての面が速い。
いや、振りかぶっての面は確かに速いけど、それ以上に、相手に
「速い」と思わせる(私には見えない)攻めがある。
つまりだ。
私は、今後振りかぶりを意識した面打ちが必要だ。
繰り返しが必要だ。そのN先生も、それができるようになるまで
何年かかかるとのことだった。
そして、その振りかぶりを意識した面打ちを繰り返す過程で、
(おそらく)相手に当てる(相手を切る)工夫をするようになる。
すなわち、それが「攻め」になるんだと思う。
俺がこれまでこのブログで何回か書いた「攻め」とは、
つまりは、その繰り返しで得られるものなんだと思った。
話は変わるが、忘れないうちに記しておきたいこと。
高校時代の範士八段の先生が、普段から「あいている所を打って行け」という
ことを何度もおっしゃっいた。あまり深く受け止めず普段稽古していた。
ところが、高校最後のある小さな試合、個人戦決勝で、無意識に出小手を
決めた場面があった。その瞬間だった。「こういうことか。」つまり、
あいている所を打ったと実感した瞬間だった。とてもシンプルに、その通りだった。
その時のことは、小さな衝撃として、今も私の記憶に焼き付いている。
上記を読んだだけでは、何を言っているのかお分かり難いでしょうが、
つまりは、剣道においてはあいている所を打っていくことが一本につながる
ことになるんだなと、極めて当然のことを、しかし、初めて実感した瞬間だった。
その時から、剣道しない時期を過ごしてしまった。そのまま、まだ剣道を
続けていたら、そんな実感を繰り返して、無意識に実践できていたのだろうか。
また忘れないうちに。今通っている街の道場では、範士九段の方が、
たまにいらっしゃいます。と言っても、もう3年ほど前の話だけど。
面の打ち方がしっくりこなく、特に、振りかぶりの角度に納得いかず、
思い切って、面の打ち方について伺った。すると、宮本武蔵の『五輪の書』を
読んだかと聞かれた上で、「六寸のみぎり」というお話をして下さった。
概要は、大きく振りかぶる必要はなく、(たしか…)構えた状態から、
目の前まで手元を上げ、そのまま振り落せば(腕を伸ばせば)面になると
お聞きした(記憶がある)。上記の振りかぶりの、今後の稽古のヒントになればと
思っている。
本日は0時前に帰宅し、外で素振り200本したよ。もう寝なければ…。
けなも
教士七段のN先生から言われたこと。
私の面は刺し面。今はまだそれでいい。
しかし、振りかぶりが必要。30代から意識しないと。
40代からでは遅い、それ以降は当たっても軽い打ちしかできなくなる。
今から、振りかぶって打つこと。それが、いつしか刺し面と振りかぶりが
一体となる時がくる。
とのこと。
そのN先生は、私が見てきた七段の先生方と比べて、
若いけど「強い」。(しかも私が大学時代一時期所属した剣道部の先輩だった…)
確かに刺し面ではないのに、振りかぶっての面が速い。
いや、振りかぶっての面は確かに速いけど、それ以上に、相手に
「速い」と思わせる(私には見えない)攻めがある。
つまりだ。
私は、今後振りかぶりを意識した面打ちが必要だ。
繰り返しが必要だ。そのN先生も、それができるようになるまで
何年かかかるとのことだった。
そして、その振りかぶりを意識した面打ちを繰り返す過程で、
(おそらく)相手に当てる(相手を切る)工夫をするようになる。
すなわち、それが「攻め」になるんだと思う。
俺がこれまでこのブログで何回か書いた「攻め」とは、
つまりは、その繰り返しで得られるものなんだと思った。
話は変わるが、忘れないうちに記しておきたいこと。
高校時代の範士八段の先生が、普段から「あいている所を打って行け」という
ことを何度もおっしゃっいた。あまり深く受け止めず普段稽古していた。
ところが、高校最後のある小さな試合、個人戦決勝で、無意識に出小手を
決めた場面があった。その瞬間だった。「こういうことか。」つまり、
あいている所を打ったと実感した瞬間だった。とてもシンプルに、その通りだった。
その時のことは、小さな衝撃として、今も私の記憶に焼き付いている。
上記を読んだだけでは、何を言っているのかお分かり難いでしょうが、
つまりは、剣道においてはあいている所を打っていくことが一本につながる
ことになるんだなと、極めて当然のことを、しかし、初めて実感した瞬間だった。
その時から、剣道しない時期を過ごしてしまった。そのまま、まだ剣道を
続けていたら、そんな実感を繰り返して、無意識に実践できていたのだろうか。
また忘れないうちに。今通っている街の道場では、範士九段の方が、
たまにいらっしゃいます。と言っても、もう3年ほど前の話だけど。
面の打ち方がしっくりこなく、特に、振りかぶりの角度に納得いかず、
思い切って、面の打ち方について伺った。すると、宮本武蔵の『五輪の書』を
読んだかと聞かれた上で、「六寸のみぎり」というお話をして下さった。
概要は、大きく振りかぶる必要はなく、(たしか…)構えた状態から、
目の前まで手元を上げ、そのまま振り落せば(腕を伸ばせば)面になると
お聞きした(記憶がある)。上記の振りかぶりの、今後の稽古のヒントになればと
思っている。
本日は0時前に帰宅し、外で素振り200本したよ。もう寝なければ…。
けなも
2013年1月19日土曜日
A Happy New Year! 今年もよろしくお願い申し上げます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
それにしても、剣道「日誌」でなくて、「月誌」ですよね。
スマホから更新できたらいいんだけど…。
さて、2012年12月の下旬から本日まで素振り200本は
毎日(何とか)続けてます。
やはり、夜遅くの帰宅が堪える。次の日が休日だったらいいけど、
例えば1/18(木)なんか、結局、1/19(金)1時頃帰宅して(もちろん仕事あって)、
それから外で素振りとはなかなかいかず、結局、家の中で屋内用の
短い木刀で素振りしたよ。
外でやると足を使い、全身で素振りできる。しかし、相応の体力を使う。
時間もかかる。あとは寝るだけと分かっているからこそ、寝る前に激しい
動きを体に課すのは避けたい。次の日の仕事にも影響が出るから。
なんてことで、いつも素振りの仕方に「ブレーキ」がかかる。
そう思うことが、素振りを「サボる」言い訳にしているのではないかと思うけど、
でも実際、現実的に、次の日仕事なのに午前1時~2時で運動し、風呂入って
午前3時頃就寝で、次の日(というかその日)3時間ちょっとの睡眠で
会社に行くのはつらいよ。
ちなみに、実際1/19は家の中で素振りをし、その後就寝したけど
それでも、結局4時間程の睡眠となり、やはりお客様との打ち合わせ中
眠くなったもん。
仕事に悪影響が出る剣道(稽古)はしてはいけないと思う。
だけど、それでも強くなる為に毎日どのように剣道をするか、稽古するか、
悩み、考えている。
会社に「部活動」の時間なんて無いもん。
部活が出来た中学校、高校の時間が、どれほど貴重な時間だったのかを、
大人になって初めて思い知った。
しかも、高校の時はほぼ毎日範士八段の先生の下で稽古をしていた
ということの、それまた貴重な時間だったということも、今初めて痛感する。
今後、そんな時間はもう無いんだなと思う。少なくとも会社人として働いて
いる間は。
年末年始は実家に帰省(もちろん素振り用木刀、室内用のを持って)。
移動手段の新幹線内で、高校剣道部の同期・マネージャーと遭遇したよ。
16年ぶり?これ書いて「ほんとか?」と再計算するほど、時間経ったなと
しみじみ実感する。だって、0歳から16年後と言えば高校一年生の頃だ。
そんな時間が経ったのか…。
あの頃(高校時代)に戻りたいとは思わないけど。
ま、それを言うなら、きっと16年後今を振り返った時は、今の貴重な時間を
痛感するんだろう。と言う事は、「今」も大切に過ごさねば。
剣道の話に戻すと、
今年の目標は、無理せず、素振りを継続すること。
結局、昨年の目標は、一時的なものもあるにせよ、
全て実行できたかなと思う。
そうそう、唐突だけど、最近思い返す範士八段の言葉。
「稽古は試合のごとし。試合は稽古のごとし。」
面打ち一本にしても、より基本通りに稽古で実践し、
でもその基本が試合でも通じる基本の面打ちであるように、
心がけたい。その心がけを大事にした上で、今年の目標である
素振りの継続に努めたい。
けなも
それにしても、剣道「日誌」でなくて、「月誌」ですよね。
スマホから更新できたらいいんだけど…。
さて、2012年12月の下旬から本日まで素振り200本は
毎日(何とか)続けてます。
やはり、夜遅くの帰宅が堪える。次の日が休日だったらいいけど、
例えば1/18(木)なんか、結局、1/19(金)1時頃帰宅して(もちろん仕事あって)、
それから外で素振りとはなかなかいかず、結局、家の中で屋内用の
短い木刀で素振りしたよ。
外でやると足を使い、全身で素振りできる。しかし、相応の体力を使う。
時間もかかる。あとは寝るだけと分かっているからこそ、寝る前に激しい
動きを体に課すのは避けたい。次の日の仕事にも影響が出るから。
なんてことで、いつも素振りの仕方に「ブレーキ」がかかる。
そう思うことが、素振りを「サボる」言い訳にしているのではないかと思うけど、
でも実際、現実的に、次の日仕事なのに午前1時~2時で運動し、風呂入って
午前3時頃就寝で、次の日(というかその日)3時間ちょっとの睡眠で
会社に行くのはつらいよ。
ちなみに、実際1/19は家の中で素振りをし、その後就寝したけど
それでも、結局4時間程の睡眠となり、やはりお客様との打ち合わせ中
眠くなったもん。
仕事に悪影響が出る剣道(稽古)はしてはいけないと思う。
だけど、それでも強くなる為に毎日どのように剣道をするか、稽古するか、
悩み、考えている。
会社に「部活動」の時間なんて無いもん。
部活が出来た中学校、高校の時間が、どれほど貴重な時間だったのかを、
大人になって初めて思い知った。
しかも、高校の時はほぼ毎日範士八段の先生の下で稽古をしていた
ということの、それまた貴重な時間だったということも、今初めて痛感する。
今後、そんな時間はもう無いんだなと思う。少なくとも会社人として働いて
いる間は。
年末年始は実家に帰省(もちろん素振り用木刀、室内用のを持って)。
移動手段の新幹線内で、高校剣道部の同期・マネージャーと遭遇したよ。
16年ぶり?これ書いて「ほんとか?」と再計算するほど、時間経ったなと
しみじみ実感する。だって、0歳から16年後と言えば高校一年生の頃だ。
そんな時間が経ったのか…。
あの頃(高校時代)に戻りたいとは思わないけど。
ま、それを言うなら、きっと16年後今を振り返った時は、今の貴重な時間を
痛感するんだろう。と言う事は、「今」も大切に過ごさねば。
剣道の話に戻すと、
今年の目標は、無理せず、素振りを継続すること。
結局、昨年の目標は、一時的なものもあるにせよ、
全て実行できたかなと思う。
そうそう、唐突だけど、最近思い返す範士八段の言葉。
「稽古は試合のごとし。試合は稽古のごとし。」
面打ち一本にしても、より基本通りに稽古で実践し、
でもその基本が試合でも通じる基本の面打ちであるように、
心がけたい。その心がけを大事にした上で、今年の目標である
素振りの継続に努めたい。
けなも
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